遠くを見れば近くがよく見える
大学受験に全部失敗して、原付の免許試験すら落ちた僕にとって、自動車免許の取得は悲願だった。
1浪して入った大学は、公共交通機関で通うにはあまりにも不便で(最寄り駅まで車で20分・バスは1時間に1本・終バスは6時)自動車免許の取得は必須だった。
教習所に通い始めて、初めての実車。
その時に言われた言葉が、タイトルの言葉だ。
「遠くを見て。遠くを見れば近くが見えるから」
ん?
いや、その角を曲がりたいねんから、その角を見なあかんやろ。
なんやったら、ミッションとかクラッチとか、運転するのは運転席なんやから、遠くなんて見てられるわけないやん。
と、思っていたけれど、教習が進めば進むほど、遠くを見れるようになっている自分に気付いたのだ。
そして、遠くを見れるようになればなるほど、運転がスムーズに、楽しくできるようになっている。
これに似たような話が、あちこちに転がってるんじゃないかと最近思うのだ。
僕の仕事は小学校の先生だ。
子供達がいずれくる未来を、幸せに生きられるようにするのが仕事だ。
この運転の話は、子供と関わるときも同じだと思う。
その子のできるだけ遠くを見て関わる。
そうすることで、今の関わりが最適化される。
その時、その場を収めるためだけの関わりと、先をみた時の関わりでは、対応はずいぶん違ってくる。
例えば、宿題を忘れた、という子に対してどう関わるか。
「休み時間にやって出しなさい!」と言ってその日の内に出させるという関わりは、目の前のことを見た関わり。
とにかく今日出させねばならない、という関わりだ。
明日も同じことが起きたら、同じ関わりをすることになるだろう。
「忘れたのはなんでかな?」と問いかけ、一緒に考えるのは、今だけでなく、少し先をみた関わり。
もしかしたら、明日も忘れるかもしれない。
でも、そのたびに一緒に考えることができる。少しずつ変化が起こせる。
「どうすればいいと思う?」と問いかけ、自己決定を促すのは、もう少し先をみた関わり。
先生がやらせる、提示するばかりでは、1年先も同じことを繰り返しているかもしれない。でも、自己決定を促していくことで、自分事と捉えられるようになる。
先生が促す必要がなくなるかもしれない。
指導者がどこまで先を見ることができるか、というのが、その場の対応を変え、それに応じて、子供達が変わるのだと思う。
今、すぐに力をつけようとか、今すぐに変化を起こそうとか、近くを見ていると、そこしか目に入らない。
少し視線を上げて、遠くを見てみる。
変化が起こるのは、先でいい。
そう思うだけで、余裕が生まれる。
余裕が生まれた分、関わりが変わる。
関わりが変われば、姿が変わる。
遠くを見るためには何が必要か?
では、遠くを見るためには何が必要なのだろうか?
教習所で感じたことは、知ること・技術の向上・遠くを見ようとする意識である。
これを汎化してみたい。
1 変化した先の未来を描くこと
遠くを見るには、遠くを知らねばならない。
自動車教習所では、経路設計をしたと思う。
目的地を定め、そこに至るルートを考えたはずだ。
つまり、自分の見ている未来を、目の前の子が生きる未来を描くことが必要だ。社会がどう変化していくか、という大きな視点で全体を捉えなければならない。
2 目の前のことを全力でやること
目の前のことを全力でやる。
目の前の子の現状をあらゆる角度から捉え、その子の未来を描き、今必要なことを考える。
できることをできる限りやるから、できることが増えていく。
やり続けるから、技術が磨かれる。
技術が磨かれるから、より先を見ることができる。
3 変化を急がないこと
長期的に捉え、変化を急がない。
今を途中だと考える。
できないのではなく、今はまだできないと考える。
すぐに変化を求めるから焦りが生まれ、近くしか見えなくなるのだ。
遠くを見ようとする意識が大切だと思う。
より遠くを・より全体を・より根本を
遠くを見れば見るほど、近くがよく見える。
今やらねばならないこと、今必要なことが、意識せずともできるようになる。
若くても、ベテランでも、より遠くを見ようとすることから逃げてはいけない。
つまり、学び続けることから逃げてはいけないと僕は思う。
今自分が見えているものが全てだと思わず、より遠くを、より全体を、より根本を見ようとすることを忘れないようにしたい。
それでは。
Good Luck!!
追伸
今日は3月4日。
僕の先生としての原点があります。
ただ目の前の子に、できることをできる限りやった1年でした。
全ての人に読んでほしい記事です。
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