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元ボンボンの地団駄vol27

ある日、良く出来る営業マンGTOから電話が来た。(ここ何回か、この文章での始まり多いですね。。。)

彼からの電話の内容はこうだ。

「マーシーが転職を考えている」

僕はかなり焦った。でも、まだマーシーからそういう報告を受けた訳ではない。でも、GTOの話だと、おそらく本気だと。

さあ、困った。。。これが本当であれば、物流業におもっきり舵を切ったうちの会社にとっては大きなダメージになるし、マーシーの後を誰が引き継ぐのか。。。その日、僕は寝れなかった。。。

次の日、マーシーはいつもと変わらず出勤し、いつもと変わらず業務をこなしている。そして、業務終わりでマーシーが、話があると社長室に入ってきた。

きたか。。。やっぱりなのか。。。と。

マーシーは淡々と、

「社長、すんません。別の道に進みたいと思っているので、辞めさせてもらいたいです。」

前の晩、僕は、なぜやめようと思ったのか?俺や会社に何か不満があるのか?給料か?待遇か?など色々と考えていたし、全力で止めようと思っていた。

でも、僕は、マーシーが一通り話終わるの待って、、、

「うん。分かった。」

と答えた。

止めなかった。

なぜかは分からないけど、止めなかった。強がったのかもしれない。少しむかついていたのかもしれない。ただ、仲間が新たな道へチャレンジする事を僕が止める権利はないとも思った。

その夜、僕はGTOに電話をして、マーシーが辞めたいと言ってきた事、止めなかった事、めちゃくちゃ不安だという事を話した。するとGTOはそんな僕にこんな事を言ってくれた。

「社長、マーシーが居なかったらこれから物流の売上を伸ばしていけないって思ってます?それはなんで?」

GTOは続けて、

「こう考えられないですか?マーシーが居たからここまでしか物流を伸ばすことが出来なかった。って。後任の子がすごい能力を発揮する可能性はゼロなんですか?」と。

この言葉には本当に助けられた。もしかしたら、明るい未来が待っているかもしれないと思えたのだ。もちろん、マーシーが居たから物流を進めてこれたし、居なかったらもっと売上は伸びてたなんて思ってもない。GTOだって、そんな事思ってない。ただ、僕の気持ちを落ち着かせる為に言ってくれたのだと思う。

つくづく良い友達を持ったと思った。

次の日、僕は父の会社のあるスタッフに声を掛けた。彼は、元高校球児で耳の大きい中田英寿似の優しさが全身からあふれていて、会社の誰からも可愛がられていた。

物流事業を手伝ってくれへんか?

その僕の唐突な質問に対して彼は、、、

分かりました。と。

こいつはバカなのか?(笑)何も考えてないのか?でも即答してくれたことで僕の心は決まった。早速、父に彼を物流スタッフとして移動させてほしい旨を伝え、承諾を得た。

そしてその日の内に、マーシーとヒデを呼び、、、

「マーシー、3ヶ月時間が欲しい。その3か月の間にヒデにマーシーが知っている物流の事、今の業務の事、すべてを教え込んで欲しい。」と。

マーシーは快く受け入れてくれた。

そこからの3ヶ月、マーシーはヒデに付きっ切りで様々な事を教え込んでくれた。

3ヶ月後、マーシーはうちの会社を退社した。

実は少しホッとした気持ちもあったのだ。元は友達だったマーシーが、社員となった。そして、物流部門は伸ばしていたものの、全体的な業績はグループ含め、どんどん下降線をたどっている。そういう状況を友達に見せる事は僕にとってはとても恥ずかしい事だった。

そう、ボンボンというのは非常に打たれ弱い。そんなボンボンばかりではないが、僕はそうだった。それまで裕福な家庭に育ち、お金の心配をすることなく大人になった。そんな自分が今、会社の経営=お金に困っているのである。

でも実はこの考え方自体が大きな間違いであった。僕は見栄ばかり気にしていたのだ。昔から地元の名士であるうちの会社が落ちぶれていく様を絶対に見せてはいけない。嘘をついてでも良く見せておかないといけない!祖父が気づき上げた名誉を守らなければいけない。なんて、歪んだ考え方になってしまっていた。勿論、その時はそんな事も気付かず、、、ひたすら、ヤバい部分を隠すため、見栄を張る為に頑張っていたのだ。

東京では、以前にも増して状況は悪化していた。金融機関への条件変更の手続きは勿論、仕入先への支払いも分割払いにして貰ったり、税金の支払いを待ってもらったりと、もう会社経営とは程遠い動きをしていた。そんな状況が長らく続いていた。

そして、2016年2月 僕はある衝撃的な出会いをする。

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