プロセカのまふゆ母に読ませたい本No.1が決定しました
そこそこ前の話にはなってしまいますが、プロセカのゲーム内にて、作品内屈指の闇深キャラである、朝比奈まふゆのバナーイベントが開催されていました。その内容はいつにも増して暗く、正直読むのが辛かったです。しかし彼女の抱えている闇の輪郭を示す、とても重要なストーリーであったことは間違いありません。
ストーリーの内容を簡単にまとめると、曲作りに行き詰まってしまったサークルメンバーのK(宵崎奏)の気分転換のため、Amia(暁山瑞希)が今度の日曜日に、みんなでフェニックスワンダーランドへ行こうと提案します。
しかし、今回の主人公である雪(朝比奈まふゆ)はその日に模試があるため、参加を断ります。ですが詳しく話を聞くうちに、模試の会場がフェニックスワンダーランドから近いということがわかります。なら模試終わりにこっちへ来てはどうかと、メンバーのえななん(東雲絵名)が提案しますが、終わった後自己採点をしなければならないからと、その誘いも断ります。
そのまま平行線で話が進んでしまうかと思われましたが、模試の当日まふゆはなんとその足で、フェニックスワンダーランドへと向かいます。そう、あれほど大事にしていた模試をサボったのです。しかし彼女は、自分がどうしてそんなことをしてしまったのかがわかりません。そのため、みんなで楽しくランド内を回っているときも、ずっと模試のことを考えてしまい、なかなか楽しむことができずにいました。
そしてそのうちにとうとう、仲間とはぐれて迷子になってしまいました。そのときに彼女はふと、幼いときの出来事を思い出します。その思い出は、幼い頃母と2人でフェニックスワンダーランドに遊びにきたときの思い出です。幼い彼女は、マスコットキャラクターのフェニーくんを追いかけているうちに、お母さんとはぐれてしまいました。
少ししたのち、なんとかお母さんと再会することができたのですが、心配の言葉のあとに、どうしてお母さんの言うことを聞けなかったのか(お母さんは事前に、はぐれないようにと言っていた)と叱られてしまいます。ついにはお母さんが泣き出してしまったので、彼女はごめんなさい、ごめんなさいと謝り続け、お母さんの言うことを聞く、”いい子”になることを約束します。このことは、ある意味では幼少期のトラウマともいえる出来事です。
そうしたことを思い出しているうちに、サークルメンバーがやってきて、合流することができました。彼女を温かく迎えてくれるメンバーは、彼女の母親との対比として描かれています。
そしてそのあたたかさにもう少し触れていたい、と感じた彼女は、なんと家の門限すらも破り、みんなでナイトショーを見に行くことにしました。お母さんには体調が悪くなって模試を休んだと、嘘の連絡をします。
しかし、そのことに違和感を感じた彼女の母親が交友関係を調べ始め、、、。
以上が簡単なストーリーのまとめです。
このストーリーのテーマを一言で表すのなら、「自立への目覚め」でしょうか。
小さい頃の思い出や、勉強することを強要している様子(まふゆが真面目に勉強しているのは、お母さんの期待に応えるため)を見ると、彼女の母親が典型的な毒親であることがわかります。
そしてこのストーリーでは、彼女がそんな母親に対して、(無意識的にですが)約束を破るという形でのささやかな反抗をします。今回取り上げた岡本茂樹著「いい子に育てると犯罪者になります」という本の内容を踏まえると、これはほとんど「不良化」と同義です。不良化というのは文字通り不良仲間とつるんだり、人のものを奪うなどの悪事を働くことです。
どうして”いい子”が不良化してしまうのか、その理由の1つに対等なコミュニケーションの不足があります。通常の家庭とは違い、”いい子”を育てている家庭には、親と子の間に明確な上下関係があります。そして、良い成績を取るために塾などに通わされるせいで、自由な時間が周りの子どもに比べてどうしても少なくなってしまいます。
結果として周囲とのコミュニケーションが難しくなり、その逃げ道として不良になることを選んでしまうのです。そこには対等なコミュニケーションへの渇望と、束縛から逃れたいという欲求があります。”いい子”であることを求められない唯一の場所として、不良仲間のコミュニティは機能します。
彼らには、心を休めるための場所がありません。普通の子は、友達と話したり、家でくつろいだりすることなどで、気分転換をすることができます。そのときに先生の悪口を言いあうなり、好きなゲームをするなりして、ストレスを解消します。
しかし”いい子”であることを求められる彼らは、友達と話すときも、家にいるときも、”いい子”を演じなければなりません。日々のガス抜きができる場所は、彼らにはほとんどないのです。不良になるなどの逃げ道を見つけられなかった子は、そうして生じた歪みによって、人生を狂わされてしまいます。
少し前に世間を騒がした酒鬼薔薇聖斗も、最近死刑が執行された加藤智大も、形は違えど”いい子”であることを求められる家庭で育ったそうです。ここまで重大ではなくとも、本の中では”いい子”から犯罪者へと転落してしまった人たちの話が、数多く紹介されていました。
これらのことを彼女(まふゆ)に当てはめてみると、彼女にとってはサークルメンバーがいわゆる「不良仲間」として、彼女の逃避先としての役割を果たしています。しかし仲間の前でもまだ自分を正直にさらけ出すことができていないため、ガス抜きの場所として十分に機能しているとはいえません。
Vtuberの「かなえ先生」が最近の放送で、溜まったストレスの向く先は、内向きか外向きの2つのタイプに分かれるといっていました。まふゆはどちらかというと前者の内向きタイプです。
そのため犯罪を犯す可能性は低いですが、抱えきれないストレスから、リストカットなどの自傷行為に走ってしまう可能性があります。また鬱や引きこもりになってしまうということも、十分に考えられます。
今回彼女が模試をサボったのは、限界がきていることを示すサインです。頭ではお母さんの言うことを聞かなければいけないと思っていても、体はもう耐えられなくなっています。そうして、理由がわからないのに模試をサボってフェニックスワンダーランドに向かってしまうという、歪な行動へとつながりました。ですが、これこそが彼女の本心であり、助けてほしいという内なる叫びの表れなのです。
”いい子”のもう1つの特徴として、嘘をつくというのが挙げられます。嘘なんて誰でもつくだろ、というごもっともな意見が聞こえてきそうですが、嘘をつく理由にその特徴があります。
彼らは大抵の場合、親から娯楽などの行為を厳しく制限されています。しかし彼らはロボットではないので、どうしてもそれら娯楽などによる息抜きが必要になります。もちろんそんなところを親に見つかったら、こっぴどく叱られるのはもちろんのこと、親から向けられた期待を裏切ることになってしまいます。それは彼らにとって、最も避けるべき事態です。
じゃあどうするのか。簡単です。親に見つからないよう、隠れて息抜きをするのです。そしてそのことがバレないように、嘘をつくのです。実際まふゆも、海外の映画を見て英語の勉強をしていると嘘をつき、サークルのメンバーとチャットをしています。嘘をつくことは、”いい子”であるための必要条件なのです。
最も親しい関係にある親に対して嘘をついているというのは、親子の関係性としては不健全です。しかしその関係でさえも、仕方のないこととして彼らは受け入れます。そんな状態ではお互いに理解し合えるはずもなく、親子の距離が広がっていくのは必至です。
”いい子”に求められるのは、とにかく外面(学校の成績やふるまいなど)を美しく見せることです。そのため、どうしても内面に対する意識が希薄になってしまいます。
まふゆは、親や学校の友達に対しては優等生として明るく優しく接していますが、サークルメンバーの前では素の自分の状態で接しています。うわべと本性は本来このように単純に二分化するものではないですが、彼女はまるでスイッチのON・OFFのように、その2つを切り替えます。僕はここに、彼女の内面の未熟さが表れているような感じがします。
ではどうすれば、この歪な親子関係が解消できるのでしょうか。この本を書いた岡本茂樹さんは親へのアドバイスとして、自分の子を信じ、優しく見守ってあげなさいと言っています。
見守ってあげるというのは、言い換えれば信頼していることの証です。逆になんでもかんでも干渉してしまうと、子どもは自分の力で何かを達成したという経験が少なくなってしまうので、むしろ自信を失わせることになってしまいます。
自分の子に対しての不安や過度な期待によって、ついつい干渉してしまう親は多いそうなのですが、そんなことをしている暇があるのなら、少しでも立派な人生を送り、その背中を子どもに見せてあげるべきだというのが、この本の主張です。
最近読んだ宮台真司さんの「透明な存在の不透明な悪意」には、主婦の大半は家にいて時間を持て余しているから、子どもの教育なんかに熱を入れるんだ、趣味を見つけるなりパートで働くなりして暇な時間を減らせ、と書いてありました。実践するのは難しいかもしれませんが、説得力のある意見だと思います。
ただしこれらの主張は、放任主義を容認しているものではないことには注意です。見守ることが重要と言いましたが、必要に応じた支援を適宜行うことは欠かせません。困ったときにいつでもサポートできるようにしておくのが、親の果たすべき役割なのです。
親と子は、当然ですが違う時代で育っています。親が思春期を過ごした頃には当たり前だったことが、今はほとんど通用しなくなっていることも珍しくありません。
それでも子どもに自分の価値観を押し付けようとするなら、それは親が明らかに間違っています。しかし、子どもは親の価値観が時代に合わないせいでうまくいっていなくても、どうしてもそれを自分が未熟なせいだと考えてしまいます。
まふゆの母親も、この本を読んで自分のやっていることが間違いだと気づいてほしいです。日々のスケジュールだけでなく、交友関係まで監視しようというのは、はっきりいって異常です。
なんとなくですが、まふゆの母親である彼女自身も、まふゆと同じような環境で育ってきたのではないかと推測しています。見たところ朝比奈家は裕福そうなので、その成功体験がいっそう、スパルタ教育への信頼を高めているのではないかとも考えられます。
しかしさっきも言ったように、価値観というのは時代と共に変容していきます。絶対に正しい価値観というのは存在しません。彼女の母親はまずそのことを受け入れて、自分が持っている価値観をきちんと相対化し、異なる考え方を受け入れていくことが先決です。
そして何より、我が子を信頼してあげることが大切です。自主性に任せるというのは勇気のいる行動ですが、それを許さない限り今の状況は確実に好転しません。
今回まふゆが模試をサボったのは、親の束縛から逃れるチャンスと捉えることもできますが、同時に転落のピンチでもあります。”いい子”でいるという約束を破ってしまったために、そのことが負い目となって、勉強に身が入らなくなってしまうかもしれません。もしくはサボり癖がついて、母親への反抗心も相まってそれが常態化してしまう可能性もあります。
母親と一度でも対等な関係になって話し合うことができれば、サークルのみんなに自分の気持ちを打ち明けることができれば、彼女の人生は良い方向へと向かうでしょう。しかし今の彼女には、それらを行うことはまだまだ難しそうです。
これからどうなるかはわかりませんが、少しでも良い方向へ向かうことを願いながら、今後の展開を見守っていきたいと思います。
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