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身代わり狸物語  「第5話」

 7 クリスマスイブ

 クリスマスイブだというのに、お母さんの財布には、二百五十円の硬貨しか残っていませんでした。
お父さんは、社長の友人の建設会社の依頼で、十一月の初めから年内いっぱい、突貫工事をやっている東京の会社に出稼ぎに行っていました。直接、社長さんに頼まれ、仕方なく独身の二人と共に上京しており、この家族には、給料日の十二月二十六日まで、この二百五十円で乗り切っていかなければなりません。
 四歳の三郎が、ケーキが食べたいとお母さんにせがんでいましたが、二百五十円では、一個のケーキが買えるかどうかわかりません。
「ち、ち、近くのスーパーなら一個二百五十円のチーズケーキがあったよ」
 と小学校二年生の次郎が目を輝かして言いました。
「せめてクリスマスイブだから、一口ずつでもケーキが食べたいよ!」
 と僕達が言ったので、散歩がてらに、お母さんと四人でスーパーに買いに行くことになりました。


 スーパーの近くまで来た時、いきなり次郎が……、
「か、か、書き取りのノートが終って、あ、あ、明日新しいものを持って来るように、先生に言われていたんだ!」
 と少しどもりながら騒ぎ出しました。
「残念だけど、学校のことが先ね! お正月にはお父さんが、お土産をたくさん持て帰るので、我慢、がまん……」
 とさも残念そうに、笑いながらお母さんが言いました。


 太郎は、次郎と三郎を連れて、学用品売り場に行き、百円のノートを買いました。辺りを見渡すと、無理やりついて来た三郎がいないのに気づき、二人でそこら中を捜しましたが、どうしても二階では、見当たりませんでした。
「そ、そうだ、一階のパン屋さんにまだいるかも知れない」
 と次郎が叫んで、階段を走って降りていきました。

 予想通りパン屋さんの一角で、一箇所をじっと見つめながら立っている三郎を見つけました。
 太郎が三郎の目線をたどって行くと、そこには、半額百五十円と書いたビニール袋に入った三個のメロンパンにたどり着きました。
「兄ちゃん、ケーキはもういらないから、このメロンパンを買ってよ」
 とさも宝物でも見つけたようなキラキラと輝いた目で、太郎の目をにらめつけてきました。
「こ、これなら、さ、さ、三人が一個ずつ食べられる」
 と次郎が相槌を打ちながらも、自分がノートを買ってもらったために、ケーキが買えなかったことを少し反省していました。
 太郎は、お母さんはどう言うだろうと一瞬考えましたが、お父さんが日頃から…、
「お前は長男だから、弟達の面倒を見ろよ……」
 と言われており、今度、東京に行く前にも、
「お父さんがいない間、家族をよろしく頼む。お母さんの手助けをしよ!」
 と何度も、何度も、頼まれておりました。太郎は、長男の威信を守る上からも、待ってくれとは言えず、このメロンパンを買ってしまいました。


 お母さんは、屋外の駐車場で待っていましたが、子供達のそれぞれの言い分を、一人ずつうなずきながら聞いて……、
「それは、良かったわね。ちょうどいいのがあって、早く家に帰って、お茶でも沸かして食べましょう」
 とニコニコしながら答えてくれたので、太郎は、ひそかに胸をなで下ろしていました。

 夕方の広々としたスーパーの空き地には、 先ほどから降り出した粉雪が所々白く積んで、声を出しながら四方に駆け出して行く人々で 雑然としていました。
「久しぶりに、大雪になるかも知れないわね!」
 とお母さんがさも寒そうな声を出して、三郎と次郎の肩を抱きかかえながら、小川の小道に出て、みんなで鼻歌を歌いながら家路に着きました。
 太郎は、メロンパンを買うと決断したことでお金が一銭も無くなってしまったが、これで良かったのかと迷いながら、少し薄暗くなった小道の先頭を歩いて行きました。その状況を察したように、お母さんが…、
「お金は、天下の回りものよ! 皆が健康でさえいれば、無ければ無いように生きられるものよ」
 と笑いながら言いました。

 日頃から言っている、お母さんの口癖の意味が、小学校四年生の太郎には、まだ、良く理解できませんでした。


 その時、黒いものが山側の方に小道を横切りました。太郎は、薄暗くなってきた中で、目を凝らしながら山側の少し深い溝の中を確かめると、そこには、黒い動物がうずくまっていました。
「お母さん、ここに何かいるよ」
「あら、何かしら。犬や猫では無かったわね」
 としゃがみこんでよく見ながら……、
「これ、狸じゃない。こんな所に狸がいるのかしら?」
 とさも不思議そうに言いながら、次郎と三郎にも見るように促しましたが、二人とも怖がって近づこうとしません。
 太郎が勇気を出して良く見ると、狸は真ん丸い目をしてこちらを振り返りました。
「この狸、弱っているんじゃない。怪我でもしているのかしら……」
 とお母さんが言いました。
「お腹が空いているのかなー」
 と恐る恐る近づいてきた三郎が、お母さんに尋ねました。
「そうかも知れない、食べる物が無くて弱っているのかもね?」


 粉雪は、一段と激しく、溝の中にも容赦なく振り込んでいました。
「可愛そうだから、僕のパンを少しあげる」
 と三郎が小さな手で、メロンパンの端を少し千切って、溝の中に投げ込みました。
 狸はオドオドしながらも、用心深くパンの切れ端に近づき、においを嗅いでから、食べ始めました。食べ終わると、三郎の方を上目使いで見て、次のパンを要求するそぶりをしてきました。
 三郎が、また、パンの端を少しちぎって投げると、今度は、においも嗅がずにペロリト食べてしまいました。三郎は、自分の分け前が減って行くのを気にしながら、また、パンの端を少しちぎって投げ込みました。
「可愛そうに、よっぽどお腹が空いているのね」
 とお母さんが言いました。
「三郎、全部をあげたら、僕達なら残りの二個のパンを四人で半分ずつ食べたらいいから……」
 と太郎が見かねて言いました。
 三郎は、少し安心した様子で、残りのメロンパンを溝の中に投げ込みました。
 狸は、いきなり投げ込まれたパンに驚いて、二、三歩逃げかけましたが、クルリと引き返して、大きなパンを口にくわえ、溝伝いに川下の方へヨロヨロと逃げて行きました。
 狸は、小型犬ほどもある親狸で、尻尾のつけ根の辺りに白い模様があることがハッキリと分かりました。
「あっ! 家で飼っていた、あの狸じゃないかな?」
 と太郎が、懐かしそうに言いました。
「き、きっとそうだよ! あの時の狸だよ」
 と次郎と三郎が声をはずませて言いました。
「パンは、すみかに持って帰ったのね。きっと家には、お腹を空かした子供達がいるのよ」
 とお母さんが安心したように言いました。


 クリスマスイブは、メロンパン二個のわびしいものになりましたが、一本のローソクに照らし出される四人の顔には、幸せに満ち満ちた明るい笑顔が浮かんでいました。



8 狸の親子

 二十六日の夕方、夕食の買い物に行くお母さんに、三郎がついて行きたいと言いだしました。スーパーは、自宅前の国道を三、四分歩いてから、川沿いの小道を十五分くらい行った所にありました。国道は、大型のダンプなどの通行が多く大変危険でした。
 そこで、太郎か次郎が家いる時は、三郎も一緒に留守番をさせられることが多かったのですが、今日はどうしてもついて行きたいと言い張って頑張りました。
「一緒について来ても、何も買ってはあげないのよ。今日は随分と寒いし、国道が危ないから、お兄さん達と留守番すればいいのに……」
 と笑いながらたしなめましたが、ついて行きたい理由が分かっているので、お母さんは、三郎が長靴を履くのを玄関で待っていました。
 昨日の夕方、隣のあつ子ちゃんが、お母さんと買い物に行ったとき、川沿いの小道で、狸らしい動物を見たという話が、子供達の話題になっており、兄達の話を三郎も聞いていたからでした。

 一昨日、降った雪が、川沿いの小道にはまだ所々に、少しずつ残っていました。
 三郎は、国道を通る間、お母さんと手をつないでいましたが、川沿いの小道に入った途端に手を離して、そこら中をキョロキョロと何かを探すように、お母さんの前を歩き出しました。
 先日、狸がうずくまっていた所まで来ると、草に覆われている深い溝の中をのぞき込んでから……、
「いない! 今日はいないよ、お母さん……」
 とさも残念そうに、お母さんの顔を見上げました。
「狸さんも、今日は寒いから、お留守番しているのよ、きっと!……」
 とお母さんは笑いながら、名残惜しそうに溝の中を覗いている三郎に、暖かくてやわらかい手を差し伸べました。

 三十分くらいで夕食の買い物は終りましたが、それまで黙ってついてきていた三郎が、出入口近くのパン屋さんの前まで来た時、急に足を止めて、お母さんの買い物袋を引っ張りながら、メロンパンを買って欲しいと言い出しました。
「何も買わないと言っていたでしょう?」
 と言いながらも、お母さんの目は、いつもと違って、優しく笑っていました。
 財布から百円硬貨を一枚出して三郎に渡しながら……、
「一個だけよ。これで明日のおやつはなしね」
 と少し皮肉った言い方をしましたが、もう三郎には、お母さんの声は、耳にはいりませんでした。
 お母さんには、家を出る前から、三郎の行動が逐一分かっておりましが、それが動物愛護の気持ちから出ていることを理解していたので、これでいいのだと自問自答していました。わざわざパン屋さんのある出入口から出たのもこの考え方からでした。


 三郎は、一個のメロンパンの入った紙袋を抱えながら、小走りで帰路につきましたが、買い物をしていた三十分余りの間に、冬の日はとっぷりと暮れて、街灯に照らし出された川沿いの小道が白く光っていました。
 草におおわれた深い溝の底は、薄暗くて何も見えませんでしたが、三郎はメロンパンを少しちぎっては、何度も何度も投げ込んでいました。
「今日は寒いから、狸さんも来ないのよ…」
 と言って、お母さんが三郎の手を掴んだ時、溝の底の方で、白いものがチラッと動きました。お母さんが、溝の上のほうの垂れ下がった草を掻き分けて、街灯の明かりでよく見ると、尻尾のつけ根辺りに白い模様のある、あの狸が、丸い目をしてこちらを見上げていました。また、その狸以外にも、小さい黒い塊が二、三個動いているのがハッキリと見えました。
「あら、狸の親子ね。子供が、二、三匹はいるわ。」
 とお母さんが、三郎の身体を支えるようにして溝の中を覗かせました。
「いるいる。赤ちゃんがいっぱいいるよ……」
 と三郎は、目をキラキラと輝かせながら、メロンパンを小さくちぎっては溝の中に投げ込みました。メロンパンが、残り少なくなったのを見計らってから……、
「暗くなってきたから、また明日ね」
 と名残惜しそうにしている、三郎の手を優しく引っ張りながら家路につきました。

 三郎は、帰宅するなり玄関から居間まで走り込み、テレビを見ている太郎達に甲高い声で叫びました。
「太郎兄ちゃん、狸の赤ちゃんがいっぱい! い、いっぱいいたよ」
 と興奮して、少しどもりながら報告すると、太郎も次郎も信じられないと言う顔をして、
「お母さん、本当、本当?」
「た、狸の赤ちゃんが、い、いっぱいいたって、本当なの?」
 と玄関の戸締りをしているお母さんの肩越しに、太郎と次郎が声をそろえて聞きました。
「ええ、いたわよ。この間の、尻尾の白い親狸と子狸が二、三匹はいたわね」
「ああ、僕も行けば良かったなあ……」
「と、と、隣の敦子ちゃんが言っていたことは、本当だったんだ!」
 と二人ともさも残念そうに言いました。
 お母さんも三郎も、今日、狸にメロンパンをやったことは、とうとう口にしませんでした。

 このことは、隣近所の噂となり、夕方になると、お菓子やパンの切れ端を持った親子が、川沿いの小道に来るようになりました。狸は、三匹いたとか、四匹だったとか言われましたが、夕暮れしか出てこないことと、草におおわれた深い溝に出てくるため、その日によってその数が違っていました。 

 結局、二匹の親狸が三匹の子狸を連れて来る。大きい方の親狸の尻尾の辺りに白い模様があるということが定着した噂となりました。
「お父さんとお母さん狸に子狸が三匹なら、うちの家族と同じだね」
 と太郎が言うと……、  
「そうね。子供は全部、男の子かしら? そうなら、うちの家族と同じね」
 とさも親しそうにお母さんが言いました。

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