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命とか健康とか病気とか

いつも拝読させていただいている林さんの今朝の更新より、日ごろ思っていることを書きます。
いつもありがとうございます♪

私は今まで一度も死にたいと思ったことがない。
長く生きていれば辛いことや苦しいこともあるだろうし、絶望したり何かに苛まれたりもするだろう。
寿命に左右する病気をしたりそれが継続したり、怪我をして予想しなかった人生を送ることもあるだろう。
そういう経験がない、思い当たらない。

病気をはじめとして、生きる気持ちが失せてしまうような出来事や体験は自分の意思や意向とは無関係に襲ってくるものに思う。

そうして考えると、今私が屈託なく生きているのは、周りにいるすべての物事やすべての人たちのおかげなのだと思う。

まあこれを逆の方向から捉えると、いくら真っ当に生きていても環境のせいで破壊されてしまうこともあるってことなんだけど。

だから、いつ死にたいというような、自ら決められないことについてはあんまり考えず、毎晩無事に床につけたのを喜び、毎朝目が覚めたのを喜んで、そうして過ぎていけばいいかなあと思っている。

✴︎

人間ドックに行った話を知人にすると、お金があるから人間ドックに行けるのだと言われる。
自分は病気に気づいてから治療をすればよいので、特定健診で健康管理をするのみだと言う。

私は、人間ドックを受けられるのはお金のある無しじゃなくて、そこに使いたいか使いたくないかであると思う。
言い返したりはしない、面倒くさいんで。

人間ドックは何処でやるかやオプションをつけるか否かで費用が違う。
最近ではペットという検査もあって、全身のがんが見つけられる、らしい?
仰る通り、金に糸目をつけなければ病気は早期発見できるかもしれない。

しかしこれは運不運である。
夫は六十前に受けた会社の特定健診のレントゲン検査で早期肺がんが見つかった。
よく見えるところにあったのだそうだ。

病気は早く見つけるほど治療が楽で、心身ともに負担が少なく経済性も良い。
けれども特定健診では重大な病気はそうそう見つからない。
特定健診は生活習慣病を予防するのが目的で、そもそもが人間ドックとは使い道が異なる。

特定健診で高血圧など指摘されて検査を受けるように指導されても、首に縄をつけて病院に連れて行かれるわけではない。
どうするか決めるのは自分だ。
夫は毎年受けている特定健診の数値が異常に優れていた。
それでもガンになるし、潰瘍性大腸炎にもなった。

私が受けた人間ドックの実施機関も、異常な数値が出ると精密な検査を受けるよう、医療機関への紹介状を書いてくれる。
それを受けに行くか行かないかは自分が決めることだ。

仮に重大な病気が見つかったとして、治療方法を決めるのも自分だ。医師は様々なアイデアを提供してくれる。命を救うのが彼らの仕事だから。

自分は治らなくて良いと思えば、通院をやめれば良い。
夫の受診歴から思うに、自主的に通院をやめた患者に対して医療機関は受診を促さない。
お誘いの電話などかけてこない。
いや、夫がかかっているのは、国立大学の附属病院だからかもしれないけれど。

通院をやめても逮捕されない。自分の意思とは無関係に無理矢理治されたりしない。
決めるのは自分自身。

命に関わる重大な病気というと、癌ばかりおもいがちだが、世の中には種々雑多な病がある。
放っておけば死んでしまうが、長期的継続的な治療をすれば普通に近い生活ができることも少なくない。

癌の終末期病棟はあらゆる治療を尽くしたうえで安らかな最期を迎えるためにある。
ホスピスはあらゆる病気患者が利用できるが、名目ばかりのこともあるので希望に叶うところを慎重に探す必要がある。

父の弟である叔父は、今年八十歳になるが現役で農業をしている。
六十歳の頃に心臓の病気になったが名医との出会いがあり一命を取り止めた。

叔父は日本の医療と保険制度に心から感謝していて、命ある限り働いて税金を納めるのだという。
叔父は毎冬、畑で作った美味しい里芋を送ってくださる。

その里芋で作る豚汁は温かくて美味しい。
五臓六腑に沁み渡る。


※ヘッダー画像はよみん@ぷくりいぬ更新中さんよりお借りしています。
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