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若い頃セクハラが気にならなかった理由について考えた。

15〜20年くらい前の若い頃、自分自身が職場で軽いセクハラされたりとか、メディアの女性蔑視的な発言が今ほど気にならなかったのはなぜだったんだろうと考えたとき、わたしは自分を「女性」と性自認していなかったのかもしれないと思い至った。

水商売してる人とか、CanCam読んでモテを意識してるような色気系の人と、自分を同じカテゴリーに入れてなくて、女性批判の矛先はそちらにいってると勝手に解釈していた。可愛いものに興味もないし。わたしは自分自身を「男女」みたいな、特別な生き物だと思ってたような気がする。

だから、女性の権利を主張するフェミニストが擁護している範疇に自分が入ってるとも思ってなかったし、なんだか主張ばかりしてうるさい人たちだなとすら思ってた。(今考えるとごめんなさい)

高校の頃から男性が圧倒的に多い環境にいたから自然と影響を受けてそう思ったのかもしれないが、もしかしたら男性社会に適用するために無意識に価値観を矯正せざるを得なかったのかもしれない。

もちろん身体的には女性だし、そもそもわたしの思ってた女子カテゴリーって、女性全体からしたらほんの一部の特殊な人たちって何で気づかなかったんだろう。

差別されてる感覚がなかったのは馬鹿だけど傷つかない分幸せなことだったのかもしれない。でも結局見下す対象の女子カテゴリーを自分で設定してたのは私のほうが差別をしてる側にいたのかもと思うと情けなくなってくる。

だったらこれからどうしよう。わたしみたいな若い子が差別されても気付いてなかったら、何ができるだろう。今からしっかり考えていきたい。

(この記事にお借りした画像の作品はセクハラなんだろうか。女性が作ったとは思えないけど。画一的な女体描写で不愉快を与えうるからセクハラと言えるんだろうな。でもやはりこの女性が自分には見えないんだよな…)


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