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『違国日記』軽めの感想。孤独と静寂の情景

『違国日記』読んでください。ほんま。お願いします。

私は本や映画などで出てきた素敵な言葉を日記にメモする習慣があるのだが、一時期『違国日記』のセリフを書き留めすぎて自分の日記が違国日記セリフbotになったことがある。

『違国日記』を読んだ人はそれぞれのキャラクターに共感したり気づきを得たりするだろうが、私がいちばん共感したのはダイゴで、いちばん励まされたのは槙生ちゃんだった。
ダイゴの小さい頃の写真。突っ伏すダイゴになぜか自分を重ねてしまった。


私は孤独、というか誰かと喋りたい時に誰かがいないことがとても怖いので、孤独が全然平気な槙生ちゃんを羨ましく思い、そして槙生ちゃんがそれでも苦しみながら生きているところに励まされた。
孤独が平気な人もいるけど、その人にはその人の苦手や恐怖を覚えることがあるのだと思った。


朝の孤独(静寂)は砂漠で表現されている。えみりは海岸、笠町くんは森林?
しょうこちゃんはミラーボール(のあるところ、クラブ?)と言った。
みんなそれぞれ孤独の情景が違う。
私は他人にこういうイメージの質問をするのが好きなので、身近な人に「あなたの孤独の情景は?」というアンケートをとってまわった。
サンプル数は多くないが、やっぱりみんなそれぞれ違った。
真っ白の部屋の中、月が出ている夜道、田んぼの真ん中、学生時代の教室………
それだけで人を理解できるわけではないけど、孤独の情景はその人があまり表に出さない部分を理解するきっかけになる。そして、私たちがひとくちに「孤独」と言う時、人はそれぞれ違うイメージを持ちながら話し合うことになるのだと興味深かった。

私の孤独は深海、もしくは宇宙。共通点は光がなくて息ができなくて音がなくて漂うことしかできないこと。逆にいうと、目をつぶってようか開いてようが関係なくて、他人から隔絶されたところで誰の意見も気にしなくて良くて、嫌な匂いも嫌いな音もしないような、立ってなくてもよい、上も下もない、そんなようなイメージ。あと悪く言えば逃げられなくて、良くて言えばつつまれてるような。
私は孤独を抱えるイメージじゃなくて、孤独につつまれているイメージを持っているらしい。気づけばそこにあるものというか。

孤独でずっといると寂しいのだけど、他人とずっといてもきつい。私は他人と一緒にいたいという朝ちゃんではないし、他人といるより一人でいたい槙生ちゃんでもない。

孤独との向き合い方、付き合い方がまだ成熟していない私は、もう少し自分と葛藤し、苦しむのだと思う。
死ぬ時はみんなひとりと誰かはわかったように言うけど、私は死ぬ時の話をしてるんじゃなくて生きてる時の話をしてるんだよね。


ここで、私の好きな『違国日記』セリフ(文) 三選

「この先あなたが
誰を好きになっても、ならなくても
それは罪ではない」
4巻 page.18

「わたしを大切に思いたい気持ちも
あなたを大切に思いたい気持ちも
欲望や落胆
あるいは祈りと
ときに見わけがつかないほどに混ざりあって
ただ大切にする
という
だけのことがこんなにも難しい」
4巻 page.20

「自分が誰で
何を愛して
愛さなくて
どうやって…生きていくのか…
わかる日がくるのかなあ」
6巻 page.26

ホラ、すぐbotと化すじゃないですか。

あと余談ですが、最後のあの槙生ちゃんから朝への詩、あれで荒井由実の「空と海の輝きに向けて」が頭の中で再生されました。

『違国日記』を読んでる人を見かけるとなんかすぐに「(私にとって)いい人」認定をしてしまう。


映画化するらしいので、見に行きます。
孤独につつまれて。

おわり

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