学校教育を教科教育から切り離したら?って話

いつか教育関係の仕事をしてみたい。自分がそうだったからなんだけど、子どもの時って狭い世界でしか生きられなくて、それが原因で起きるいじめ、まあいいところもあったりするんだろうけど、広い世界を見せてあげられるような、そんな場所を作りたいんだ。

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ブログを再開させたと思っていたのに、すぐにさぼってしまった。

書きたいという衝動に駆られるほどの内容も特に思い浮かばないので、昔から考えていたことをここに披露したいと思う。

 

 

自分、小さいころから結構頭良かった。

結構というのがミソで、ずば抜けていいってほどじゃなかった。

そんなにテスト勉強しなくても、校内上位クラスには入れたし、

ちょっと勉強したらトップクラスに入ることは容易だった。地歴はゴミだったけど

 

勉強が出来るだけの頭良いではなくて、要領が良かったり頭の回転が速かったり

奇想天外の発想も出来たりなんなら運動もそつなくできちゃったりするタイプだった。地歴はゴミだったけど

 

だから死にもの狂いで努力という経験を特にしないままでいたら、

あと一歩でこじらせそうな(信じたくはないがもうこじらせてしまっている可能性も)

大人になってしまった。というか今の若者みんなそうかもね。

 

おっと、回想していたら話が横道に逸れてしまった。自分に黄昏る時間はどうだっていいんだった。

勉強するのが好きだったのもあって試験とかにも特に恐怖心を抱いた記憶はなく。

そんな大学入試時代くらいから今現在に到るまでに考えた、

学校教育を教科教育から切り離したら勉強の楽しさ多少は分かるんじゃね?

っていう話をします。

  

概要
どういうことかというと

国語(現代文・古典)、数学、外国語(LSRW)、地歴公民、物生化地

が、それぞれの科目ごとに大学入試で出題されるわけだが、

それを一緒くた、ないしはn緒くた(nは1≦n≦5の自然数)にして出題させたら

受験勉強だけの勉強にならないんじゃないか、ということです。

 

詳細
例えば、受験勉強におけるペストといえば、「14世紀にヨーロッパで起きた疫病」という印象が私の中では強いです。

しかし、この記事を書くにあたってペストをWIKIってみたところ、

 

めちゃくちゃ全世界で古来よりパンデミック起こってるやんけ…

えっ、なに、(14世紀中ではないけど)パンデミック中の疎開がニュートンの三大業績に繋がるの…?

 

という新たな発見を得ました。

こういった歴史的背景を基に他の教科に繋げて出題するわけです。

 

どう繋げるかといえば、

国語/英語ではリーディングの教材としてペスト関連の長文を出したり

数学/理科ではニュートン関連で出題したり

というような。

 

あっ、これ「ペスト」っていう教科になるな…。

この考えが生み出された背景
冒頭で述べているように、地歴とかいう暗記ゲーが嫌いだったわけで。

その時は、本当に作業で覚えるという感覚しか持ち合わせていなかったし、受験にはそれが求められていたから。

 

しかし地理の時間に、各大陸の気候や農作物、工業漁業などをまとめる地理誌なるものを作ったとき、世界史で起こっていた各史実と繋がる瞬間があって、これだ!という感覚に満たされた。それが何だったかは全く覚えていないのだが…。

 

概念的な言い方になるが、点で覚えるのではなく、線、それすらも越えて円での教育を私は受けたかったのだと思う。

人間の記憶の引き出し方的にも、そういった方式の方が優れているんじゃないでしょうかと思ったり。

事象だけではなく、その背景と前景、コンテクストで覚えたり考えたりすることが知能に対する刺激としては良いような気がする。(裏付ける論文とかはない。)

想定されること
・教育の仕方にもよるが、先生の負担が大きすぎる。

各専門だけでよかったのが、全てに精通しなくてはならなくなる。

まあ、全教科に教壇に立ってもらって、自分のターンだけ出てくるみたいな方式も新しくていいかもね。

それか、地歴公民だけでもつなげてみるとか。

 

・歴史を主題にしか勧められなくね?とも思った。

そうでもないのかな?結局学問というのは歴史の上に成り立つわけだし。

 

・より受験勉強だけの勉強になってしまう。広い知識を得られなくなる?

一つの事象から様々なことを掘り下げていく方式だから、その事象を基に受験勉強という形になってしまって、広がりが見えないかもしれない。

 

おわりに
世界史の先生ってそういった歴史小話を持っているし、こんな試みが気付かぬうちにされていたのかもしれないね。そうなると、やはり生徒側の主体性が大切だったのかも。

 

とどのつまり、点での教育により地歴の点数が思ったように取れず、第一志望の大学に通れなかった怨念がこの記事に渦巻いているということでした。

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