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元ボンボンの地団駄vol30

2017年1月5日 仕事始め

いきなりギラギラ社長から連絡が入った。

「あのさ、この前一緒にゴルフ行ったXXX社長覚えてる?その会社が今の倉庫から出たいみたいで、いける?」

お!これがギアを上げるという事か!!僕は元気よく、

「はい!ちなみに何坪ぐらいのスペースが必要ですか?」

「250坪~300坪ぐらいかな。」

えええええええええええええええええええええ。そんなレベル!!!!!無いやん。無理やん。そんな空きスペースうちの会社に無いやん。。。でも、元気よく「はい!」っていうてしまったしたな。。。考えても仕方ないので、、、

「もし移動させるとしたら、いつですか?」

「出来るだけ早くかな。1月中とか」

えええええええええええええええええええええ。そんなレベル!!!!あかん、この人のギア、スーパーカーや。俺のチャリやん。でも、その時なぜか僕はこの話を断らなかった。とりあえず1週間待って下さいとだけ伝えて電話を切った。

今、うちの倉庫の空きスペースは頑張っても100坪。ギラギラ社長に頂いた案件を対応するのは到底無理。。。僕は途方に暮れていた。

次の日、僕は商談からの帰り車を走らせていた。会社から約20分ぐらいのところだ。何気なく走っていたが、頭の中には前日の案件が離れない。そんな時、ふと、ある看板に目が留まった。

「空き倉庫 電話番号ooo-ooo-oooo」

ん?今、空き倉庫って書いてたな。。。通り過ぎてしまったけど、Uターンして再び戻ってみると、元スーパーマーケット跡地で、大きなシャッターも付いている白い建物が建っていた。

僕はすぐにその電話番号に電話をした。すると、なんと仲介業者ではなく、オーナー直通電話だったのだ。中を見せて欲しいとお願いすると、すぐに行きますとの事。

農作業中でした???みたいな恰好で現れたオーナーはロバートデニーロ似

扉を開けて頂き、中を見せて頂いた。

平屋の270坪。事務スペースが30坪で倉庫スペースが240坪。駐車スペースも大きく10トン車も入れる。

完璧である。あとは家賃だ。

「オーナー、家賃はおいくらぐらいですか?」

高くは無かったが、もっと安くないと難しい。。。僕は、直感的にこの場所が良いと思ったので、その場で、物流事業を始めたばかりで、これからもっと頑張りたい、まだまだ資金もない、など涙の訴えをオーナーにして、なんと僕が思っていた家賃まで下げて頂いたのだ!!!

聞くと、デニーロは地元で製造業を営む会社の社長さんだった。頑張ろうとしている僕を見て、男気を出してくれたのだ。相変わらず、僕は人に恵まれている。

1月10日 僕は賃貸契約を交わし、2拠点目を持つことになったのだ。

その事をギラギラ社長に連絡をすると、、、

「オッケー、じゃあ、移動の準備は整ったってことやね。話進めるわ」

1月22日 23日 24日の3日間で約20台近い10トントラックが第二倉庫に入ってきた。そして、すぐに第二倉庫は満床になったのだ。。。

1月5日の連絡が入り、1月6日に倉庫を見つけ、1月10日契約し、1月24日に移動を完了させる。。。というウルトラCを僕はやってのけた。もちろん、全スタッフ総出で対応した結果。もちろん、これはスタートラインではあるが、かなり自信がついたのは間違いない。

そこからというモノ、怒涛の新規案件ラッシュ!!!

僕も含め社員一同必死のパッチ。

一つ一つの案件で、取り扱いの商品も違うし、販売形態も各取引先によって違う。梱包方法も微妙に違う。それにすべて対応していく必要がある。。。素人に少し毛が生えたレベル、、、でも、ビジネスをする以上プロフェッショナルな動きをしなればいけない、、、ただ、色々言っても逆にパニックになると思った僕は各スタッフに

誤出荷をしない!

これだけを徹底してもらった。多少時間が掛かろうが出荷間違いはしないようにしようと。そして、人の動きや荷物の配置もすべて誤出荷をしない為に!という事にした。

といっても、間違いは出る。。。

間違いが出た場合、謝りに行くのは僕の仕事。。。ほんとに憂鬱な仕事。。

でも、EC物流に舵を切ると決めたのは僕の独断なので、とりあえずミスが起こった時は社内では誰がミスしたか!では無く、再度同じミスをしない為にどうするかの話し合いを徹底して、取引に謝るのは僕の仕事とルール決めした。

お陰で、2017年が終わる頃には、取引先は大小合わせて11社になっていた。

が、僕の仕事はこれだけでは無い。。。

東京の会社は2017年の年末あたりには、もう動かす事すら難しくなっており、弁護士にも今後の動きを相談していた。とにかく、様々な状況を見て、破産させるのはリスクが大きすぎるという判断をして、とりあえず継続をさせるという判断の元、引き続き、金融機関と取引先との話し合いをしていく事になった。

奈良では大きな希望を持って動けていたが、東京では絶望の中動いていたその当時の僕は、精神的にもかなり不安定な状態になっていた。物流は動きだしていたとは言えまだ軌道に乗っている訳ではないし、東京は動いていないので会社的にも、僕個人も経済的に困窮してくる。そうなると、常に眉間にしわを寄せ、心臓がバクバクなり、夜は寝れない、だから朝起きるのがしんどい、でも会社にいけばそんな態度は見せず、家に帰れば家族に悪態をつく、だからそれまで以上に家に帰らない、でも友人の前では楽しい人間を演じる、、、ほんとにそんな悪循環な毎日を送っていた。

おそらく、家族以外で僕のこういう状況を知っていた人は殆どいなかった。

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