【初投稿】初めて文章を晒す。

さて、ぬるっとnoteを始めてみようと思う。そもそも人の目にこの文章が触れることがあるのかが一番の不安ではあるが、書いてみないことには始まらない。

改めて、はじめまして。書店員Aと申します。名前の通り、書店で働いています。特記することはこれくらいしかない。

ということで、今回はnoteを始めた理由について書いてみる。

なぜnoteを始めたのか?

ここまできて何となくお察しかもしれないが、僕は文章力が無い。少なくとも、人に読ませるような力はまるで持ち合わせていない。自分でも途中で読むのを辞めたくなってしまうのだから、第三者が読んで面白いわけがないのだ。これこそが、noteを始めた最大の理由である。

文章を上手に書けるようになりたい。

どうすれば上手になるのか。僕の中で一番効果があると考えた方法が「文章を公共の場にさらすこと」だった。その公共の場こそが、僕にとってはnoteだったのだ。

文章を見てもらうプラットフォームの一つにTwitterがある。140字という制限があり、なおかつ「いいね」という数字として表れる指標、そして拡散力のある「リツイート」の機能もある。数字で賛同が得られてより拡散力のあるTwitterは、一見すると文章を晒すのに適しているように思える。ただ、この「いいね」は本当に「いいね」という気持ちを込めて押されているものなのか、少し疑問に思うことがあった。

…簡単に押せすぎでは??

いや、ただのボタンなんだから簡単に押せてしまうのは当然だ。でも、爆弾の起爆スイッチもまた、感情というレイヤーさえ塗りつぶせてしまえばポンと押せてしまう。この二つの例を並べてしまうのはいささか無理があるとは思っているのだが、言葉も爆弾のようなものだろう。

仮にTwitterで今と似たようなことを始めたとして、「いいね」がもらえるようになっても、「これは感情が乗った『いいね』なのか?既読感覚じゃないか?」と僕の軟弱な精神がささやいてくるに違いない。

一方、noteにもいわゆる「いいね」の機能があるが、最大の違いは「手間」にあると思う。確かにこちらも「いいね」は簡単に押せる。だが、「文章を読んで理解する」という行為がどうしても必要になってくる。これが僕の言いたい「手間」である。

noteはそもそも、「文章を書きたい人」と「文章を読みたい人」が集まる場所だとおもっているので、その手間をかけることに抵抗感だったり躊躇したりがないのではないだろうか。むしろ流し読みであまり理解をせずに「いいね」を押す行為のほうが、抵抗が生まれるかもしれない。「いいね」をしたり引用して拡散するという行為を、ちゃんと感情というフィルターを通して行ってくれるという信頼がここにはあるのだ。


これが、僕が文章を晒すのにnoteを選んだ理由である。

ここまで書ききった達成感で自分をごまかしているが、「なんで文章がうまく書けるようになりたいのか」とか、「文章を晒すことが上達の近道だとい思ったのはなぜか」といったことに全く触れていない。これについてはまた今度書くということでどうか許してほしい。今日はまだ、初心者という最大の特権を使わせていただこうと思う。

ところで、初心者といつまで名乗っていいのだろうか。

初心忘るべからずという言葉があるのだから、一生名乗っていても誰も怒らないだろう。うん。



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。のんびりと続けていきますので、どうかよろしくお願いいたします。

書店員A





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