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「先生」というワードで、私にとっての偉大な先生を思い出しました。


学校の先生。
義務教育を通る限り、誰もが出会う先人。賢人。それが先生。

学校の先生になりたいと思ったことなんてなかった。
関心なかった。
なんでかな。
学生の頃、先生に煙たがられている気がしていた。


いや、確かに煙たがられていた。

突然、憎々しげに睨んできた先生の顔、今も覚えてる。
廊下を歩いていて私の姿を確認した途端、回れ右して去っていった先生もいた。
母親が来る三者面談の時に限って突然攻撃的になった先生もいた。

先生なんてろくなもんじゃない。
ホント関わりたくなかった。
なんの期待もなかった。
その頃の私は、逆に自分がどのような生徒なのか、なんて考えたこともなかった。
普通としか思ってなかった。

小学、中学と無気力に無気力に登校だけして
高校2年生になった。
担任は奥田先生。
白髪のワンレンボブのおじいちゃん先生。
目がめちゃつり目で三日月の目。
にや~っとしててドラネコみたいだった。専門は化学。
めちゃ特徴的な先生で、名物先生としてテレビにも出たことある先生。
でも私には関心なかった。

ある時何かの用事で奥田先生に呼ばれた時に、化学の成績が悪いことを指摘されて、どうして出来なかったんだ?と聞かれた。

それは私がバカだからですよ、なんてニヤついて言った私に奥田先生はこう言った。

「そうか。それじゃあ明日から毎日質問に来るように。」

マジかー。

あー、自分の事バカだからなんて言うんじゃなかった。


でも私は根は真面目だったのかもしれない。何故なら次の日から質問しに行くことを始めたからだ。
毎日。

質問をするからには
質問を作らなければならない。
ということは、勉強しなければならないということだ。
化学の教科書とにらめっこして。
2、3個それっぽい質問が作れたら
その日の勉強は終了。

たまにどうしても質問が浮かばない時は、
問題集の問題に書いてある「撹拌」ってなんですか?
とか
カレンダーに書いてあった「さんりんぼう」ってなんですか?
とか、しょーもない質問をしていた。

この毎日の先生訪問は、高校を卒業するまで続いた。

先生は大概、職員室か科学室の隣の科学準備室に居た。

変わった(というか、変。)先生だった。

ある時、化学準備室に不思議な植物の実のようなものが網に入れてぶら下がっていた。
これはなんですか?と聞く私に、
それは、◯◯というんだよ。
女性器に似ているから飾っているんだ、なんて言って私をギョッとさせた。
定年間際のおじいちゃんなのに何考えてんだ?って思ったけど何故か許せた。

ある時はもう早々に準備した墓石の写真を見せてくれた。
その墓石には、「核反対」と彫られていた。
素敵ですね、なんて思いも出来ず、お世辞も言えず、無言でその写真を眺めて終わった。


ある時から、お正月は奥田先生のご自宅を訪ねるのが定例となった。
クラスメイト何人かで。
昔の卒業生も来ていてなかなか賑やかだった。
先生はいつもと変わらずニヤニヤのドラネコの顔で迎えてくれた。
これまた同じようなニヤニヤのドラネコのような顔の奥様が毎回お手製のちらし寿司を振る舞ってくれた。
堅苦しかったけど、なんだか嬉しく楽しかった。


奥田先生は、「奥田ニュース」なるものをいつも作っていて、
高校を卒業してもそれが送られてきた。
短大に進学した私は、卒業後も何回か先生の所に訪ねたりもしたが、そのうち少しずつ足が遠のいた。
「奥田ニュース」が送られてきても開封すらしなくなった。


私の頭の中から奥田先生は消えていった。



それから約20年後。
奥田先生が亡くなったという訃報を受け取った。

私は結婚して、窮屈な同居をしながら4人の子育てをしている時だった。
私は同居家族に気兼ねして、子供をお願いすることが出来ず、奥田先生の葬儀に参列することを断念した。



でも。
すっかり忘れていた割には
想像以上の打撃だった。


高校生の頃、無気力で全くやる気も起きず、人への思いやりの欠片もなかった私も親となり、
夫や子供とのやりとりから愛を学び始めていた。


奥田先生とのやり取りを思い出すのと同時に、他の先生から受けた不愉快な対応も思い出され私の頭の中でぐるぐる回り始めた。


突然、私は理解した。


その頃の自分がどうしようもないくらいダメな人間だったんだってことを。
学ぶ姿勢なんて全くなくって、自分の事しか考えてなかったんだということを。

だから、いろんな先生に嫌がられていたんだっていうことを。

そして、その中でたった1人
そんなろくでもない私の事を
全く否定せず
全てそのまんま受け入れてくれたのが
奥田先生だったんだということを。


大人になって初めて私は声をあげて号泣した。
どうして私は、先生が亡くなる前にこの事に気がつけなかったんだろう。
どうして理解するまでにこんなに長いことかかってしまったんだろう。
どうして私は奥田先生に連絡をとるのをやめてしまったんだろう。

そんな事より!
奥田先生は、本当に本当に、なんて偉大な先生だったんだろう!


奥田先生に拾ってもらえた私は幸せ者でした。
そして、何十年も後ではありましたが、その事に、そして奥田先生の偉大さに気付く事が出来た私はこの上なくラッキーだったと今は思っています。


私も、奥田先生が私にしてくれたように
誰かの全てを全部そのまま受け入れて
その人の生きる力を信じてあげられる
そんな人間を目指します。


実は今日、仕事で
小学校の先生をされている産婦さんと話をしました。
今、私は学校の先生ってホント素晴らしい仕事だな、って思っていて。
その事を書こうとしたのに
奥田先生のことを書くことになってしまいました。

書くことって本当に面白い事です。







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