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以下は、某クラシック音楽コミュニティーでの会話の一部です。
以前より、「音楽性」って具体的に何のことなのか、色々なご意見を聞いてみたいと思っておりましたので、思い切ってコミュニティメンバーにお尋ねしましたところ・・・(太字は私の発言です。沢山の方々より様々なご意見をいただきました)

みなさまのご意見をお聞かせいただけませんか?
「豊かな音楽性」「音楽性あふれる演奏」といった表現をすることがありますが、この「音楽性」って何と説明したらいいのでしょう?
確かに、いくつかの演奏を並べて「音楽性」という概念で相対的に優劣を比較することはできるかもしれませんが、たとえば、公平を期すコンペティションでの評価基準に「音楽性」という概念、評価軸を置いた場合に、何をどのように採点すればよいので しょう? 
技術、サウンド、表現力、解釈、人物、経験・・それらの総合評価?
いかがでしょうか?
「精神性」と同じく、というかそれ以下の意味合いしか持たないマーケティング用語に過ぎないと思います。
そうですよね〜
語彙力のない評論家がバズワードで使いやすいぐらいなゴミ箱概念でしょうか汗💦
確かに存在する概念だと思うのですが、言葉にするとたちまち色あせてしまうので、説明は難しいですね。
役者でいうところの演技力が私の中では比較的近い言葉です。
演技力がと言うならば、ではどこがいいですか?あるいは足りていませんか?と具体的に質問できるので、OK🙆‍♀️🙆‍♂️だと思います。あくまで個人的に思うだけです〜
ユングの言う集合無意識を思い出しました^_^
その言葉を使っている人は、意味を説明できないと思います😆
読み手を煙に巻くための言葉。
たとえば、「音楽性豊か」と思う演奏と「音楽性が乏しい」と思う演奏をたくさん集めディープラーニングにかけて、AIに「音楽性」を評価させることは可能・・意味があるかは別として・・・
批判的に論評するのであれば、「完璧であるが機械的」と具体的に論評してくれれば、場合によってはなるほど!と思えるかも知れませんね〜
先日、こんな投稿あったような記憶が〜
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/spv/1810/23/news052.html
AIがピアノを指導 「音楽の3要素」で演奏を判定――NTTドコモ、「AIピアノコーチ」のトライアル提供を開始
音楽の専門家でもないので,大きなことは言えませんが,同じ楽曲を別の演奏者(たとえばピアニスト)が演奏すると,同じではありません.(当たり前か!) 某ピアニストから,それは楽曲の「解釈」だと聞いたことがあります.(あくまでテクニックが同じ程度としてですが.) 「音楽性」とイコールかどうかはわかりませんが,楽譜上の表現を越えたものがあることはわかります.
🤔 音楽はパーソナルな体験なので、あまり他人の評価は気にしない方が楽しめると思います🙂
「音楽性豊かな演奏」には、重要な視点が抜けています。それは「感じる人間の能力でもある」ということです。必然的に、「音楽性」とは相互補完的なものにすぎないということになる。
「演奏者が表現する音楽性」を、聴き手が感じることができない場合、「その聴き手にとって、その音楽は音楽性が欠如している」ということになるわけでしょう。そういう聴き手が大多数であったとしたら、客観性をもち得る概念ですが、それとて時代が変わると感じとられるようになるかもしれない。
音楽性とか訴える力とか、芸術性とか、これはかなり訓練して又努力して磨きました。元々備わっているものではないかも。
みなさま、短時間のうちに沢山のご意見を頂戴しありがとうございました。理屈好きにお付き合いいただきありがとうございました。とても楽しいひと時でした。私の理解は次の通りです。
「音楽性」という概念はたしかにありそうで、いくつかの具体的な要素も思い当たるが、評価軸として設定できるほど明確なものではない。
努力に裏付けられた伝える側の能力や伝えようとする意志と、それを受け止める側の理解力の双方がうまく結合した状態が「音楽性が豊か」と感じる瞬間であり、それは個人によっても感じ方が異なり、時代によって遷ろうものでもある。
さっき書いておいて、削除してしまいましたが、おそらく、演奏能力ではないでしょうか。楽譜から読み取った音楽を自由自在に弾く上での技巧的な実力ではなく、次の段階である演奏能力=パフォーマンス能力ではないかと。
私の場合は私の心の奥にどれだけ響いたか、そして、心の中にどのような種をまいてくれたか等、自己中心に演奏者を評価してしまう悪い癖があり。困ったものです。簡単に言えば音楽性とは「表現力」でしょうか?私に足りない力です。
ロックグループの解散の理由に「音楽性の違いから」これって仲が悪いからの言い換え。
ということは音楽性とは「作曲家との相性がいい」ということなのかな。
なぜそう感じたを、具体的な音のありかたで語らなければいけませんよね。
私もユングの集合的無意識と関係がありそうな気がしていますが、まだもやもやした概念だと思います。言葉を発するのと受けるのと、あまり違いはないのかもしれません。
最近の評論家はあまり使わなくなったんじゃないですかね。それは今では通用しない用語でもあるんだと思います。
それぞれの時代で書き手と読み手との間の暗黙の了解事項みたいなものはあって、この人が「音楽性」といえば、何となくこんなイメージっていうんですかね。そういうのが何となくあったような気がしなくもありません。
ピッチを重視する人だったら、音が重なった時の調和が良いことを指しますし、リズムを重視する人だったら、タイミングの揃った演奏を指す―のかなぁと思います。……たぶん(笑)
表現力のある楽しい演奏―というのも、間違いではないと思います。
音楽も芸術で、プレーヤーとリスナーのセンスや感受性が必ずしも一致するとは言えないので、これといった答えはないのかなと。。
宇宙と神の謎が解けた時この答えはわかるような気がします(*´ー`)
今の人間レベルでは音楽の持つ謎を解明する事は不可能だと思います。
コンペティションに限らず、究極のところ
聴き手(審査員)の好みの問題に行き着くのかなぁと思います。日々テクニックや表現力、感性を磨くのは当然のことで、それがいい演奏をするための基本であり、評価や比較の対象や基準にはなるのでしょうが。
「伝える力と意欲」を持った演奏者と「ワクワク、ドキドキ」した観客が出会って、期待を超える「音楽性豊かな場、瞬間」が形成されるということのようですね。そこには、ある種の宗教感のような共通した無意識が存在する。そうなると「音楽性」ということばにはもはやあまり意味がないかもしれません。
楽譜に書かれていないことを表現する能力でしょうか…
私にはわからないので使いません。精神性も同じ。私にわかるのは、音が良いか悪いか、面白いか面白くないか、好きか嫌いか、位なものです。
ムード語というか雰囲気語というのか。
明快に誰もが納得するような定義は難しそう。
人間性、ってなんだろう、というのと同じような感じ。
XXさんがおっしゃられる主観的、客観的の両面があるのは(という解釈でいいでしょうか 汗)、人間性でもそういう説明があります。
いい例かどうかですが、
外資コンサルティング会社の人事評価で、仕事能力をいくつかに分類してそれぞれ詳細な評価項目で全部で数十項目。
日本の会社では思いつかないような詳細な項目。
一つ一つの評価は納得できても、それを全部総合して、こうだ、と言われても、結局はクライアントにどれだけ訴えることが出来たか、結果はどうだったか、に落ち着く。
音楽性ですか。こう理解しています。
クラシック音楽の場合、音楽の演奏は楽譜に基づいて行われます。楽譜には音程と音の長さ、音の強弱、進行速度、そして演奏上の留意点が記載されています。
ところでその通りに演奏すれば良い演奏なのか?と言えば、私たちはそう感じません。だから、何枚ものレコードやCD、ビデオを集めることになる。それらの間の違いと言えば、書かれている楽譜の解釈や演奏による揺らぎなどによるものです。
おそらく、この異なる違いを称して、音楽性と呼ぶのではないか?と。
これらの違いは画一的な捉えられ方はされません。Aという人は良いと思ってもBという人はそれほどでもないかもしれない。もしかすると聴く日や時間によっても異なるのかもしれません。だから、同じ楽譜に基づく演奏であっても多くの録音や実演が成り立つのでしょう。
音楽性が豊かということは、これらの違いをもたらす表現力が豊富ということなのではないでしょうか?
音楽性とは「解釈」あるいは「理解」だと思います。楽曲には作曲者の意図があります。その意図をどれだけ「理解」し、どう「解釈」するかが、演奏や歌唱に現れるのだと考えます。個々の演奏や歌唱の違いを我々は楽しんでいるのです。我々日本人は「余韻」を重んじる傾向があります。「欧米のコンサート会場では、楽曲が終わるのを待ってましたとばかり拍手とコールが始まりますが、日本では一拍置いてから拍手が来るんです。どこか間違ったのかと心配になります。」とある指揮者が言って居ましたが、この余韻もまた聴く側の音楽性の現れではないでしょうか?
僕もよく「音楽的に」とブレスを変えていますねm(_ _)m
結局は量子力学で言う「観測の問題」かな。
結果(音楽の評価)は観測対象(音楽)と観測者(評論者)を含んだ系で決まるということ。
・孤立した観測対象(音楽)のみの絶対評価はあり得ない。
・観測者(評論者)の価値観との相関で決まる。
つまり、作品の評論は、評論者自身をも論述してることになります。
もう演奏する立場ではないのですが、審査員から「音楽性が・・」と言われたときに、じゃあ、どうすればいいの?という素朴な疑問をもとに「音楽性」って何?という問いかけをさせていただきました。多くの方々のご意見をいただき、かなり明確なイメージができたと思います。ありがとうございました!
2つのレヴェルであると思います。言葉に比較するとわかりやすいかも。まず文章をちゃんとした抑揚をもって、センテンスがわかるような話し方があります。ロボット?のような平坦なしゃべり方ではなく、自然な話し方です。音楽もそれと同じで、音楽語の正確さというレヴェルがあります。これはいわばアナウンサーの話し方ですが、さらに次の段階、言葉の意味とその解釈から生じる「表現」のレベルがあります。文法的な正確さから、意味内容を伝えるための表情づけ、声色、強弱、速度の変化、間のとり方、等々です。時には表現のために文法的な正確さが犠牲になることだってあるかもしれません。いずれにしても、この2つのレヴェルを混在させて「音楽性」といっているのではないでしょうか。
受け取り手の捉え方や感じ方によって違うでしょう。人によって音楽性豊かにも聴こえるでしょうし、そうでなくも聴こえる。一番大事なのは、自分だと思います。
そうですね、聞き手側の好みや場面にもよりますね。同じ場面を共有した人でも、印象、評価は変わるでしょう。その中で共通したものがあれば、「音楽性」を語れるのかもしれません。
余談です。
バイオリニストの前橋汀子さんが、日経新聞の私の履歴書に連載されています。改めてまとめ読みをしたのですが、奏者として「音楽性」を高めるための要素の一端が読み取れます。技術面の鍛錬は基本として、曲や作曲家、その時代背景の理解を高めること、そのためにコアになる演奏だけでなく、音楽以外にも幅広いジャンルでの知識や経験を得ること、一流の音楽家と接して影響を受けること、そして一流の指導者を得ること(一流の指導者は、これらすべてにわたって適切なアドバイスや支援をしてくれる)。
みなさまのご意見で、「音楽性」は、演奏者、聞き手、そして演奏会という場がそろって総合芸術として発揮されるという結論になりましたが、演奏者が一流たる秘訣を垣間見ることができたように思います。

いかがでしょうか? なかなか話は尽きませんでしたが、プロの音楽家の方も交えた議論に発展して、とても興味深く、色々なヒントをいただくことができました。


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