見出し画像

元ボンボンの地団駄vol19

時は流れ、バカボンが迷走を始めたタイミングで、周りも大きな落とし穴にはまっていく。

vol1に登場してから全然出てこなかった僕の祖父が他界したのだ。祖父はvol1でも書いたように、政治家だった。県内でもかなりの力を持った人であった、亡くなる5年程の前に脳梗塞になり、それ以来政治家からは引退をし介護生活を送っていた。引退後は天皇陛下から勲章を頂くようなこともあった。そんな祖父の死。永遠に亡くならないと思っていた人が亡くなるという事の衝撃。数百人規模のお葬式には名だたる政治家が来られたり、当時の総理大臣からお手紙が届いたり、、、なんかようわからん感じでした。

そんな祖父の他界から間もなくして、会社に大きな衝撃が走る。。。

父の会社のメインバンクから追加融資ストップの連絡が入ったのだ。父の会社はスポーツ用品の卸と貿易もしていたので、それ相応の資金が必要ではあったのですが、、、昔、父とアメリカで話をしたときに話題となった「大きくし過ぎた、、、」という事がこの時、会社に大きな重荷となっていたのだ。

大きくし過ぎた為、父は小さくすることを考えて、ある取引先との取引を縮小させたのだ、その結果会社に大きな歪みが発生した。もちろん、目に見えない歪みである。会社としてはポジティブな動きだったのだが、銀行にはネガティブな動きに見えたのかもしれない。

僕はその日、東京に出張に行っていたのだけれど、すぐに帰るように連絡がは入り、翌日の始発に乗り、本社に戻った。会社に入ると全社員がいつも通り仕事をしているが、幹部だけが社長室に入りミーティングをしている。僕もそのミーティングに参加させられて、今後の対応と資金の必要性を営業部、貿易部双方から銀行に提出することになり、今日中に仕上げるよう命令が下った。急ピッチで資料を作り、その日の夜再度ミーティングを始めた。ミーティングをしていると電話が鳴る。親戚からだ。父が非常に可愛がってもらった父の叔父さんが亡くなったと。この時ばかりは強気な父も社長室のソファに倒れこむように座り込み頭を抱えた。僕は何も言えず、ただ父の横に座って背中をさすった。

ただ、だからと言って状況は何も変わっていない。とにかく、資料を仕上げて銀行に提出する。そして、後日なんとか追加融資の稟議は通され、無事融資が実行され事なきを得たのだが、この時父の中では安堵よりも怒りの気持ちともう一つ別の感情があったと後に聞いた。

父は非常に勝気な人だ。そして、父は祖父を超える事を目標にしてきた。祖父は政治家として1番になった(何を持って1番というか分からないが、県内での祖父の力が絶大であった)、だから自分は商売で1番になる!と決めたそうだ。そして、スポーツ用品卸業で県内で1番の売上高を計上するまでになった。でも、それまで好意にしてもらっていた金融機関が祖父の死を境に態度が急変した。実際のところ銀行は父や会社ではなく、祖父の存在があったから、今まで大きな取引をしてくれていたそうだ。そして今回の追加融資の件だ。

父は結局のところ祖父を超えることが出来なかったと悟ったそうだ。

そんなことがあり、父は会社の未来を考え、様々な手を打っていく。ここではなかなか書けないような方法(勿論、法的に問題があるような方法ではない)を取り、父はメインバンクとの取引をやめる決断をする。事業は継続したままで。

そんなタイミングで全国に3拠点あった営業所も手放し、各営業所長に判断を委ねた。

そして、僕は1つの営業所の所長から連絡を受けた。

営業所をこのまま法人格に変えて、社名も変えずに継続させたい。だから、社長になって欲しいと。こんなバカボンを社長に???おそらく、というか、確実に、父の采配を僕を通してしてもらえると考えたのだろう。それは全然間違ってない。でも、僕も自分の会社もある、父の会社の貿易の業務もある。。。とりあえず1年待って欲しいと伝えて、、、

1年後、僕はとある会社の社長に就任する。

あのバカボンが、2つの会社の社長になったのである。

ただ、だからと言ってバカボンが治る訳ではない。

ここからバカボンは2つの会社の長として、そして父の会社の貿易部の責任者として進んでいく。自分の会社ではシューズメーカー、花バッグに懲りずまだまだいくのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?