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【世の中についてちょっと思うこと】行動力の重要性が高すぎる

 いつもの投稿が、毎回一から構成を考えたり、図を作成したりしていて、ボリュームもそれなりにあり、中々投稿頻度も上がらなかったので、たまには思ったことをつらつらと書いてみるだけの投稿をしてみようと思います。

 「そういう考えもあるのか!」と新しい視点を提供出来たり、「私もそう思ってました!」と共感頂いたり、「こんな内容は間違っている!」と反面教師にして頂けたりすれば幸いです。


 私は行動力には全く自信が無くて、今思えば会社を退職してフリーランスになったこともそうですし、こうやってnoteに投稿ができていることも奇跡的なことです。良くやれていると、我ながら感心するときがあります。

 そんな私が最近よく思うこと、それは今の社会で「行動力の重要性が高すぎる!」ということです。

 兎にも角にも行動をしないと何も始まりません。何かやりたいことがあれば、ただ待っていては駄目です。どれだけ頭の中で行動の計画を練っていても何にもなりません。行動だけが未来を切り開いていく唯一の方法です。

 しかし、特に新しいことをするときに、人は恐怖を感じます。この時、その恐怖の感じ方の度合いが人によって結構違うのではと思っています。その度合いに影響するのが行動力だと思っています。

 行動力の高い人は、恐怖の度合いが比較的小さいから行動に移しやすく、行動力の低い人は、恐怖の度合いが大きくから中々行動に移せない。

 行動力が低い人がぐずぐずしているうちに、行動力が高い人は遥か先まで進んで、やりたいことに挑んでいる。そして、恐怖の度合いというのは慣れの影響も受けて、行動すればするほど小さくなっていき、両者の差は広がるばかりです。

 もちろん、行動力だけで何事も上手くいくわけではないですし、他の能力に加えて多大な努力を払わなければ、やりたいことも成功しないでしょう。

 しかし、行動力の低い人は能力や努力の問題以前に、スタート地点にすら立てないのです。こういう人は、世の中には思ったより多くいるのではないでしょうか。

 私も行動力の低さ故に、自発的に行動することが少なく、ただ流されるままの人生を歩んできていましたが、昨年にようやく、自分のやりたいことをやるべく方向転換ができました。

 一番のきっかけは、会社への怒りでしたが、そこに加えて、どう動けば自分が動きやすいかをひたすらロジカルシンキングで考えたことも大きかったと思っています。

 私は、行動力は才能だと思っています。後天的に習得するのが難しいと思っています。そして、後天的に習得可能でそれを補うことができる数少ない技術の一つが、ロジカルシンキングだと考えています。

 行動できない原因を考えてそれを取り除く、行動しやすい環境を考えてその環境を創り出す、これらはロジカルシンキングを使うことでできることですが、間接的に行動力の不足を補うことができます。

 ただ行動力がないがために発揮されない才能があるのはもったいない、というよりも、この世の理不尽さを感じてしまう今日この頃です。

 

 


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