【調剤室の化学】第1話 酢酸の錬金術

「頭痛に~」というCMでおなじみ、風邪薬バファリン®の主要成分であるアスピリン。

またの名をアセチルサリチル酸というその物質は、炎症を鎮める作用を持ち、解熱剤や鎮痛剤として用いられています。

薬としての歴史は紀元前400年頃の古代ギリシャにまで遡り、古くはアスピリンの原料を含むヤナギの樹皮を治療に用いていたと言われています。

1800年代にドイツの化学者により合成されて以後、鎮痛作用だけでなく、抗血小板作用(つまり血を固まりにくくする作用)を有していることも発見され、今なお様々な患者さんの命を救っています。

そんなアスピリンについて今日は私の失敗談を交えてお話しします。

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それはまさに今日(2021/8/24)のこと。

川崎病という子供の疾患の処方が舞い込んできました。

川崎病は血管に炎症を来す疾患で、その治療にはごく微量のアスピリンの粉を使います。

あまりにも量が少ないので、乳糖という薬効のない添加物を加えてかさ増しするのですが

乳糖と混合した直後、異変に気付きました。


・・・なんか臭い


混ぜた粉から、お酢のような、酸っぱい匂いがするではありませんか。


大元のアスピリンと乳糖の匂いを嗅いでみたものの、無臭です。

ということは混ぜた後に匂いが付いている可能性が高い。

でも乳糖とアスピリンの配合変化も聞いたことがないし…

・・・???

ここで仮説を立てました。

この二つの薬を混合する前、乳鉢(薬を砕いたり混合する時に使う容器)で別の薬を調剤していました。


その薬の匂いが乳鉢にこびりついていたのでは?


いやしかし、乳鉢は洗ってから使っているし、そんなに匂いの強い薬なら、その薬を調剤している間に匂いがしているはず…

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というわけで調べてみたところ正体がわかりました。

<添付文書(薬の情報文書)より抜粋>
本剤は吸湿によって脱アセチル化がおこり、
この際生じる酢酸が更に変化を促進する…

高校の化学でも習うのでご存じの方も多いかもしれませんが、アスピリンはベンゼン環(炭素でできた6角形部分)にアセチル基が2つ結合した構造をしています。

このベンゼン環に結合しているアセチル基は水が入ってくることでベンゼン環から簡単に離れていきます。

そして離れたアセチル基は酢酸つまりお酢(の酸っぱい成分)になるのです。

それはつまり、私が混合した粉から感じた「お酢のような、酸っぱい匂い」は、まぎれもなくお酢の匂いだったわけです。

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原理がわかったところで、なぜこのような事態が起きたのかを考えます。

まさか混合した粉に水を混ぜるはずもありません。

しかし大元のアスピリンの粉が匂いを発していないことから、そこまで急激に空気から吸湿したわけでもなさそうです。

どこから水が発生した…?


…読んでいてお気づきになった方いらっしゃいますでしょうか?


実は使用前に乳鉢を洗っていたんです。

勿論、よく拭いてから混合しましたが、乳鉢は水分を吸着しやすい材質で、紙で拭いても拭き取れない水分が残っていたようです。

そしてその目に見えない、拭き取ることもできない水分が、アスピリンに作用して分解し、酢酸を錬成するという”錬金術”を引き起こした。

これが、互いに反応しない無臭の薬を混合して匂いが発生したメカニズムです。

我々薬剤師は薬の組み合わせに注視しがちですが、医薬品の変化は薬同士の配合変化ばかりではないということを学んだ一例でした。





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