断定の助動詞「なり」の話
初めて本来の主旨に沿った投稿をします。
(プロフィールは1番初めの投稿を参照してください。)
実際の授業でのお話です。
うちの学校は中高一貫校なので、中学生から古典の授業があります。みんなよく頑張るなあと感じています。
そんな学校の中学3年生で、断定の「なり」の授業をした時のお話です。
「なり」の中でやっぱり問題になるのは、連用形「に」の形の処理ですよね。「なり」の成り立ちとして、格助詞「に」+ラ変動詞「あり」が約まって出来たという話があります。その名残で、断定の「なり」の前に助詞が来ると、「にてあり」とか「にこそあり」のように「なり」が従来の形に分裂します。ゆえに、「あり」のうえの「に」は断定「なり」の連用形と教科書や文法書では説明されるんです。
これを難しいよなぁと思いながら中学3年生に話しました。すると、、
1人の女の子が元気に言い始めました。おお、なんと面白い喩えをするなと思いました。だから少し乗ってみることにしたんです。
その生徒は、
要するに、助詞が「に」と「あり」を別れさせたくて間に挟まるって事で!!!
この子のおかげでクラスは大盛り上がり。難しくて大変だと考えていた私は、生徒にとても助けられました。
ところで本人は意識していないでしょうが、僕は内心さらに笑っていたんです。それは助詞と女子を掛けたら面白くないですか?
みなさんの周りにはいませんか?カップルクラッシャーの人。
私の経験だとそういう人は中学生の頃に多かった気がします。やっぱり人の恋路を邪魔しようとする行為は未熟な行いなんだろうなと思います。そう考えると中学生たちのそういう話も可愛く見えてきます。
断定「なり」の話には続きがあります。
「に」+「あり」に分裂しちゃうのは助詞の時だけじゃないんですよ。犯人は打消の助動詞「ず」です。こいつ間に入るわけじゃないんです。「にあらず」の形になるんですよ。なんでかはよく分かっていないみたいです。
実はこういう「ず」みたいな人も世の中いますよね。直接的にではないのに、何故か周りを荒らすだけ荒らして破局させる人。こういう場合って悪意がないし、一見気が付かないから責めようがないんですよね。1番タチ悪い笑
かれこれ大学から6年ほど古典文法「やっていますが助動詞を擬人化したことは初めてだったかも。生徒たちに文法や日本語に自覚的になってもらう方法の一つになるかめしれないと可能性を感じた実践でした。
【一首】
瀬をはやみ 岩に流るる 滝川の
われても末に 逢はんとぞ思ふ
崇徳院
仮に別れてしまったとしてもいずれは逢おうというベタベタな恋愛の歌ですね。現実別れたら基本的に復縁なんかしないんじゃ!!とか叫んでみたいですが、でも案外こういう歌嫌いじゃない笑
「に」と「あり」は結局逢えたんでしょうか?
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