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アートは実物を見なければ意味がないという幻想

ことのところ美術館になかなか行けない。インターネットの画像や本で作品を見て、考えをめぐらせている。

アートは実物を見なくちゃね!
かつてはわたしもこう考えていた。確かに、見られるならそれに越したことはない。でも時間的または地理的な制約で美術館に足を運ぶことができない人も多数いるなかで、実物を見なければ意味がないと言ってしまったら、「芸術のちからってそんなもんか」と思わざるを得ない。現物じゃないと無意味、これってもしかしてアートを見くびる考えかたなんじゃないか。

インスタレーションをはじめとして、展示空間で体感しなければ鑑賞が難しいものはたくさんある。絵画や写真などの平面作品でも、スケールや質感や色について、複製品では足りないという問題もある。複製品には実物の鑑賞と同じ効果がないのは大前提として、それでも複製品を鑑賞することにも大きな意味があるとわたしは感じている。

そもそも美術鑑賞では、作品から感じ取ることと同様に、作品について考えるという行為がキモだ。展覧会では一度に多くの作品を浴びるようにみる贅沢さが最高な一方、多数の作品に頭を使うのはめちゃくちゃ疲れる。欲張ると思考の精度が下がることもある。

だったら家で画集を広げ、いくつかを詳細に見て考えるのも良い。長く眺めると、展覧会場だったら見落としそうなモチーフにも目が止まり、考えを膨らませることができる。実物を前にしたときの「物質としての作品が放つもの」を楽しむことはできないが、形態にみる作家の試みを感じとることができる。それも立派な美術鑑賞であり、精度はむしろ高まるかもしれない。

わたしは美術館が大好きなので行くと落ち着くけれど、空間に妙な緊張感があるのもわかる。展示室では不安そうにキャプションばかりを見つめている人も多く見かける。それなら家でソファにゆったり腰掛けて、カタログで作品を詳細に眺めるのも良いのではないかと思うのだ。

もちろん美術館大好き、作品は実際にみたい。でも複製品の鑑賞も好きだ。1日の終わりに画集を眺めると、頭をリセットできる。そして家でも鑑賞することで目と思考が鍛えられ、実物の鑑賞もより豊かになる。

なので、実物を見なければ意味がないなんてことはあり得ない。というか、日常においても芸術に想いをめぐらせていたい。だからこの世は画集やカタログで溢れているのです。

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