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対話型鑑賞のことー じっと、見続ける

最後に「しばらくじっと見た」のは、いつか。

私は何かをじっと見るのが苦手。せっかちで、いつも時間がなく、情報収集の強迫観念から隙あらば文字や映像を目で追っている。何かをしばらく眺めるなどご無沙汰だった。

対話型鑑賞を始めて、静止してる対象もじっと見られるようになった。

対話型鑑賞は1990年にニューヨーク近代美術館で開発された教育プログラム「VTS(Visual Thinking Strategies)」の和名。その名の通り対話しながら作品をみる。

話しながら作品をみる。それだけで色んな能力が養われるとして、アメリカでは多くの学校でカリキュラムに取り入れられている。みる力、複合的な思考力、言語能力、聴く力、協働的な問題解決能力を培うことができるそう。

鑑賞の最初、ファシリテーターから作品(の画像)が提示される。みんなで黙って1分ほど眺める。

1つの作品を1分間。長い。丸にちょん、みたいな一見単純な水墨画なんかも、2分間観察する。1分後には対話がはじまるのだから、何か見つけようと真剣にみる。不思議なもので、何か見つけてやるという気持ちで観察すると、何かしら気になるものが見えてくる。

対話型鑑賞でみてきた作品たちは、私の記憶に鮮明に刷り込まれてる。好きだと自認してきたどの作品よりも、ずっと詳細に思い描くことができる。

日々を送るなかで、いかに私は見てなかったか。じっと見ることのできない辛抱の無さ。黙って人の話を聴けなかったり、仕事で早とちりミスを巻き起こしたり、エンタメを「大体こんな感じでしょ」と味わうことなく知った気になったり、自分の目でなく人のレビューを信じて生きたり。見ないことは残念な日々の諸悪の根源か…?

見ると考えるは繋がっていて、じっと見るだけで考えは湧いてくる。自分の目で見ないことは事実に基づいて考えないことで、世界に対する独りよがりかもしれない。私は見ていないことに無自覚だった。自覚した今、日々は少しましだと思う。

対話型鑑賞を経て、最近は何事もまず見る。しばらくじっと見て、そのあとスタート地点に立つ。

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