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『不登校』だった僕

今日の掘り起こし

テーマ:不登校って何してた?
予想:変に悩みながら誰にも会いたくない状態
結果:意外と冷静で大人と話すのはイヤじゃ無かった
今後:当時の感情をみんなに知って貰う?

・・・・

小学校5,6年生あたりの合計1年間ぐらい学校に行っていません。

私のイメージではこの頃に

『不登校』

という言葉が流行ってきたような?(1990年後半)
(悪い意味でいじめが原因の何かしらが多くなってきた、
表面化されるようになってきたイメージ)

私が学校に行かなくなったのは、いじめが原因ではありません。

それと、この時に学校に行かなかった事は、
後悔とまでは言いませんが、

学校行っとけば良かったかな?どうなってたのかな?

と思う、人生の中でも考えてしまう大きなイベントではあります。
(ここで自分の記事になっているので、行かなかったのもまぁ良いのかな?なんてw)

いじめでは無いのになぜ1年間学校に行って無かったのか?

これについて考える時に、
考えるタイミングによって結果が変わる事がある。
という事に実は気づいています。

しかし自分の掘り起こしなので
まずは今の38歳の私が、
当時の自分が感じていたことについて掘り起こします。

・私が学校に行かなくなったのは
これは結構自信があって、
当初は風邪か咳か(インフルエンザなどの病気の可能性もある?)
で学校を休んで10日間ぐらい学校に行かなかったんだと思います。
(さっきまでの自信はどこへ・・)

恐らくこれがきっかけで学校に行きづらくなった。
って結構周りからは言われてましたけど、
実際は、

行かなくても良いんだ

と思い始めました。

それで、咳をしていると学校に行かなくて良かったんですよ。
多分初めは熱が出ていたんですけど、
熱はいつまでも出なくて、
次の表現としては、
咳を出すって事でした。

これは頑張って咳を出しました。
でも病院に行ったら先生にはバレました。

無理矢理咳出すなって。

それでもがんばって出しました。

でもさすがにこれで1年間も不登校を続けられませんよね?

そうすると、どっかのタイミングで学校に行かない宣言をしたんですね。

なるほど、

確かにどっかのタイミングで
周りからそういう扱いをされ始めたような気がします。

そういう扱いをされて始めてから、
何度か同級生が家まで迎えに来てくれることがありました。

『ありがとう!みんなと一緒に行く!』

ってなると思う?なめんなよ。

こっちはそんな軽い気持ちで不登校やっとんじゃないんじゃいっ!

その頃から考え過ぎる性質があった私は、

大人の差し金だろ?

お前らの本心で迎えに来てるワケ無いだろ?と
たいそうひねくれていました。
(先生、みんなごめんね。。)

それで家にいる時に何をしていたかというと
本を読むか、テレビを見るか。

本は小説で、兄の部屋と姉の部屋にたくさんありました。
(何を読んだのかというのもいずれ掘り起こしてみようかな?)

テレビは、テレフォンショッピングをずっと見てました。

これは今でもなんでか分からないんですが、
ループされている、

ずっと同じ番組

ループを毎日見ていたので、セリフすら覚えてました。
なんでそんなに見てたのかなって思うんですけど、
内容としても

惹きつけの導入
問題定義
解決
サプライズ
時間限定

これらの番組作りに魅了されていたんですかね?w
(もしかして今の動画制作の参考にしてる?w)

他にも次に何が出てくるってわかっている優越感?
(ビデオとかじゃないと同じ内容のものを見続けるって出来ないですもんね)

・・・・

そんな生活をしていて、両親はどうしていたかって?
父が個人事業主で、それを母が手伝っていたので
日中は1人だけの時間が多かったです。

兄姉が上にいましたが、
1人暮らしをしていたので
私は基本的にひとりで家にいました。
(いや、どう計算しても姉は家にいたはず..どんな記憶になっているの?)

ここまで読むと、
両親が甘やかしすぎだとか思う人もいるかもしれませんが、

ややこしいですよね。
こんな子どもと付き合っていくのは。

と私は思います。
だからあんまりそんな風に思わないで貰いたいです。

学校側も当然困っていました。

先ほどのお友達朝迎えに行かせる作戦の他にも、

・保健室まで一回来れば?作戦
これは一回行きました。
でもめっちゃ後悔した覚えがあります。
保健の先生と話すだけだと思っていたら、
他の先生が来たり、同級生が来たり。
めっちゃ裏切られた気持ちになりました。

・授業以外イベントに参加しない?作戦
これも参加したかもしれませんが、
あんまり記憶にないです。

・学校の先生が授業を教えに家に来てくれる
当時はめんどくさかったですが、
これは25歳ぐらいになった時に

猛烈に感謝をし始めました

先生の義務でもないですよね?こんな生徒の世話。
でもこれに感謝をし始めたのは、
祖父が、

『あの先生は大事にしろよ』

って言ったからです。
おそらくこの言葉を聞いていなかったら、
今でも感謝してないです。
2人に感謝。

他にも学校に行かせようとして
いろんな事が行われていたんだと思いますが、
今思い浮かぶのはこのあたりでした。

これを書きながら思ったのは、
保健の先生と話すのは、

イヤじゃ無かったんです

大人と話をすることは決してイヤじゃ無かったんですよ。
でも多分、友達とかと話をするのがあんまり楽しく無かったんですかね?

私が時々思い出すことの中で、
学校に行かなかった理由の一つに、

全員が同じ方向を向いて
授業を受けているのってなんかイヤ

って感じていたのがあります。
これは後付けの可能性があるので、
正直に受け取って良いのか今となってはちょっと微妙。
(でも今考えてもちょっとイヤだなと思うからあってるかも)

先生に指示をされている感じ、
全員が同じことを学んでいる感じ、
これがあんまりピンと来なかった気がします。

しかしこれ、ちょっとカッコつけてる感じしますよねw

もう一つ覚えている事は、

『君みたいな人が学校の先生になった方が良いんだよ』

って教頭先生に言われました。
全然いい気分では無かったし多少反抗心が生まれましたが、

まぁ、そうよね

って当時ちょっとだけ思った気がしますし、
今もちょっとだけ思っています。

そろそろ、どうやって復帰をしたか。

中学生になったら学校に行こう

私はこれだけは決めていた覚えがあります。
そして本当に行き始めました。

あ、
そうだ、
こう思ったのは、
とある朝に、あまり不登校について声を出していなかった父が、
朝部屋に来て、

『このままでは寮のある学校に行くことになるよ』

って言われました。
寮がイヤだなぁって思いはしなかったですが、

・・・そろそろかぁって思いました。w

中学生になったら行こうと思ったのは、
クラスメイトが変わるから。

では無いです。

田舎なので、全員同じ中学校に行きます。

ではなぜ中学校から?
これは私にも分からないです。

ここまで掘り起こして分かったのは、
父に言われたからかなぁ?
って思っているぐらいです。

不登校の理由って多分もっと複雑化されていて、
絶対的に人間関係だとは思いますが、
この繋がりや関係がツールや多様性とかでややこしいんですよね?
30年前の私の時と比べものにならないぐらい。

子どもの頃の不登校はこんな感じで、
大人になったらあまり詳細は覚えていないってなります。
(いじめだとかの理由の場合は超絶違うんだと思いますが)

でも、子供が学校に行かないって心配でしか無いですよね。
ちなみに私は3人目の子供なので親も多少の余裕があったから、
そんなに慌てていなかったのかなぁなんて思います。

この掘り起こしって、やっぱりちょっとしんどいですね。
何歳になっても。
決して自慢出来る事じゃないからかな?

実はね、
これ以外にも大人になってから
周りに聞いて始めて知ったこともあるんです。
それを聞いて、

あ、確かにそんなことあったかも

って思い出したこともありました。

もし興味があれば教えて下さい。
出来るだけ明細に記憶を掘り起こして、
当時の私と今の私をお見せ出来ればと思います。
誰かの助けになるかな?
という気持ちと、
自分の自信を取り戻すという当初の目的も
果たしたいと思い思います。

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