どちらも同じ穴の狢
他者を貶めないと保てないのプライドみたいなもの
都知事選が終わって、少しずつではありますが、多くの人がお祭り騒ぎから日常に帰っていくわけですが、それに反比例してTwitterみたいな単文投稿系のSNSでは「◯◯信者は〜」だとか「◯◯に投稿したヤツは低脳」みたいなヘイトの香りがほのかにしている、マウンティング系の投稿を幾らか目にしてしまいます。
そういうのを目にしてしまうと、ああ、この人も自分と違う誰かを頭から批判しなければ、自分を保てないのかも知れないな、なんて、残念な気持ちになってしまいます。
それが、過去にであっても、自分の交流のあった人であったとしたら、本当に残念で残念で仕方がないと思ってしまうんですよね。
でも、それは自分も通ってきた道なので、そこから別のものの見方に気がついてくれるといいなぁ……、なんてことを思ったりします。
議論になるとリスペクトが突然なくなる傾向
自分にも経験はありますし、今でもそうなってしまう可能性はあるのですけど、議論になると他者に対してリスペクトが突然なくなって、上で述べたような反対側の意見や主張を貶めるだけで終わってしまうような人が多くて、それを読んだらしているとゲンナリしてしまうんですよね。
今回の都知事選なんかでも、「現職の再選を阻止できなかったのは、◯◯を支持するようなバカが沢山いたから」みたいな、まあそんな意見を多く見かけたんですけど、多分若年層からの得票が多かったこともあって、「若えヤツはセージなんてわかんねえよなぁ! だからあんなしょーもない候補に投票してしまうんだ!」みたいなことを思っているのだと知れません。
でも、その口で「若い人こそ投票を!」と言ったりする人もいるわけで、つまるところ賛同されないことに対しての憤りの理由を、相手の要素に向けているだけに思えるんですよね。
若かろうが年寄りだろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、一票の重さは変わらないはずなのに、その意見へのリスペクトがなくなるってのは、なんだかとても残念です。
短文投稿サイトの弊害
SNSというよりは単文投稿系のTwitterだとかの普及で見えてきた弊害なんですけど、論を重ねないで、言葉の強さやインパクトだけで批判する人が多くなった気がするんですよね。
いくらリプライやリツイートなどで意見の交換ができるにしても、何かの意見をある程度論理的に書いていくには、以前の百四十文字縛りは向いてなかったし、文字の制限がなくなった最近であっても、APIの制限やらなんやらで、やっぱり議論には向いていないプラットフォームのように思えたりします。
まあ、その前に僕も含めて日本人って議論というかディベートに向いてない気がしますし、特に意見の相違を人格攻撃のネタにしてしまう傾向がやたら強い人が多い気がする(肌感覚ですが)ので、ツール以前の問題かも知れませんが……。
どちらも同じ穴の狢
結局は、同じなんだと思うんです。
「◯◯に投票するバカ」と批判だけする人や、「若えヤツは」と見下す人は、自分が批判した対象よりも愚かなことをしていると思うんですよね。
何故なら選挙という事柄に対してネガティブな印象を植え付けるだけで、なにもメリットがないから。
まあ、僕の意見でしかないですけど、どちらも黙って投票だけすれば、わざわざ相手を威嚇せずに、自分の意見を票に乗せるだけにしておけば、視覚化した罵声をみっともなく撒き散らすことなく済むんですけど……。
もしあなたが、僕の記事を気に入ってくださって、もっともっと僕の記事を読みたいと思ってくださったとしたら、できれば支援をお願いできませんか?