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絵本読みに育てられている

読み聞かせボランティアのはじまり


次男が幼稚園に入園した当時の園長先生は,子どもたちが絵本と関わりをもつことにとても力を入れていました。

週に一度園児に絵本を貸し出す日を設け,当番制で貸し出しを担う保護者を募りました。

わたしは仕事をしておらず朝の時間に余裕があり,次男が入園する前の年に手作り絵本講座を受講して絵本に関心を持っていたのもあり,貸し出しによく参加しました。

園児たちは登園すると,本棚から自分が読みたい絵本を選びます。先生も保護者も園児にアドバイスを求められない限り口出しはしませんでした。

ダダーっと絵本の部屋に入ってきて適当に選ぶ子もいれば,迷って迷ってしまいには涙が出てしまう子もいました。

そういうときでも,大人目線でこれにしなさいと命じるようなことはしませんでした。

半日もかけて選んだ絵本を,その子がどのように楽しんだのか,追及もしませんでした。

男の子はこんな絵本,女の子はこんな絵本,とテーマを決めたりもしていないのに,女の子はお友だちとの日常を描いた絵本や,お菓子作りを描いた絵本を好む傾向がありました。

男の子は,自然科学や乗り物,昔話を好む傾向がありました。

仲良しさんが借りた絵本を次に借りるなど,友だちの影響も大きいと思いますが,すでに男らしさや女らしさを身に着けていたのか,生まれ持っての性差なのかわたしにはわかりません。

園では保護者から絵本の読み聞かせも募集したので,それにも参加しました。

絵本はどう読めばよい?


手作り絵本講習の時に,講師は”あらしのよるに/作: きむら ゆういち/絵: あべ 弘士/出版社: 講談社 ”を読んでくださいました。

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狼のガブと山羊のメイ,二人のキャラクターが際立つ物語ですが,講師は淡々と読みました。

わたしは深く物語の世界に入り込み,胸の奥に沁みとおるのを感じました。

講師は,絵本はテキストと絵でその世界が作られている,大きく抑揚をつけるなど読み手が聞き手の感じ方を左右しない方が好ましいと話されました。

それを守りたいと思いましたが,淡々と読むのはとても難しいのでした。

翌年校区の小学校でも保護者による読み聞かせがスタートしたので,そちらにも参加しました。

以来25年間,子どもが卒業後は地域の人の枠で三つの小学校で本を読んでいます。

そのうちの一校は絵本ではなく,あらかじめ司書等によって選出された児童書を一年間のうちの一週間で読み終えるというやり方です。

二校は,ボランティアが自由に本を選び週に一度,10分~15分の持ち時間で読むというやり方で,絵本に限らず児童書を読んだりポケットシアターや紙芝居,学んだ方はストーリーテーリングをされることもあります。

家での絵本読み


家でも絵本に触れようと思い,童話館という出版社から月に二冊絵本を送ってもらいました。

書店ではどうしても好きな絵本を選ぶので偏るように思ったのです。

子どもたちに順番で絵本を選んでもらい,少し年上の長男もまだ赤ちゃんの末の子も幼稚園児の次男も同じ絵本を聴きました。

毎夜九時の絵本読みは入眠儀式となりました。

忙しい日々の中で,ともすれば叱りつけるばかりでじっくり子どもに向き合う時間が取れず自己嫌悪に陥ってしまうこともしばしばでした。

一日の終わりに子どもたちと絵本を読み,物語の世界を共有する時間は子育ての迷いや苦悩をリセットしてくれたように思います。

中学生になると自室を与えたので,四年ごとに絵本読み儀式から離れましたが、長男が小学校高学年,次男が二年生,末の子が幼稚園の頃だったでしょうか…

子どもたちのお気に入りの絵本 “おおかみと七ひきのこやぎ/グリム童話/フィリックス・ホフマン/せたていじ訳”を読みました。

それまでにも何度も読んでいましたが,その夜のことは強く印象に残りました。

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童話館から送られる絵本は原作に忠実で,都合の良い書き換えが行われていませんでした。

福音館書店のこの絵本は,絵もせたていじさんの訳も大好きです。

おおかみと七ひきのこやぎのラストシーンは,狼が落ちた井戸の周りでお母さんヤギと子どもたちが「おおかみ しんだ おおかみ しんだ」と歌いながら踊ります。

一見残酷に感じますが,幼い子どもは狼が死んでこの世からいなくなることにより,もう自分を脅かす者がこの世にないことを実感して安心するのだそうです。

ところが次男は,誰かが死んだ(殺されたわけですが)のにそれを喜び歌って踊るという残酷さ(不謹慎さ)に憤りを感じたようで,ヤギはエサなのに!とぷんぷんふくれっ面をしました。

六年生になっていた長男は,「それはそれ相応のことをしたのだから仕方がないよ、でもかわいそうだね。」と言いました。

年齢が変わればものの見方も変わる,ということを目の当たりにした印象に残る出来事でした。

好きなように読む


学校で,絵本はどのように読めばいいのか?

この課題が解決しないままもやもやしていましたが,ある時元小学校教諭の友人に言われました。

保護者や地域の人による絵本の読み聞かせは学校教育の一環であるけれど,保護者や地域の人に児童の教育を担ってもらうのではない,だから好きなように読めばよいのだ,と。

これを聞いて,ともすれば勘違いしそうな図書ボランティアの立ち位置を確認したのと,そうか,自分らしく読めばよいのだと,すっと肩の荷が下りました。

それからは面白い本は面白そうに,悲しい本は悲しそうに,時には淡々と,本によってその時の心境によって好きなように読んでいます。

ほんとうは必要ないと思っていますが,先生方が気を使って児童の感想を書かせてくださることがあります。

友人いわく,子どもに感想を書かせるべきでないと至極反発されるのですが,それよりなにより,「こみみさんが読んでくださった本を図書室で借りて読みました。」という感想をいただくのが天に上るほどうれしいのです。

その物語に興味を持つタイミングは感想を言わされる前ですから,感想を言わされたから興味がなくなる…は詭弁です。

読み聞かせは自発的に本を読まない子どもに舞い降りてくる読書体験に思います。

ボランティア精神ではじめた小学校での絵本読みですが,四半世紀過ぎた今となれば,だれのためでもない,自分のためになっているように思います。

選び抜かれた言葉で描かれた物語り,声に出して読み,美しい挿絵とともに親しむ人たちと共有する束の間。

すでに過ぎ去った遠い日の感動にいまだ触れ続けていられること。

わたしの方が育てられているように思います。




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