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毒親サバイバーの身内 01 「君の家、おかしくない?」

はじめに、この一連の出来事は諸事情により、フィクションであると書いておく。

諸事情、諸事情。

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日本ではまだまだ『子どもを自分の思い通りにしようとしてくる親』程度に知られてきたかしらという『毒親』。

毒親とは、この記事を拾って読んでくださっている人はもう周知だろうが、スーザンフォワードの著書『毒になる親』から付いた名詞だ。

私はここでは(諸事情で)敢えて「彼」と書く、毒親サバイバーであるその人の身内だ。毒親の猛毒攻撃真っ只中にある彼を沼から引き上げて、サバイバーの道を並走したのが私である。

好きで並走しようとした訳ではない。はじめは彼の親から歓迎も受けたし、身内らしく我が子(がんで他界した先の夫との子)を連れて訪問したり、メールし合ったり、物や事のやりとりをしていた。

※彼の実家的なところの家族構成=父親、母親、妹、弟、下宿人?の女子ニ人

そうして1年くらいはそこそこ距離を保ちながら一見普通の身内をやっていた。私が妊娠したころからだろうか。彼の父親がやりとりの距離感を縮め始めた。

「産後はうちに来なさい。長男は毎朝車で送るから大丈夫」

私の母は遠方に住んでいるので、助かるなぁ、ぐらいに思って考えていた。

「用意した部屋に慣らしでに泊まってみないか」

というお誘いが来た。ニ泊。彼もそこから職場に通うことにした。

一泊目、出勤する彼を駅まで送った後は私と6歳の長男と彼の家族たちとの1日が始まった。その家には2人の下宿人みたいなアラサー女子もいて、家族として暮らしているのだが、「頭が痛いから」「体が悪いから」と1人ずつ部屋に消えて行った。

半年程見てきて気付いたのだが、どうやら具合が悪く無いと、例え休日でも休めない雰囲気があるのだ。

夕方になり、スーパー銭湯でお風呂を済まそうということになり誘われたが、長男(スーパー銭湯や温泉大好き)がぐずって行きたくないと言うので、我々はお留守番にした。その間ずっと私から離れなかった。私が妊娠していたので不安だったのもあっただろうが、この家の空気が辛かったのだと思う。

お風呂から帰ってきた母親の夕飯の支度を手伝った。いつも父親を筆頭に周りの人達が母親を諭すような言動を取るのが不思議だった。彼女はなんでも虐待されて育ったらしく、彼をはじめとする子供たちにも自分がされたようにネグレクト的な虐待をしたのだとか。みんなで彼女を更生させようプロジェクトみたいな状態だった。私的にはこの母親から特に嫌な思いはしなかった。

彼女、今の私の見立てでは、毒親育ちで、同じく毒親育ちの人と結婚し、モラハラの数々で心が壊れ(もしくは既に壊れていたか)心が考えることを放棄、怒られないようにいつもへらへらと笑みを浮かべたような表情しか出来なくなっている。よく3人も子供を産めたなあ…拒めなかっただろうし、産むしか無かったんだろうなぁ…と思う。被害者なんだが、何もしなかったことで加害者になった人。孫が産まれたときも、かわいいはかわいいらしいが、ペットをかわいがるような感じだった。

話は戻り、ニ泊目を終え、彼と共に三人で帰路に。前々から感じていたが、彼が親に会うたび具合が悪くなるのだ。翌日は仕事を休んだくらいだ。

この頃はまだ、『彼を含む子供たちの心が弱いのは、母親が子供の頃に虐待したせい』と彼の父親に聞かされていたので、よくわからないがそうなんだろうと一度納得してはいた。後にこれが父親からのコントロールのごく一部だと知ることになる。


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