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【紀行文】日本最高峰の博物館に沼る! 再び国立歴史民俗博物館へ

歴博は佐倉城址の中に聳える白亜の城のようだ

 千葉県佐倉市の歴史民俗博物館は、二つの川の合流地点に築城された要害である佐倉城址の中にある日本最高峰の博物館である。都心から電車で約一時間の距離にあるここは、あまり交通の便が良いとは言えないが、それを押して訪れる価値のある素晴らしい博物館だ。
 二年ほど前に訪れ、その内容のすばらしさに感動し、このnoteにもその思いを綴った。この感動をぜひ家族にも味わってもらいたく、先日共に再訪した。改めてこの「歴博」のすばらしさを語りたい。

第一展示室 先史・古代

 まずは、前回も、最も時間をかけてじっくりと見た先史・古代の展示室へ。何しろボリュームとクオリティがすごい。来館者は皆、ここでこの歴博のレベルの高さに感動し圧倒されるのではなかろうか。
 ビジュアライズされた分かりやすい解説版が、ダイジェストで人類の歴史を語ってくれる。

先史・古代をテーマにした第一展示室がもっとも見ごたえがある
人類は壮大な時間をかけてアフリカから極東まで移動してきた
大陸と地続きだった時代、おそらくは徒歩で渡ってきたのであろう

 日本の土壌は一般に酸性土壌であるため、骨が残りにくいようだ。旧石器時代の幕開け前、どのように日本列島に人類が渡ってきたのか、それはいまだに謎であるらしいが、私は良質な石器を求めて世界中を渡り歩いた人類がやってきたのではないかと思っている。

数万年単位の壮大な歴史に心躍る

 ナウマンゾウやオオカミがいた時代、列島にいた人類は狩猟生活を送っていた。そして一部堅果類などを採取し、初期農耕もしていたらしい。

展示コンセプトや時代区分に関する説明もわかりやすい
リアルな展示がこの歴博のウリだ

 黒曜石などの石器を上手に使い、皮をなめし、骨を使った裁縫道具で服を縫製していたらしい。ある程度高度な文明と道具の使用があったようだ。
 様々な用途に合わせて加工された石器が出土し、それを年代順に並べていくと人々が工夫をし、技術を発展させてきたことが分かる。

このリアルな再現。出土した人骨から当日の人類の輪郭を再現している
石斧とあるが、実際は畑を耕すような形で使用されたらしい
黒耀石を巡る列島の人々の旅がロマンを掻き立てる

 列島に渡った人類は、道具として欠かせなかった黒耀石を求め各地を旅していた。それは各地の遺跡で発見される黒耀石を分析することで産地が分かるからだ。良質な産地として信州などの中部高地が知られ、また伊豆諸島の神津島からも多くの黒耀石が運ばれていったようだ。
 中部高地には、最近、実際に黒曜石の採掘現場としてしられる星糞山を訪れ、今も驚くほど豊富に散らばっている黒耀石をみてきた。
 世界的に見ても、中部高地の黒耀石の品質は良かったようであり、これを求めて多くの人々の交流ネットワークができていたのであれば、自然と日本列島には文明が発達し、やがて世界的にも特徴的な高度な「縄文文化」が花開いたのかもしれない。
 私が注目しているのは、約3000年前に世界で初めて「農耕」が始まったとされるシリア地方との関係で、そのシリアでも日本の黒耀石によく似た良質なものが採れたらしい。この黒曜石の産地と世界文明との関係が、現代の人類につながっていく「文明化」のカギを握っていると思っている。

豊穣なる縄文文化世界

 この歴博にある資料は、ほとんどがレプリカだ。しかしその再現度は高く、しかも当時の姿のままを見せてくれる。銅は酸化し変色するが、その変色後の緑青のイメージが強いが、ここではピカピカの剣や武具を見せてくれる。遺物としてではなく、当時どう使われていたかが分かりやすく展示されている。そこが、他の博物館と異なり、臨場感を持ちながら見学できるところだ。

同時代的に世界的にも類を見ない縄文文化といわれる
土偶のスーパースターたちが一堂に会している

 ハート形土偶、縄文のビーナス、そして遮光器土偶と土偶界のスーパースターが並んでいる。それぞれに見た目が大きく異なるが、ぼんやり見ているとなにかしらの共通項、思いのような見えてくる気がした。
 そもそもなぜ、一様に立ったまま正面をみているのだろう。肩がはり、腕を垂らした姿も同じだ。
 私はこのサイズ、形からして、この土偶の両脇をつかむようにして持ち運んだのではないかと思う。掴んで持ちやすい形に成型する、携帯の必要があったのが土偶ではないかと思った。
 だが、その用途はなにか、それについての考察は次のnoteで。

縄文土器の文様や形で地方の特徴がある


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