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筏流しの木津呂集落(三重県紀和町)

木津呂(きづろ)は、三重県熊野市紀和町にある集落の名称です。

このエリアは、三重県と奈良県(十津川村)と和歌山県(新宮市)の県境が、地図をしっかり見てもよくわかりません。それほどに複雑に入り組んでいます。車によるアクセスも、大変困難です。

そんな木津呂集落に行く気になったのは、ほかでもありません。「historica」というYouTubeチャンネルがありまして、そこで紹介されていたからです。

「historicaは、地域の『これまでの歴史』と『これからの歴史を』お届けするチャンネルです」とホームに記されています。真面目に面白い、大変良質な番組です。(ちなみにメンバーシップに入会しています。)

かつて、筏流しと林業で栄えた、この木津呂集落が、知る人ぞ知る存在であるのは、特殊な地域の歴史もさることながら、その地形にもあるようです。

まるで半島か島のように、北山川(新宮川水系)に楕円形に囲まれた地区なのです。

以下、木津呂について、historicaのYouTubeから引用させていただきます。

「木津呂は、筏流し(中継地)や船乗り、林業で生計を立てながら発展してきた集落であり、最盛期には人口500人を超える大集落だったといいます。

集落には渡し場があり設けられていたことから、人の往来も盛んであり、かつては宿屋や船大工も存在していたとか。

しかしながら近年に入ると、道路の開通や林業の衰退などが重なり、木津呂を取り巻く情勢は変化していきました。

集落を支えた産業は致命的な打撃を受け、それに伴い職を求めて住民の離村が加速し、今ではわずか数戸が残るのみとなっています。」

このYouTubeをご覧になれば、私の撮った写真は、迫力といいますか臨場感に欠けますが、それでもけっこう自分的には感動いたしましたので、記録としてここに掲げます。

離村者の家々は綺麗に取り壊されておりました。
木津呂は筏流しの中継地として栄えた集落であり、また石垣の集落でもあります。
砂州ができるのは川の流れが緩やかに(湾曲)なっているから。このため大量に筏を安全に繋留できたのではないか。

北山川に筏を見ることは、もうありません。しかし見えない筏を見たいと思いました。

なので、一度訪れてnoteにちょこと書いて終わりにはできないと。そういう意味で、これは、私にとって木津呂序章であります。たぶん、ですよ笑

2024.3.21
(2024.4.1記)