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にっぽん紀行

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主に関西圏です。
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熊野古道 有間皇子墓

熊野古道 有間皇子墓

十九歳の有間皇子が絞首刑にされたと伝えられる熊野古道 藤白坂(和歌山県海南市)にお墓があるというので、行ってきました。

有間皇子(640~658)

飛鳥時代、孝徳天皇の皇子。658年斉明天皇が紀伊牟婁温泉に行幸中、蘇我赤兄が天皇の失政三か条を指摘しての扇動にのり、ともにむほんをくわだてることを約したが、かえって赤兄は天皇に密告したため、その一味とともに捕らえられ、紀伊に送られて殺された。原因は

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紀州黒江 琴ノ浦温山荘

紀州黒江 琴ノ浦温山荘

[和歌の浦と海南市]
和歌の浦といえば、和歌山市の雑賀崎(さいかざき)や片男波(かたおなみ)などが絶景の宝庫としてつとに有名ですが、その和歌の浦(和歌浦湾)の南限が、じつは海南市域まで広がっていることは知りませんでした。

海南市、といえば、石油コンビナートが思い浮かびます。それほど大規模な臨海工業地域なんですね。金属工業とか発電所とかも立地しています。

その景観の中に、古の万葉集に詠まれた「黒

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谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

わたくし生国(しょうごく)は近江のくに長浜在(ながはまざい)でござりまして、たんじょうは天文にじゅう一ねん、みずのえねのとしでござりますから、当年は幾つになりまするやら。左様、左様、六十五さい、いえ、六さい、に相成りましょうか。

これは、谷崎純一郎『盲目物語』 の書き出しである。小説の語り手は、按摩揉み療治をする弥一という盲目の遊芸人で、浅井長政の妻となり、後に柴田勝家に嫁した信長の妹お市の方を

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鳥取砂丘の思い出

鳥取砂丘の思い出

2024年4月30日

車中泊の旅「山陰海岸ジオパーク編」の一日目は、まず鳥取砂丘に行きました。

あいにく雨が降ったりやんだりでした。時折雨足も強くなります。

鳥取砂丘には思い出があります。

二十代の前半、畿内某県に住んでいた頃、同じ寮生であった男三人が、目的地を鳥取砂丘と決めて、それぞれの車で競走したのです。もう何十年も前のお話です。

それは十分な時間をかけた企画ではなく、思いつきでした

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山陰海岸ジオパークを行く

山陰海岸ジオパークを行く

今日は朝から小雨が続いていたが、海岸遊歩道の地面は、杭やコンクリートで固められ、手摺もついていた。それに、家族連れも含めて駐車場に帰ってくる人たちもいるではないか。
なら、夕方が近いとはいえ、ちょこっと海岸に下りてみよう。

と思ったのが、大きな間違いだった。いやはや、それは「遊歩道」と呼べるのか。傘差しての雨のせいも大きいが、大変スリルに満ちた冒険の道のりとなった。

歩いたのは、鴨ヶ磯と城原海

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日本海と黒そばと半チャンと

日本海と黒そばと半チャンと

さて、帰ろっと。

付記:今回の旅は、車による単独行でした。二回目の車中泊実験(まだ実験かい!)の旅になります。
[行程]
2024年4月30日(一日目)
→中国自動車道→鳥取自動車道→鳥取砂丘→浦富海岸(ジオパーク)
→遊歩道(鴨ヶ磯~城原海岸)→山陰海岸ジオパーク浜坂の郷(道の駅)
にて車中泊   本日走行L=290Km
2024年5月1日(二日目)
山陰海岸ジオパーク浜坂の郷→道の駅きなんせ

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奥辺路 護摩壇山

奥辺路 護摩壇山

奥辺路(おくへち)の護摩壇山(ごまだんざん)は、和歌山県で2番目に高い山。山頂の標高は1372mです。
(注:見出し写真にある「1369m」は頂上から若干ズレている)

和歌山県で1番は1382mの龍神岳で、護摩壇山より10m高い。この龍神岳と護摩壇山は700mほど離れて隣り合っており、尾根道で往き来できるようだ。

そもそも、護摩壇山という山名は、平家の武将・平維盛(たいらのこれもり)が龍神村に

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平家維盛歴史の里

平家維盛歴史の里

平家落人伝説は、全国各地にあるようです。

屈曲の多い長い海岸線の入江や岬、離れ島、けわしい山地の谷あいなどに、平家の落人が開発したという言い伝えをもつ集落は、平家にゆかりの深い九州や四国はもちろん、近畿、中部、関東から東北にまでおよんでいて、全国で100をこえると推定されている。(人物探訪日本の歴史3「平家と源氏」暁教育図書より)

ここ、奈良県野迫川村も、そんな平家落人伝説をもつ集落の一つです

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西行の弘川寺1「桜山遊歩編」

西行の弘川寺1「桜山遊歩編」

弘川寺(ひろかわでら)は、西行終焉之地です。

  願はくば花の下にて春死なむ
  そのきさらぎの望月のころ

去年も来ました。3月30日です。
今年は4月7日です。

そして今年また、弘川寺の裏山・桜山まで登ってきました。

一年前のnoteは、今も未完です。

2024.4.7
(投稿2024.4.9)

西行の弘川寺2「境内編」

西行の弘川寺2「境内編」

前回記事では、西行終焉之地であり、西行墳墓のある弘川寺を再び訪ね、その裏山(桜山)にも登り、散り始めの桜を愛でました。

今回記事は、弘川寺「境内編」として、石と花と木と水とお堂…などをご紹介します。写真おおめです。

なぜ弘川寺?
なぜ西行?
なぜ黒田杏子先生?
これらのつながりは?

平成の初め頃のエピソードです。当時、私は東京生活をしておりました。

桜花巡礼を続けておられた黒田先生の俳句会

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はじまりのすさみ

はじまりのすさみ

ここ「すさみ南インター」から紀勢道路(高速道路)に乗り、帰ります。大阪までは阪和自動車道も使って、一本道3時間ぐらいです。

私が乗っている車は、スーパーハイトワゴンの軽四ですが、運転支援装置(プロパイロット)が装備されているので、高速道路走行は楽ちんです。これがあるとないとではまったく疲れ方が違います。

今回の車中泊実験の旅も、あとは安全運転で帰るだけ、という段階に来たのですが、しかし連日のイ

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果無集落

果無集落

「果無(はてなし)」とは、まことロマン溢れる、そして寂寥感漂わせる地名だと思うのです。

ワタクシの「果無」への憧憬は、宇江敏勝氏の著書によって増幅されたと思うのです。

宇江敏勝氏のプロフィール
「1937年、三重県尾鷲市に生まれる。和歌山県立熊野高校を卒業後、紀伊半島の山中で林業に従事するかたわら、文学を学ぶ。現在、エッセイスト・林業」(宇江敏勝著「山びとの動物誌 紀州・果無山脈の春秋」新宿書

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日本最南端 海金剛 Umikongou

日本最南端 海金剛 Umikongou

海金剛(うみこんごう)は、紀伊大島の東端・樫野埼灯台に真向こう絶景の荒々しい海岸です。

串本側から紀伊大島へは、平成11年(25年前)に立派なアーチ・ループ橋が完成して、車で往き来できるようになりました。大島にある樫野埼灯台や海金剛などへも、船に乗らずに容易に足を運ぶことができます。

かねてよりジオパーク(「大地の公園」)に関心を持ってきました。46地域ある日本ジオパークのうち、もっとも身近な

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 筏流しの木津呂集落(三重県紀和町)

筏流しの木津呂集落(三重県紀和町)

木津呂(きづろ)は、三重県熊野市紀和町にある集落の名称です。

このエリアは、三重県と奈良県(十津川村)と和歌山県(新宮市)の県境が、地図をしっかり見てもよくわかりません。それほどに複雑に入り組んでいます。車によるアクセスも、大変困難です。

そんな木津呂集落に行く気になったのは、ほかでもありません。「historica」というYouTubeチャンネルがありまして、そこで紹介されていたからです。

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