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GYPSY(3)

ミュージカル「GYPSY」

劇場:東京芸術劇場プレイハウス




ジプシーは今日で5回目の観劇!
3回目と4回目のレポートは時間がなくてかけませんでした…笑
しかし!
その間にも感じたことは沢山あってメモにも残してあるので、今日の観劇で感じたことを中心に、今までのまとめみたいな感じで書いていくよ〜。

3~5回目の席はそれぞれ1F K列-3、2F D列-36、1F T列-6。
全部見え方が違う席だったけど、実は後方でめっちゃ見づらそうなT列-6が今までで1番見やすかった。
理由は劇場の造り的に1Fの後方は段差が高めに造られていて、見通しが良かったから。
前の人の頭が被ることは一切なかったし、変にM列とかになるよりよっぽどいいなと思った。


席については簡単に、そんな感じ。


それではいつも通り作品に触れていこー。


なによりも先に触れたいことがある。
大竹しのぶさんのお芝居について。

これはほんとにしのぶさんの役者魂というか、謙虚さというか、素直さというか、、そういうところから来るものだと思うんだけど、とにかくお芝居のクオリティの上がりようが凄い。
偉そうにお芝居の評価なんてお前がすんなよって感じだけど、初日から回を重ねる事に明らかに凄みが増してるのがよく分かるんだよね。みんなも感じてるはずだと思うし。

初日に観た時は「これがしのぶさんのお芝居のアジなんだろう」と思って無視してたところなんだけど、台詞の言い方が台本をなぞってるような(?)言い方で、言葉の抑揚が自然じゃないというか、声量を優先した発声みたいな感じがしてた。映像作品でのお芝居とは違って生の声をお客さんに届けなきゃいけないミュージカルのお芝居だから意識してそうしてるんだと思ってたんだんだけど(そういう意識は今でもあるとは思うけど)、明らかに回を増すごとに台詞の勢いや声量はそのままに、自然な抑揚で話すように変わっていくのが分かった。
さらに台詞だけじゃなくて歌のクオリティもどんどん増していった。特に『サム・ピープル』と『バラ色の未来』。しのぶさんは少しリズムを崩して遅れ気味で歌う特徴があって(たぶん年齢も原因ではある)、ちょっと早口なところはリズムに追いついてなかったり息継ぎが苦しそうだったりしたところがあったんだけど、日に日にそれが改善されていって、今日は全くそれを感じなかった。明らかに肺活量が増えてて1回の息継ぎで歌える歌詞が増えてたし声量もアップしてた。
今まで複数回観劇した作品は何作品かあるけど、公演期間でここまで成長していく役者さんは初めて見たってくらい。しかもそれが大御所の大竹しのぶさんっていうところに痺れる。誰もが認める大女優がまだまだ貪欲に芝居と向き合ってる。本当にどこまで行っても驕らずに努力して、素直に色んなことを吸収し続ける人なんだろうなと思う。これは大竹しのぶさんの人間性がなせる技だよな。
凄い。凄すぎる。

どこかいくちゃんに似たところを感じた。
いくちゃんは多才と言われるけどそれは彼女のとんでもない努力から出来上がってるもの。
どれだけ周りに賞賛されても他人へのリスペクトを忘れることなく自分を伸ばし続けていく。
その結果として人間としても役者としても凄みを出してるんだと思う。
いくちゃんにとってもそれが理想の自分の姿だから、それをずっとやり続けてきて自分以上にできるしのぶさんはいくちゃんにとって理想の役者さんなんだろうなと。
もちろんそれぞれに役者としての良さがある。
でも、役者として、人間としてのあり方の部分では、いくちゃんの目指す理想の役者像の先にしのぶさんがいるような気がする。

最高の先輩と出会ったね。いくちゃん。


少し脱線した。

この流れでローズについても考えていこうかな。

ローズ。強さの塊みたいな人だよね。
誰に見放されても自分を貫いて、どんな手段を使っても自分の夢のために突き進む。
一見独りよがりで自己中心的で最悪な母親だけど、どこか憧れるというか、かっこよくも見えてくる。
それは多分、ローズが自分の人生も周りの人の人生も、全てをかけて夢を追いかけているからだと思う。
よく「自分の意見ははっきり言いなさい」とか「夢のために努力しなさい」とか言われて、それが“いいこと”だとされているけど、実際は意見を言うには周りの目が気になるし、簡単に叶わない大きな夢だと気づいたら現実を見て諦めることが多いもんね。でもそれを諦めず、全てをかけて戦うローズの姿はかっこいい。
でも、それをやり過ぎて多くの人の信頼を失ってしまったのがローズの可哀想なところ。
才能を認めて貰えず、役者としての旬がすぎてしまった自分の“スターになりたい”という夢を叶えるために自分の娘たちを自分に重ね、ヴォードヴィルの世界に縛り付ける。
自分を愛してくれる人も都合よく使い、傷つけてしまう。
悪親だね。魔性の女だね。
でも、どれもこれも全部、自分を認めて欲しかったからなんだよな。
なーーんだ。僕と一緒じゃん。
僕だって有名になれるなら有名になりたいし、凄いことしてチヤホヤされたいし、努力したら褒められたいし、色んな人に好かれたいし、才能を認めてもらいたい。僕だって凄いんだ!!!
こんな思い誰だって持ってる。言わないだけ。
こんなわがまま言っていいのは子供だけ。
自分の気持ちに素直すぎるんだね、ローズは。
だからローズは憎めないし、どこか可愛く思えるんだ。

そして、ヴォードヴィルの世界を心の底から愛しているのがさらに憎めない。
だっていつもステージで1番楽しそうにしてるのローズだもん。
特に2幕の最初にステージの練習をする闘牛ガールズと一緒に踊るシーンとか、最高に好き。
こうやってチャーミングで真っ直ぐなローズだからハービーはギリギリまで彼女のために尽くしたんだろうな。
尽くさざるを得なかったのか。優しいハービーだから。

こんな強くて傲慢でチャーミングなローズだからこそ『ローズの出番』が刺さりまくる。
あそこだけはいつも異次元の空気が流れてるよね。別の世界に吸い込まれたみたい。
ローズの強さと弱さが入り乱れて空気がグネグネグルグルしてる感じ。
あんなのは世界で大竹しのぶさんしか出来ないんじゃないか。ローズの底力としのぶさんの人間力がかけ合わさって生み出される空間だと思う。
とにかく凄い。凄い。
これは生で感じてもらう以外に伝えることは出来ない感覚だと思う。


しのぶさんとローズについてはこんな感じかな。
なんか、自分でしっくりくるように書けなかったなぁ。もっと色んなことを感じれたはずなのに。ローズについて考えるにはまだ自分の人生経験が少なすぎる気がしてる。舞台『宝飾時計』を観た時と似たような感覚。
でも今の自分の考えをちゃんと持っておくのが大事だと思うんだよね。だからおっけー。


ルイーズについてもまた感じたことがあったので追加で。

これもルイーズの強さの部分。
明らかにルイーズってタルサのこと好きじゃん。
でもルイーズがタルサについて語ったり歌ったりするシーンはひとつも無くて、それに悩むシーンもひとつも無い。
これもきっとルイーズの我慢を表現してるんだと思う。
他人に迷惑をかけないように自分を押し殺すルイーズの強さ。
自分の気持ちが外に出ないように、悩むより先に押し殺す。だから語らない。歌わない。

でもやっぱりオハマのシーンのルイーズの表情は心がギューーってなるな。
タルサとジューンが主役の作品、凄かったよな?って聞かれて「私は…観たことないの…」って答えるルイーズの表情よ…。
違うでしょ…観たことないんじゃなくて、観れないんでしょ…ルイーズ…。
タルサが楽しそうに新しいステージの話してたの知ってるもんね。自分がタルサのパートナーになったときのことも想像しちゃったもんね。
そのパートナーが妹のジューンだったんだもん。そりゃないよね。お母さんにもジューンばかり贔屓にされて、恋の相手もジューンに奪われて。
それでも壊れずに気丈に振る舞い続けるルイーズがもう…なんとも言えない感情になってしまう。


そんなことにも触れておきたかったのです。


ここまでで書いてきたローズとルイーズについて。
今度はこの二人の関係について考えてみる。

気になったことは主に2つ。
・演目『母の日』の意味
・ルイーズが使う「お母さん」の意味


まず演目『母の日』について考える。
舞台上の下手には常に場面に合わせた演目が書かれたフリップが用意されてる。
その中で「母の日」は2幕の超重要場面のひとつ。
バーレスクの女王として目覚めたルイーズと、母であるローズの激しい掛け合い。

でも、演目の『母の日』ってどういうことだろう?と思った。
だってそうじゃない?ずっと場面に合わせて分かりやすく簡潔な演目名になってたし、そこがどこで起こっているのか地名も書かれてた。
でもこの場面は『母の日』のみ。
しかもあんなに喧嘩して母と娘の関係が壊れていくシーンにそんな名前付けないでしょ。合ってない。
だからこの演目の名前にもなにか意味があるんじゃないかと思った。

僕の考えはこんな感じ。
『母の日』=『ローズが自分はルイーズの母であると自覚する日』
と同時に、
『母の日』=『ルイーズがローズ(母)から独立する日』

ローズは今まで自分の娘たちを娘としてではなく、夢を叶えるための“自分の分身”として扱ってきた。それがルイーズたちのためにもなると自分にも周りにも言い聞かせながら。
対してルイーズはママが大好きだからママが正しいと思い込み、寂しさにも耐え、自分の気持ちは押し殺してきた。
でも、バーレスクで注目を浴びることの喜びを知ってしまってからルイーズは母の夢に縛られていたことに気づき、「ハッキリさせましょう」と自分の生きる道を自分で決めることを決心する。
これが娘の母からの独立。

それでもまだ受け入れられない母は「なんでだ!」と声を上げる。「あなたの人生かけて戦ったのは何のためだったんだ!」と。
それに対しての娘の言葉。
「私のためだと思ってたよ。ママ。」
これで娘が自分の分身ではないことに気づく(その現実を受け入れる)。
このシーンではローズはこのまま悲しく部屋を出ていくけど、このシーンがきっかけで『ローズの出番』が始まり、最後には娘と和解して親子らしく一緒にステージを出ていく。これはルイーズを1人の大人として(娘として)見ることが出来たということだと思う。自分の知らないうちに(目を背けているうちに)娘は成長し、自分の意見を持ち、親から離れようとしている。そのことに気づいてしまった。だからようやく本当の意味で、ルイーズを娘として扱うことができるようになった。
これが母としての自覚。

だからこの日は『母の日』なんだと思う。


そしてもうひとつ、ルイーズの「お母さん」という言い方について。
ルイーズはずっとローズのことを「ママ」と呼んでいたんだけど、バーレスクでストリッパーとして出演する直前、自分を心配するローズに、「大丈夫よ、お母さん。」と呟いてから、会話の中で「ママ」と言う時もあれば「お母さん」という時もあって違和感を感じた。
これも絶対に意味があるなと思ったから考えた。
これについての考えはこう。

まず、1番最初の「お母さん」とそれ以降の「お母さん」では意味合いが違う。
1番最初の「お母さん」はストリッパーとしてのデビューの直前。メイクをして、可愛い衣装を着て、いつもとは違う可愛い自分を見たルイーズは「私、かわいい女の子だよ、ママ…」と呟く。この時点でこの世界に魅了されているのがわかる。だって今までドレスが着たいと言っても自分は着させてもらえず、ずっと出来損ないとして生きてきたから。自分が輝ける世界を見つけて自信が湧いてきてる。いつもと違う自分で勝負する覚悟も少しずつ湧いてきて、その覚悟が自然とローズからの独立の1歩目に繋がる。だから、その独立の1歩目を暗示するための「お母さん」という言い方なんだと思う。これは意識せずに自然と出た「お母さん」。

それ以降は、ルイーズの意思で無理やり言っている「お母さん」だと思う。
ほとんどが『母の日』での台詞だけど、この時点でもうルイーズは自分の生きる道を決めてる。でもローズはそれを認めず、文句ばかり。ルイーズ自身もこんな道が正しいと思ってやってる訳じゃないし、まだお母さんのことが大好きだからローズの言葉ひとつひとつが苦しい。それでも、今までのどんな自分よりも今の輝いている自分が好きで、このままの自分でいたいと思うから、母からは離れるしかない。だから、母を自分から引き剥がすためにわざと「お母さん」という言葉を使ったんだと思う。
本当は大好きな母を無理やり遠ざけるために意識して使ってるから会話の中のふとした瞬間には「ママ」という言葉が出ちゃうけど。

だから「お母さん」と「ママ」が台詞の中に混在してるんだと考えた。

台詞の中の「お母さん」の意味についてはこんな感じ。どうかなぁ。いくちゃんはどう捉えて演じているのだろうか。気になる。




今日はこの辺にしておこうかな〜。
本当は好きなシーンとかアドリブシーンとかのことも書きたかったけどたくさん考察して疲れてしまった。。。
実は毎回3時間くらいかけてレポート書いてるんですよ()
今回はもう4時間くらい経ってる。笑

好きなシーンは長く記憶に残るしね、次のレポートにでもまとめて。

といっても次がもうラストなんだよなぁ。
5公演も観たのになんだかあっという間。
しかも次は大千穐楽!半月以上先ですね。

いつもと違う毛色のミュージカルで考えることも多めだから体力使う作品だけど、本当に楽しい!
観る人によって色んな捉え方が出来そうな作品だから、色んな人の見解も知りたいものですが。
皆さんもレポート書きませんか?笑
みんなの感想聞きたいよーーー。




ではでは。
また大千穐楽で。

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