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哲学的視点からみるマトリックス

 映画『マトリックス』について知っているでしょうか?見たこともあるかたも、見たことがない方も読んでいただければなと思います。またうろ覚え、自分の中での意訳で書いているため、実際の作品内での会話と異なる点が多々あります。

 こちらはSFアクション映画として人気であり、かっこいいアクションシーンや音楽などがあります。しかし、、今回は、そのような魅力をお伝えしていくのではなく、あくまでもアクションやSFではなく、新たに哲学的な視点で楽しんでいきたいと思います。

 本題に入る前にあらすじを書きます。すでに映画を見たことがある方は「ここからが本題です」まで飛ばして下さい。

あらすじとして

 (だいぶざっとしたものなのであしからず....) 
 主人公ネオは今私たちと同じような世界に日々を過ごしており、そして天才ハッカーであった。主人公ネオはこの過ごしている世界に対して「何か違和感」を感じており、真理を知りたい、それについては「マトリックス」について知ることによって、真理を得ることができるということは分かっていた。なんやかんやあり「マトリックス」教えてくれる、真理を教えてくれる人物に会うことができ、真理を知る道を選択する。

 実は私たちと同じように過ごしていた世界で主人公は生きていたと思っていたが、それはコンピューターが作った仮想世界であった。実際は、現実は人類はコンピューター(AI)と戦い、絶滅に近いまで人口を減らしていた。また、その戦いの中で人間側はコンピューター側に電力を作らせまいと、太陽を覆い、太陽光発電をさせないでいた。それに対抗し、コンピューター側は人間を培養し、人間の生命エネルギーから電気を得ていた。そのために都合良く育ていることができるように都合の良い世界として、仮想空間(主人公が最初暮らしていた世界=私たちが生きているような世界)通称マトリックスを見せられていたと知る。主人公たちはそのマトリックス世界で戦ったり、現実世界に住む人類を救ったりするという話である。


 ここからが本題です。

 そのコンピューターが作った仮想世界(マトリックス)での会話の「目の前にスプーンはあるけれど、実際には存在しない。」は哲学的に言うとイデア的思想と通じるものを感じる。「そこには実際には存在しておらず、その形として存在していると認識しているからこそそこに存在為ているのだ」また、特に一話で感じやすいと思うが、自分の想像したしたことができる(壁を走るなど)ということから、キルケゴールの説いた実存主義にも通じてくるのではないのだろうか。またカントが説いた、物事は一人一人のフィルターでみており、同じものを見ていても見え方は違うという考え方にも通じてくるのではないのか。

 主人公の敵として、エージェント(逃走中のハンターみたいな格好の人たち)が立ちはだかってくるが、そのエージェントの会話として「お前たち人間はウイルスと同じような存在なのではないか?地球にある資源を食いつぶし増殖していく。我々はお前たちを除去する存在であり、我々こそ正義ではないか。自然ではないか。」と主人公に問う。人間がどのような存在であるのかを一般的な視点ではなく、人間外から見た人間(人類)という存在を述べている。

 「支配」と「被支配」についても述べられている。支配側は被支配をコントロールしているが、被支配が存在為なくなると支配する事ができなくなる。それは「支配側」も「被支配」の存在に支配されているのではないか、と主人公と生き残った人類(ザイオンで暮らしている)の長の一人が話す。

 また、マトリックス世界に住む人々の中で、世界が上手く回るようにシステムとして生きているNPCがいる。それが言うには、すべての物事には原因と結果が存在し、それは外からの刺激による反応であるという話す。自分たち人間は自らを自らの意志で選択しているのか、、刺激に対する反応、アドレナリン等の分泌物によって考えが行動が決められており、真の自由意志どは存在為ていないのではないかと考えさせられる。ユヴァル・ハラリ著した本には、軍人に対して恐怖心を抱かないようにある体内でも分泌される特定の物資を投与したところ恐怖心を抱かなくなったとも書かれている。人間とはどのような存在であるのだろうか。

 エージェントが主人公に対して、「様々なものが幻想となった今、お前は何のために生きる?どうして起き上がる?」「選択したからだ」という会話がある。思考によって人生が意味づけられるのではなく、行動によって意味づけられるのだというようにもとらえることができる。行動(選択)こそが重要である。これはアドラーの説いた「目的論アプローチ」にも、臨床心理学である「認知行動療法」にも通じるのではないのか。

 物語の最後として、主人公は敵側のコンピューター側と交渉を行い、「コンピューター側も人間の存在が必要であるだろう」と言い、休戦という形で落ち着く。それは全てを解決したという形ではなく、新たなバランスをつくる礎となったのである。この考え方は、小説家、哲学者カミュ(最近で言うと『ペスト』の著者)のいう不条理。「人生に意味はない」という考えにつながっていく。明確な最終的ゴールがどこかに存在為ているのではなく、人生とは繰り返しであり、その不条理性をみとめることが最初の一歩であるのだ。

 また、1話の話だが主人公に真実(実は人類はコンピューターと戦争をしており、荒廃した世界である。)と教えたが、仲間であった一人がその真実、コンピューターに狙われながら荒廃とした環境で暮らすのに嫌気がさし、真実を知ったことに後悔し、敵側のエージェントに仲間を売る。小さいときに見たときにはこの人は裏切り者であり、悪いやつだと思っていた。しかし、本当に「真実」といわれるものを全ての人間に伝える事が「正しい」のか。一人一人に信じたい、信じている「真実」がある。それを否定し、これが本当の聖なる「真実」を突きつけることが正しいのだろうか。

 ここには紹介できなかったが、他にもあるだろう。哲学者も他にはニーチェなどほかの方の考えにも似ている点があるだろう。

マトリックスを見るときのおすすめは

 日本語字幕にし、(なぜかというと吹き替え版だと、言葉のニュアンスや意味が理解しにくかったりするからだ)と下記の本『哲学史見るだけノート』を読んでから見ることをおすすめする。両側ページにイラストがあり、その哲学者のエピソードをまとめながら、楽しくわかりやすく、読みやすいだろう。そこまで字数も多くはない。

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最後に 

 マトリックスは哲学好きには是非とも見て欲しいし、興味が無い方でも見てないよーていう方は1話が特におすすめであり、冒頭でも書いたようにアクションや音楽がsoクールで皆さんにお勧めしたい作品である。また、DVDで見る場合は、その当時の撮影方法も描かれており、その点も興味深く面白い点である。


 

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