バレンタインと寿司(#23)

 チョコレート、ハート、ハート、チョコレート。
 こんな日は寿司屋でさえチョコレートとハートで溢れかえっている。
 最初に注文した生ビールはすっかりぬるくなっており、もう飲む気にはなれない。一方、正面に座るエミリは何杯目かわからないアルコールを何皿目かわからない寿司とともに流し込んでいる。今はハイボールとエビアボカドか。

「何も今日みたいな日に振らなくてもよくない?」

 エミリがグラスを置いた衝撃で重ねられた皿が揺れた。エミリのメイクはもうすっかり崩れ、落ちているにもかかわらず、泣き腫らした目元はアイシャドウの付けすぎのように、酔って真っ赤になった頬はチークののせすぎのように見えて可愛らしかった。

「バレンタインだよ! バ・レ・ン・タ・イ・ン! 世の恋人たちがせっせと愛を育む日になんで振られなきゃいけないの? せめてずらすよね? ほんと気遣いができないし、それに、それに......」
「エミリ、もう水にしな。お寿司も食べすぎでしょ、吐いちゃうよ」
「瑞稀うるさい! それに二股かけてたなんて......悪いのは全部あのクソ野郎なのに私が振られるってどういうこと? どう考えても振るのは私の方だよね? なんで、なんで私ばっかり、う〜......」

 グラスをしっかり握ったまま、エミリは机に突っ伏してまた泣き始めた。
 昼からずっとこんな調子だ。電話越しにすすり泣くエミリから事情を聞かされ、すぐに駆けつけた。今日が日曜日でよかったと思う。
 泣き止まないエミリを励ますために、奢ってあげるからと回転寿司に連れてきたらこのありさまだ。閉店まであと1時間か。仕方ないとことん付き合おう。

「私はうざかったんだって。束縛も強いし、スマホも見るし、わがままも言うから。勝手に家に来るのも、なんでもない日に呼び出されるのも嫌だったんだって。でも私のこと好きなら全部許してくれるはずでしょ?」

 エミリはよく彼氏を試すような真似をした。90分待ちのパンケーキが食べたいと言って、あと5分ほどで店に入れるというときにやっぱりかき氷がいいと別の店に再度並ばせたり、大阪に行きたいとねだって、旅行の計画を立てさせておきながら当日になってやっぱり鎌倉がいいと言ったり。
 モテるエミリは歴代の彼氏をさんざん振り回し、いつも最後には振られている。最短3日、最長3ヶ月だ。
 
「せっかくブラウニー作ったのに、瑞稀と一緒に材料買いに行って作ったのに、私もチョコも捨てられちゃった......」
 
 エミリは真っ赤になった肌に涙と鼻水とよだれをつたわせながら落ちるように眠ってしまった。昨日はあんなに楽しそうにしていたのが嘘のような醜態だ。
 昨日は簡単に作れるキットが買いたいと言われ、免許がないエミリの代わりに車を出した。それなのに商品を見た途端簡単そうだからいちから作ると別の専門店に連れてかれ、スマホで色々調べるうちに、思いのほか用意するものが多かったことに怖気付いてやっぱりもう出来上がったのを買いたいとデパートに行き先を変更され、催事場をぐるぐると見て回った結果、愛を込めるなら手作りが一番だと最初の店に戻された。
 家に帰ってきたら帰ってきたで米も炊けないエミリにひとりでできるはずもなく、チョコの湯煎からラッピングまで手伝うはめになった。いや、もう私が作ったと言っても過言ではない。けれどもエミリはちゃっかり自分の手柄にし、手伝ってくれたお礼にと出来の悪いブラウニーをくれた。自分は太るからいらないと言っていたので押し付けられたに近いのだが。

 童顔のエミリの寝顔は普段よりさらに幼く見える。私はため息をひとつつき、エミリのすっかり崩れた前髪をすきながら耳元に近づいた。

「エミリのこともチョコも、私は捨てないよ」
「ん〜......でも好きだったんだよお......」

 酒臭い息も愛おしかった。

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