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シューベルト以降の交響曲を全部聴こうと思い立ち、現時点(2021.04.17)での状況は次のとおり況です。

          人数    曲数
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作曲家数      324人   2,026曲
聴いた数      163人      708曲
内、お気に入り     55人      278曲 (55人すべての曲数)

聴いた作曲家の人数としてはほぼ半分といったところですが、新たに発見する作曲家は、毎週、20人程度ずつ増えている一方で、聴く方は同じ曲を違う演奏者も含めて数回は聴きますので、週2,3人が精いっぱい。この先の見通しでは、作曲家数は400人、2,500曲程度にまでは行きそうなので、先はまだまだ・・長いですね。

ひとまず、今まで聴いてきた限りで感じるところを記します。

知らない作曲家がたくさん!

私のようなごく普通のクラシックファンであれば、普段耳にする作曲家は、高々、20-30人程度かと思います。しかし、日本ではあまり知られていない作曲家、無名の作曲家も合わせると、1700年以降だけでも、おそらく1,000人ほどにはなるでしょう。
ドイツ、オーストリア、イギリス、フランス、ロシアといった国以外で、例えば北欧系、北米系の作曲家など、まだまだ日本では知名度も低く、録音も少ない作曲家の作品はたくさんあります。

そもそも始めたワケ

シューベルト以降の交響曲を全部聴いてやろう!なんて思い始めたきっかけはプロファイルにも書きましたが、要は、できるだけたくさんの作曲家、作品を聴いて、世界を広めたいと思ったことによります。
毎日、まじめに/BGMとして/散歩のお供に、音楽を聴くのですが、同じものばかりではなく知らない世界ももっと聴いてみたいと思いました。
なぜシューベルト以降なのか、交響曲なのか、については、変な話ですが、どうもベートーヴェン、モーツアルト、バッハといった作曲家に対して、先入観というかトラウマというかどうも苦手意識があって、自分では小中学校時代の教育のせいだど勝手に思っています。交響曲については、これはやっぱり器楽的な総合芸術としての表現形式だと思うからです。
作曲家の中には、ピアノや声楽が本来の姿の方もおられますが、そこは割り切って考えています。また、交響曲を作曲していない作曲家は対象としていません。
いずれにしても、先に述べたように母数が大量なので、このくらいに制限しないとどうにもならないというのもあります。
そのほか、日本人作曲家が含まれておりませんが、これはまた、機会があればということで。

新たなお気に入り

そんな中で、全く知らなかった作曲家の曲で、新たなお気に入りに出会うことの素晴らしさは、まさに宝さがしで財宝を発見したような気分になります。
もともと学生時代にトロンボーンを吹いていたこともあり、やはり惹かれる曲はというと、ロマン派以降、特に後期ロマン派や民族派、さらに新古典主義派といったあたりに集中するわけで、それは今も変わりません。
ただ、近代、現代の曲もたくさん聴いていると、だんだん免疫ができてくるというか、徐々に現代音楽に対する拒否感も薄まり、随分、守備範囲が広がったように感じます。
お気に入りは、曲単位ではなく作曲家単位に考えています。一連の交響曲の中に気に入った曲、面白い曲があって、いつかもう一度聴き返したいと思った作曲家をお気に入りとしています。言い換えますと、未来の自分のために「もう一度聴いてみろよ、面白いから」と伝言することが目的なので、基本的に「面白い/そうでもない」「再度聞いてどう思うかな」といった尺度でお気に入りとしています。

なぜTwitterなの?

どうやって記録を残そうかと考えたとき、一番手軽だったのがTwitterでした。曲の詳細を楽典を交えて解説、紹介したりするわけでもなく、まして曲のあらすじや作曲家の紹介などをWikiのコピペをしても仕方がないので、140文字の制限もありますがあえてTwitterで始めました。
また、140文字の制約内に何かしら書こうとすると、それは結構難しく、特に形容詞のボキャブラリーの貧弱さには我ながら呆れます。これも修行かも。
ただ、Twitterだとどんどんタイムラインが流れて行ってしまい、自身のTweetですらなかなか遡るのが難しいので、今年からnoteに並行して記載することにしました。

世界史のお勉強

それと、実はもう一つ目的があって、歴史がめっぽう苦手で、世界史などぜんぜん流れとして理解できておらず、ついては今回、作曲家のバックグラウンド(といってもWiki程度ですが)と合わせて、周辺の歴史的な背景も関連付けて理解したいなと思っています。でも、世界史の攻略本は何度か読み返したりしていますが、残念ながら、理解は深まっているとは言えません。
実はまだ公開していませんが、作曲家、およびその時代の当事者たちの年代をグラフ化したものがあり、その中に自分の生まれた年を明示しているのですが、同世代の作曲家として認識できている人はほんの少数です、もう定年退職している年代なのに、ね。

聴く順序

聴く順序については特に決めておらず、毎回、リストを見ながらどれにしようかと考えて決めています。というのも、リストはどんどん増えていくし、年代順に聴いたところで、例えば辞書をAから始めてZまで読み通す自信もなく、結果、気が向いた順にランダムに聞いています。
その際、できるだけ全曲の音源がそろっている作曲家から聴くようにしていますが、1900年代中盤以降になると、音楽も難解となり音源も少ないことより、どうしても現代に近いほど聴く機会は減ってしまいます。

作曲の傾向

平均して、一人の作曲家の交響曲の曲数は5-6曲ですが、ほぼ共通して、1番への思い入れというか、少々、頭でっかち、いっぱい詰め込みすぎの傾向がありそうです。長年、ため込んできた「言いたいこと」がいっぱいあったのでしょうね。
また、曲数を重ねるにつれ、作曲家(の精神)が徐々に壊れていく?ようにも感じます。最初から最後までスタイルの変わらない作曲家もいますが、変化の見られる人は大抵、だんだん曲想が抽象化、無調化して、厭世的になっていくようです。

聴いた感想

記事には基本、聴いた感想を書いているのですが、良く知っている曲では、曲自身のことよりも、演奏(家)やオケについての好みや比較の感想が中心となっています。演奏の好き嫌いについては、別途、記事を書きました。

一方、知らない作曲家については、どんな曲なのかを一言で書いたうえで、好みを書くようになっています。特に、現代音楽に近づけば近づくほど、心地よいメロディーもなければ和声やリズムも可変、暗くて重い作品が多くなって、なんとも書くに書けずに仕方なく、といったことも多々あります。

聴いている音源

これだけ色々な作曲家の交響曲を聴くためには、情報とともに音源の確保が重要です。大原則として、一切お金は使わない主義ですので、最初の頃は自分の持っている音源が主体で、非常に限られた範囲でしか旅に出ることはできませんでした。ところが、オンライン商品購入の付加価値として使えるようになったAmazon Prime Music(unlimittedやHDではない)には、いま一つメジャーではない曲、演奏家の音源が結構あり、実にありがたいです。時折、プログラムが変わって、聴けなくなってしまうことがあり、それが残念ですが。
次に、Naxos Music Libraryが大きいですね。こちらは以前より知っておりましたが、サービスを受けるには結構なお値段がする。ある時、それを無償で利用できることが分かり、重宝しています。
そのほか、Youtubeも活用しています。検索すれば、大抵のものは出てくるのがすごいですね。先人たちのおかげでしょうか。
そのほか、先人が運営されているライブラリサイトもよく利用しています。ライセンス切れの音源をライブラリ化されたものですが、このご努力には頭が下がります。
基本的に、お金をかけない主義なので、新たにCDを購入したりはしていませんが、これだけたくさん聴くことができるのは、世の中、捨てたものではありませんね。
音源の品質に関しては、あまり気にしないようにしています。昔は、レコードやオーディオに凝ったこともありましたが、もうそんな時代でもない。レコードはすべて後輩に譲り、ほぼオンライン音源に頼っています。

聴いている環境

聴いている環境としては、メインはPCおよびiPhoneからDAC経由でヘッドホンで聴いています。お金がかかっているといえばヘッドホンだけ。SHUREのSRH1540が気に入ってます。スタジオモニター型というようですが、最初は意味が分からず、最近になって色々比較してみて、その音の情報量の多さは特筆すべきと思います。
音楽の再生環境は原音に対する忠実さだと思っており、「重低音」とかキャッチフレーズにして音の作為性を前面に出すような製品は相手にしたくありません。
その他、室内ではもう30年以上前のTEAC+TANNOYのコンポ、外出時のイヤホンはEtymotic Research、散歩のときは中華BTイヤホンといった環境で、自慢できるようなものではありません。

書き残すことの意味

こうやって、聴いた作曲家、曲を書き残す意味は、自分にとっては非常に重要です。元来、忘れっぽい性格で、それにこれだけのペースで新規開拓していくと、冗談抜きで、今、自分が聴いている作曲家は誰だかわからなくなります。まして、過去に聴いた作曲家、曲の印象も、お気に入りとして繰り返し聞いたもの以外は希薄で、はたして聞いたことがあったかな?、なんて思うこともしばしばあります。
そんな時に、このnoteや別途書き留めているExcelなどを見返してみると、記憶もよみがえり、その時自分が何を感じたのか、どのような生活状況だったのかも思い出すことができます。
そもそも始めたきっかけが、未来の自分への伝言でしたので、確実に伝言できているのは確かでしょう。
いつかはお気に入りに囲まれた生活をしたいなと思っていますが、まだまだ新発見を求める旅が優先しそうです。

旅の経緯はこちらをご覧ください。





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