自分のやりたいこと優先でやめろと言ったことも繰り返す

先月、重要な記念日で私はプレゼントをしたいと思っていました。
ですが、忙しく何を渡せばよいか迷っているうちにとうとう当日になってしまいました。
当時、かなり双方忙しい状況だったので、家族からは記念日のケーキはいらないから、寄り道せずに帰ってきて、と前日にお願いされていました。

しかし結果から言うと、私は約束を破り、当日ケーキは買わないまでも店舗でプレゼントを購入してしまいました。
そのプレゼントもブランド物の化粧品でしたが、本当に必要としているものではなく、家族を激怒させ、深く傷つけてしまうことに。

というのも、このような行動は今までに何度か繰り返してきており、今回に限ったことではなかったからです。

私の家庭は金銭的に余裕があるわけではなく、家具や寝具も使い回しているなど、嗜好品にお金をかけていい状況ではありません。
ですから、家族からすれば、そんなブランド物よりも生活必需品を必要としていたわけです。
もちろん、それは家族からも言われていました。

では、なぜそんな状況で私はまたブランド品のプレゼントをしたのか、なぜ約束を破ってまで寄り道したのか、それには特性が多いに関係あります。
今回の件で、家族は激怒する一方で、どうしてこのようなことをしたのか、大変ありがたいことに一緒に考えてくれました。

まず、自分のやりたいこと、やらねばならないことが最優先になってしまう特性があります。
今回、記念日のプレゼントをなんとして渡したい、渡さないといけない、という強い気持ちがあり、人の気持ちを押しのけ、その気持ちが最優先になりました。
これはADHDの衝動性ゆえかと考えています。
そして、この衝動性の根底には普通の人ができるプレゼントで相手を喜ばせたい、をなんとしてもできるようになりたかったというコンプレックスがありそうです。

そして、それを否定することができなかった理由に、全体像が見えていないASDの特性があると考えています。
もし、全体像が見えていれば、ここでブランド品にお金をかけることがいかに無意味かに気付けていたでしょう。
家族からは、山へ登るという大きな目標のなか、ルールを破って寄り道する人とまっすぐ登る人を客観的に見て、どう思うかという話をしてもらい気づきを得ました。

プレゼントにブランド品を選んだ理由には、固定された学習パターンのASD特性が関係していると思っています。
女性へのプレゼントといえばブランド品、ということを何かしらで学習し、過去にそれで喜んだ、という経験があると、それにすがりたいという気持ちが存在しています。
今回、家族からは家具や日用品が欲しいと言ってくれたものの、自分の中でそれは記念日に渡すべきでないと勝手に思い込んでしまいました、こらこそパターン思考だと思います。

まとめますと、どうしても記念日はプレゼントを渡さないといけない、という衝動的な欲求に駆られ、プレゼント渡すならブランド品という固定観念に縛られ、全体像が見えていないがために自分の行動のおかしさにも気づけなかった形です。

これを何度も繰り返しており、自分の身勝手な欲求で本当に迷惑をかけています。
これは家族に諭してもらったことですが
自分でプレゼント考えて渡すという行為は自分には難しい、と諦めることも努力が必要だと理解しました。

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