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仕事を辞めるまで。

社会人3年目の4月に私は人生で初めて転職をした。

「あの、私仕事辞めます。」

この言葉を口にするのに、どれだけの精神を削っただろうか。
どれだけ時間を使っただろうか。
今思うと良く耐えてたと自分を褒めてやりたい。
社会人1年目はまだ夢があった。
「この会社でどういう風に大きくなろうか」と。
いつからか私の夢は「1日をとにかく生きる」ということに変わった。
毎日残業しても残業時間は自分の仕事の出来なさからだ、と言われ削って
嘘を報告。
上司からは「仕事のやり方を分かってない」「死ね」「流石ゆとり」と
散々に言われてきた。それでも私はへらへらとした笑顔で「すみません」と言うしか無かった。
私には、相手に今の自分の気持ちを伝えるという武器を持って居なかったからだ。オフィス等では無く、店舗で働いていた為社員は上司と私。他は中高年のパートばかり。同世代が居なく、相談もしずらかった。

毎日がとてつもなく気持ち悪かった。上司の朝の挨拶から機嫌の悪さが分かる。正直子供じゃないんだから御前の機嫌なんか知るか、勘弁してくれ。と言えたら簡単だがそうじゃない。
とりあえずへらへら笑っておけば、いい。
私が夢見ていた社会人とは余りに遠かった。

毎日精神的に攻撃され、パートからも下に見られた。
仕方ないだろう。社員とはいえ経験値はあきらかに違う。
仕事のやり方が分からない。教えてくれる時なんかほとんどない。

私が「生きるのをやめれば楽になる」そう思ったのは遅くなかった。

なんとか耐えながら、2、3年と月日が経ち、
部署異動があっても環境は変わらず、最終的にかけられた言葉は
「御前の親の育て方が悪い。」だった。
この言葉と罵声を浴びせられた私には余りに重く崖から突き落とされたようだった。
私だけならまだしもなぜ、私の親を馬鹿にされなくてはいけないのだろうか。
大粒の涙と今まで耐えてきた何かが溢れた。

もう、いいや。

その日、私はロープと脚立を買い親に黙って車で山道を走り自殺を考えた。

もういいや。疲れた。人の為に必死に笑顔作って、罵声浴びて、私は何の為に生きてるのだろうか。どうせ上司も死ねって言ってたし、貴方の言う通りにすれば私は正解なのだろう。

ロープを太い枝に掛けて考えた。私が死んでも普通の日常がやってくる。
私が死んでもお店は営業できる。
だが、私が死んだら親はどうなるのだろうか。ちゃんと笑って生きてくれるのだろうか。友達はびっくりしないだろうか。
なんだかんだ考えていたら随分と時間が経ちお腹が空いた。

帰ってご飯食べてからまた考えよう。1日くらい死ぬのが遅くなっても構わない。ロープと脚立を回収し、1人で泣きながら帰った。

泣いた顔を手で必死に擦り、親にバレないように顔を戻した。
自殺を考えた後のご飯はとても美味しく、先程まで空っぽだった何かが満たされた。案外単純なのかも知れない。だが、もし死んでたら私は今頃両親の泣き顔を見ていたのかも知れない。

そんな私を見て何を思ったか分からない。その時だけ母が私の前に座り
静かに呟いた。

「逃げることは悪くない。逃げるのはひとつの道。しんどくなる前にずっと怖くて踏み出せない道に少し足を踏み出すのも悪くない。人生死ぬこと以外はかすり傷」

私は思わず笑ってしまった。見透かされた。と言ってもいいだろう。
人生はまだ長い。なのにもう自分で幕を閉じようとしてた。
他にも道は沢山あるだろう。だが、怖い。今よりひどかったらどうしようか。
大丈夫、その時考えたらいい。死ぬこと以外はかすり傷。

次の日私は上司に自分でも驚く程元気に伝えた。

「あの、私仕事辞めます」

あばよ。クソ上司。御前に尽くす私はもう居ない。