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土曜日午前中、上野寿湯で流離(さすら)う

土曜日、午後から所要あり、上京。せっかくの上京なので、午前中、上野に出店された知人の店に顔を出した。
一通り会話が終わり、長居も野暮だと早々に知人の元を後にする。
午後の用事まで、裕に2時間以上ある。午後の場所は、目黒だ。30分もあれば、着く。
こんな時は、もちろん、サウナだ。
検索すると、知人の出店場所から徒歩数分にある銭湯を見つけた。
「寿湯」。the銭湯な佇まいに、心の中で自然と歓声が上がる。かっけー!本物じゃん!
店の前は何台もの自転車が停まっている。きっと、地元住民たちの憩いの場所なんだろう。

入り口の大暖簾

こういった昔から営業を続けているであろう銭湯の暖簾は、一種色気の様なものが漂う。新調されていたり、今時のサイト名が記載されていても、色褪せることはない。本物とは、そういうものだ。

下駄箱キーも木札

暖簾を潜ると、威勢の良い「らっしゃいませー」の掛け声が迎えてくれた。
下駄箱に靴を入れ、券売機へ。迷わずサウナ付き+タオルセットを購入。970円。
脱衣所は狭く、ロッカーも狭い。地方の、広々としたスペースを、我が物顔で独り占めできるのとは、状況が異なる。小さなロッカーに、リュック、衣類をかろうじて押し込んだ。
いざ、浴室へ。
混んでいる。これが東京の日常なのか。かろうじて洗い場を一つ見つけ、椅子とケロヨンを持って体を洗った。上京したことで付着した、都会の微粒子が洗い流される。急に、肩が楽になった。
湯船には目もくれず、サウナ室へ。

設置されたTVからは、土曜昼前のお約束、ブランチが流されていた


温度計は95℃を指している。上下2段のベンチ、詰め込んで8人か。
遠赤外線ストーブ、カラカラ高温系。不思議と呼吸は苦しくない。小田急線に長く揺られた体を一瞬で解きほぐす。すぐに汗は音を立てて滴り始めた。
この銭湯、売りはなんと言っても広い露天スペースだろう。露天風呂、水風呂、外気浴スペース。露天スペースを突っ切ると、なんと、塩サウナと洞窟水風呂がある。町銭湯の規模ではない。

都内最大規模の銭湯露天スペース


客層は、比較的若い層が多く見受けられる。しかしながら、当然、地元の年配者も多い。
特筆すべきは、タトゥや刺青率の高さか。海外の客も多く、地方住みの僕からすると、異様な雰囲気だ。
建物自体も古く、1952年の創業だという。周りはマンションに取り囲まれ、露天スペースはそこからは丸見え状態だ。
限界を迎えてサウナ室を飛び出て、水風呂へ。温度計は18℃を指している。う、予想以上に柔らかい!バイブラが効いていて、体の熱を優しく剥がしてくれる。後から調べると、地下天然水を利用しているらしい。東京の水なんて、臭くて臭くて。そう勝手に刷り込んでいた自分を、思い切り責めたい。

外気浴。秋の乾いた冷たい風に撫でられながら、はるか昔、創業当初の時代の光景を想像した。
朝鮮戦争による特需に沸き、戦後の混乱から、一気に発展へと遂げる過渡期。多くの労働者たちに溢れかえる東京。上野という土地柄、訛りのある方言も飛び交っていただろう。治安や日々の暮らしはまだまだ不安定だったとは言え、きっと、明日の日本にみんなが夢を見ていた時代。日本全体が、少しづつ上を向いて歩き始めた時代だ。
今より怖いおじさんたちも多く、全身和彫のや◯ざとかもきっと一緒になって銭湯に浸かっていたに違いない。僕がさっき異様に感じたことも、実は昔から変わらぬ風景だったのかも知れない。
健全な労働者もや◯ざも子供もお年寄りも、裸になれば、感じることはみんな一緒だ。銭湯は、日常の楽しみ、明日への活力。
結果、こう言い換えることができるかも知れない。
「銭湯がなければ、日本の復興は10年遅れていた」

天を仰ぐと、晩秋特有のくすんだ青空が広がっている。こんな土曜の午前中、最高じゃないか。

※下記記事の画像を引用させていただいております。

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