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みなさんこんにちは!改めて自己紹介をさせていただきます!


《まず初めに》

名前は、多田 明広(ただ あきひろ)といいます。
南池袋で、
「豊島区民の健康寿命を延ばすお店」
Vita ricca(ヴィータリッカ)
というオーガニックセレクトショップを経営しています。

経歴から申しますと、25歳で起業のため上京しWワークをしながら経営人生を邁進してきました。脱サラまで4年半かかりましたが、30歳で脱サラして更にいけいけな人生に、、、とはいかずに、一気に事業規模が半分以下になるなど大きな挫折も経験しました。

その失敗もあり30代前半は朝から晩まで走り回り、とにかく負債を取り返すために我武者羅に出来ることは何でもチャレンジしていました。
毎日眠い目をこすりながらの仕事をしていたのを今でも覚えています。

結果なんとか負債分は取り戻し黒字転換、34歳では法人化しその翌年には結婚もしました。念願だった小売店を出店したのはその2年後になります。コロナの影響もあって路面店が閉店を余儀なくされている時期での出店。周りからは心配の声をたくさんいただきましたが、ここはリスクをとり挑戦を選ぼうと覚悟を決め店舗出店!

売上は赤字にはならないギリギリな状態からのスタートでしたが、毎月売り上げを更新していきながら右肩上がりでやってきています!

思い通りにいかない人生ですが、毎日が最高にスリリングで楽しい日々を過ごしています。そんな40年間の人生の中でもVita riccaにかける想いと、一番大切な家族のことまずは書いていきたいと思います。

《店舗への想い》

自分が小学生の頃の話に戻るのですが、
実は小学生の頃は小児喘息を患っていて、月に2・3回は深夜に喘息の症状が出るので母に車で大学病院に連れて行ってもうらうといったことを繰り返していました。季節の変わり目や雨の日、外出して少しでも埃っぽい部屋に行ったときには必ず症状が出てしまう状態でした。なので外出の際は必ず吸入器を持ち歩くのは必須で、見た目と明るさとは裏腹にかなり病弱で繊細な子供だったと思います。

あの時に両親の負担を考えると本当に感謝しかなく、毎回大変な思いをしながら育ててくれたことに感謝の言葉しかありません。ありがとう、父さん母さん♪

そして中学生になり体力が付いたのか、その頃から喘息の症状は出なくなりました。良かった良かった、、、と思いきや、続いて椎間板ヘルニアになります。友人と遊んでいた時に高いところから飛び降りたことが原因です。自業自得なんですが、、、

入学早々にヘルニアになってしまったので、部活動にはまったく参加することが出来ずに仕方なく帰宅部へ。幸い両親が腕利きの整体師の方を見付けてくれたおかげですぐによくはなるんですが、青春時代のスタートを見事におおこけした状態になってしまいます。

とまぁそんな幼少期を過ごした多田少年なんですが、喘息や身体の不調といったことを経験し、いかに健康的に過ごせることが当たり前ではなく有難いことだなと痛感します。そして現代は自分の幼少期の頃よりも環境問題の変化や食生活の変化などあらゆるシーンが変わってきました。結果的に身体に問題を抱える人の割合も増えているので、それに対しての何か出来ないかという意識が日に日に大くなっていきました。

社会人になりサービス業の仕事に従事していましたが、いつか昔の自分のように健康問題に悩む人に対して何かお役にたてたらと考えます。いつか機会がきたらと。
意外とすぐにそのきっかけが訪れます。それは25歳の社会人3年目。今後のライフイベント(結婚)に対して悩んでいた時、相談に乗ってくれた友人のF君がそのきっかけになります。悪友で大学時代は色んなことを一緒にチャレンジした彼がきっかけになるとは夢にも思いませんでした笑。
人脈を大切にすることも改めて大事だと振り返る機会にもなりました。

そのF君をきっかけに経営者の方と話す機会が増えます。いつかいつかと思ってい健康問題を解決する為の「何か」を探していた自分にとってその出会いが人生の大きな転機になります。
その出会いと変化、その後の話はおいおい記載しますね。

これが大事だったと言えるのは「人のご縁を大切にすること」「願望に素直になって挑戦すること」だなと振り返って思います。

ILL(池袋リビングループ)に外部出店した時の写真
店内でワークショップを開催した風景

《家族の話》

自分は神奈川県伊勢原市という小田急線のちょうど真ん中に位置する町で生まれました。横浜は大都会ですが、同じ神奈川でもこんなに違う?というくらい落ち着いた町で、家族や親族に囲まれて育ちました。

人に愛されて育った幼少期だったと感じます。

父親が市役所、母親が小学校の先生

父親は大学を卒業して役所に勤めてから定年退職まで働き切った方で、母親は長女が産まれたタイミングで専業主婦になり、自分たち兄弟3人を育ててくれました。祖父と祖母も一緒にいたので、毎日楽しく充実していた記憶が今でも鮮明に思い出せます。

自分が社会人になり、世の中を知ってからは両親の素晴らしさを知りました。40年間も一つの場所で勤め上げるというのはとても素晴らしいことだと心底思い、父親をとても尊敬してます!感謝の言葉以外思いつきません!

「自由」で「明るい」という言葉がぴったりというくらい今のベースはその頃があったから出来ているなと感じます。

祖父は戦争経験者でお酒を飲むとその話ばかりしていました。小さい頃は全く興味を持てずにいましたが、大人になってからはそういった話が聞けるのも大変貴重なことなんだと知り、お酒を飲みながら祖父の話をたくさん聞いていました。将棋が好きで、小学生の頃は毎日祖父と将棋を打っていたのも楽しい思い出です。

祖母は自分が保育園の頃60代でなくなっているのでほとんど記憶がありませんが、遺影の笑顔を見るととても愛情深く自分の幼少期を母親と一緒に育ててくれたんだなと思います。ありがとう、おばあちゃん♪

父はおっちょこちょいで、いつも母親に突っ込まれている姿を見ていましたw天然なのでしょうか?なにか抜けてるんですが、そこが大好きな父親の一面です。厳格な父親というわけではなく、どこかフレンドリーで憎めない父。そんな父としっかり者の母のやり取りは毎日とても楽しい時間でした。

幸せいっぱいで育ててくれた家族に大感謝し、これからも経営の道を邁進していきます!

今後も宜しくお願い致します。

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