見出し画像

「なぜVTuberが流行るのか?」←この考察が問題だらけな理由

いつものようにYouTubeを見ていると、『なぜVTuberが流行るのか?日本のコンテンツビジネスの特徴と現状を解説』という、興味深いタイトルの動画に出会った。

1時間近くある動画だったが、説明もわかりやすく、スラスラと見終えることができた。

しかし、見終わってから浮かんだ感想は「結局何が言いたいの?」というもの。

ひとつひとつの話は理解できるのだが、その繋がりが見えてこない。

さらに、VTuberが流行る仕組みを解説する動画と言いながら、VTuberについて触れているのは最後の10分のみ。正直、動画のタイトルを間違えたのではないかと思う。

例えるなら、

「『有名アーティスト出演!』と書いてあるのに、知らない人ばかり出てきて、有名アーティストは最後にちょっとだけしか出てこなかった」

みたいな感じだ。

まあ、このまま文句ばっかり言っててもしょうがないので、私が感じた問題点を順番に解説していこう。


主張の要約

メディアミックスと専門性

まず、この動画の主張を簡単に要約する。

日本における漫画、アニメ、ゲームなどのいわゆる「オタク産業」の特徴は、メディアミックスである。

メディアミックスというのは、漫画がアニメ化したり、小説が漫画化されたり、ゲームのグッズが販売されたりなど、ジャンルを超えて作品が広がっていく様子のことだ。

これは、二次創作やファンアートなど、コンテンツに参加する手段が豊富で、クリエイターの参入障壁が低いという、日本の文化的特徴が関係している。

ただ、こうしたアマチュア中心の文化には欠点がある。

それが、「専門性の低さ」だ。

日本のコンテンツ産業は、個人や小規模のグループで、十分なクオリティの作品を作ることは得意だが、大規模の集団で圧倒的なクオリティの作品を作ることは苦手である。

それに対し、海外はメディアミックスを苦手としているものの、専門性は高いため、高いクオリティの作品を生み出すことを得意としている。

日本が得意とするのは、小規模で満足のいく作品を作ることである。そのため、技術が未熟な黎明期などは、その小回りを活かして優位に立つことができた。

しかし、技術が発展して規模の大きい作品が作られるようになると、専門性の低い日本は、海外に勝つことができなくなる。

料理上手の主婦、一流のコック

わかりやすくまとめると、日本の産業は「ありあわせの材料でおいしい料理を作ること」を得意とし、海外の産業は「良い食材を集め、一流のシェフに最高級の料理を作らせること」を得意としている。

社会がまだ成熟しておらず、十分な食材もシェフも手に入らない状況なら、日本が持っているスキルは大いに役立つ。だが、良い食材やシェフが手に入るようになれば、優れた料理が作れるようになり、日本はお払い箱となる。

つまり「最初は良かったかもしれないけど、技術が発展した現代では、日本は海外にボロ負けしているよ」というのが、(乱暴なまとめではあるものの)この動画の主旨だ。

「2つの産業は戦略が違うだけで、優劣があるわけじゃない」と前置きはしているものの、内容としては「グローバル展開ができない日本、ありあわあせの家庭料理で満足している日本はダメだ!」と言っている。

そして、その原因は「専門性の低さ」にあるらしい。

主張の問題点

「専門性の低さ」は何を意味するのか

ところで、「専門性」とは一体何を指しているのだろうか?

イラストの専門性?いやいや、日本にはプロのイラストレーターがいる。

アニメーションの専門性?いやいや、日本にはプロのアニメーターがいる。

CGの専門性?いやいや、日本には・・・。

このように考えてみると、専門性が低いことが原因、という言葉が何をさしているのかわからなくなる。

ただ、これまでの議論を踏まえると、専門性の低さというのはおそらく「海外マーケットに対する専門性の低さ」のことを言っているのだろう。

イラスト、アニメーション、CGなどは申し分のないクオリティだが、海外に売り出すプロフェッショナルがいないために、日本の作品は海外展開することができずにいるのだ。

それを、「専門性の低さ」というあいまいな言葉で説明していることが、いまいち納得できない理由となっている。

間違った構図

おそらく彼は、

「アマチュア中心の文化」→「専門性の低さ」→「専門性の高い海外に敗北」

というわかりやすい構図に捉われてしまったのだと思う。(このあたりが、ビジネス系解説の悪いところだ。彼らはとにかく、世の中を1つの法則で説明したがる。)

だが、実際には

「日本のゲームは、国内市場をメインにしている」
「海外は、グローバル展開を見据えてコンテンツを作っている」

という戦略の違いによるものでしかない。(これに関しては、動画内でも説明されている)

私は、それに加えて「ブランドの有無」も関係していると考えているが、これについては後で話そう。

真逆の主張

こうした長い説明のあとで、ようやく本題であるVTuberの話に入る。

その内容を一言で要約すると、「VTuberは日本のアマチュア中心コンテンツをうまく活用することができたので、世界中で大ヒットしました!」というものだ。

前半は「日本はアマチュア中心の文化なので、海外展開ができない」と言っていたのに、後半では「日本のアマチュア中心文化のおかげで、海外展開に成功した」という真逆の主張をしている。

正直あまりに大胆すぎて、最初はこの矛盾に気がつくことができなかった。

ただ、よく考えてみると明らかに破綻した論理となっている。

「Aというサプリは健康に悪い」といった次の瞬間、「Aというサプリは健康に良い」と言っているようなものだ。

ではなぜ、このような矛盾が発生してしまったのだろうか。

作品のブランド化

権利が分散する日本、権利が集約するディズニー

ここで私は、「ブランド」という視点を導入したい。

日本で「S」という小説が漫画化され、アニメ化され、グッズ化される例を考えてみよう。(もちろん「S」は架空の小説で、実際には存在しない)

当然だが、小説を書いた人、それを漫画化した人、そのグッズを作った人はそれぞれ異なる。さらに、小説の出版社、漫画の出版社、グッズのメーカーも異なったと仮定する。

この場合、「S」という作品は原作者のものでもあり、漫画化した人のものでもあり、アニメーターのものでもあり、グッズ製作者のものでもある。そして、それぞれの会社のものでもある。

このように、日本のコンテンツ産業は1つの作品に多くの団体が関わるという性質がある。そのため、作品の権利が分散してしまい、作品自体をブランド化することが難しくなる

だが、ディズニーのような海外のコンテンツ産業は、少し事情が違う。

ディズニーには、まず「ミッキーマウス」というキャラクターが存在していて、それがイラスト、アニメ、着ぐるみといった様々な形をとって現れている。

さらに、それら全てをディズニー社が行うため、ミッキーマウスというキャラクターは、その製作元であるディズニー社と必然的に紐づけられ、ブランド化される

これが他のキャラクターに対しても行われることで、全てのキャラクターは「ディズニー」というブランドを与えられる。

つまり、日本のコンテンツ産業は「中心不在」であり、ディズニーのようなコンテンツ産業は「中央集権型」ということだ。(この説明は動画内にもあったが、「ブランド」という言葉は使われていなかった)

ゼロからブランドを作り上げた「原神」

別の例も考えてみよう。

日本の会社が開発した「パズドラ」というゲームは、漫画やアニメとのコラボによって売り上げを伸ばした。これは、作品がジャンルを超えて普及する、メディアミックスを活かした戦略だ。

それとは違い、中国が開発した「原神」というゲームは、オリジナルキャラクターの魅力、クオリティの高いCG、よく練られた複雑なストーリーによって売り上げを伸ばした。

今までにないクオリティのゲームを独自に開発することによって、他の企業が真似できない「原神」というブランドを作り上げたのだ。

こうした事例から、日本は海外に比べて作品をブランド化しづらい場所であることがわかる。

だが、ディズニーやハリウッド、K-popのように、世界中で人気となるためには、ジャンルや作品をブランド化させる必要がある。

しかし、日本はコンテンツ同士の垣根が低いがために、そうしたブランド化が難しくなっているのだ。

日本における大型コンテンツは、基本的に別のコンテンツの助けを借りており、完全にゼロから作り上げているものは少ない。(コラボで売り上げを伸ばすパズドラ、ボカロを主体とした音ゲーの「プロセカ」など)

これを、「天皇を倒すのではなく、天皇の力を借りて国を治めることを選んだ日本」と、「国のトップを倒して、新しい政権を打ち立てた外国」になぞらえるのはやり過ぎだろうか。

なぜVTuberはブランド化に成功したのか

「生身の人間」という代替不可能性

ここで、VTuberに話を戻そう。

動画内でも述べられていることだが、VTuberは「バーチャルな存在であると同時に、生身の人間でもある」というのが、最大の特徴だ。

そしてこの要素が、ブランド化に大きな役割を果たしている。

漫画やアニメなどのキャラクターは、架空の存在であるため、どうしても所有者が分散してしまう。

だが、VTuberには「中の人」という実体があり、これは別の人やものが代替することはできない

アニメが終わっても、その二次創作は続けられるかもしれないが、VTuberが引退すると、そのVTuberに関するあらゆるコンテンツは消滅してしまう。

こうしたことから、VTuberが他のコンテンツ産業と区別されるものであることがわかる。

ディズニーは、キャラクターと自社を結びつけることでブランド化を行い、原神は他が真似できない圧倒的なクオリティによって、作品のブランド化を行った。

そして、VTuberは「中の人」という代替不可能な実体を用いることによって、ブランド化を可能としたのだ。

「中心不在」問題の解決

さらに、日本はコンテンツ同士の垣根が低いため、VTuberは歌や踊り、雑談などのメディアミックス的な活動を行うことができる。

そして、中の人がいることによって、メディアミックスの利点を生かしつつも、従来のメディアミックス作品が抱えていた「中心不在」という問題も解決したのだ。

ある意味では、VTuberは日本のコンテンツ産業と、海外のコンテンツ産業のいいとこどりをした存在であるといえる。

「日本はアマチュア中心の文化なので、海外展開ができない」
「日本のアマチュア中心文化のおかげで、海外展開に成功した」

この二つの矛盾は、「後者は、日本のコンテンツ産業の利点を引き継いだうえで、独自にブランド化することができたから」という理由で説明できる。

片手落ちの解説

言い忘れていたが、今回紹介した動画は前編と後編に分かれているので、後半でVTuberについて詳しく説明される可能性がある。

だが、最後の次回予告を聞いた感じだと、「なぜ女性VTuberが人気なのか?」という、別の話に変わるらしい。

「なぜ女性VTuberが特に人気なのか?」を説明しないと片手落ちになる、と投稿者は言っているが、散々日本のコンテンツ産業の欠点を説明したのに、それと真逆の事態になっているVTuber産業について全く説明がないのは、それこそ片手落ちだ。

人気のチャンネルにケチをつけるわけではないが、もう少し自身の主張を見直してはどうかと思う。

余談:VTuberが誕生した経緯について

「声優ラジオ」の登場

ここからは余談だが、VTuberが誕生した経緯について、私なりの考えを話していきたい。

VTuberというジャンルは、近年になっていきなり誕生したように思える人も多いだろう。しかし、歴史を振り返ってみると、それ以前からVTuberの片鱗は多く存在していた。

まず挙げられるのは、キャラクターの声をあてている「声優」だ。

声優というのは、今までは「キャラクターの声をあてている人」であり、絵を描くイラストレーターや、アニメーションを作るアニメーターと同じように扱われていた。

だが、キャラクターと同じ声の人物というのは、ある意味で最も二次元に近い存在であると考えられる。

このことを最もよく表しているのが、「アニメのキャラクターを演じた声優のラジオ」だろう。

実際は、キャラクターを演じた声優が話しているのだが、あたかもキャラクターがラジオをしているかのように演出されている。

こうした声優とキャラクターを結びつける事例は、実在の人間とアバターを結びつけるVTuberと共通している。

歌い手とキャラクターの同一視

それ以外には、「歌い手」なども例として挙げることができる。

「歌ってみた」というジャンルが誕生し、歌い手が少しずつ認知されるようになった黎明期は、声だけの存在である歌い手と、特定のイラストを結びつけるのがメジャーなやり方だった。

これも広く見れば、VTuberの元祖と言えるだろう。

いかにしてアニメキャラに近づくか

その他には、コスプレや2.5次元なども、現実の人間とキャラクターを結びつける活動であると言える。

このように、日本のオタク文化には、いかにしてアニメのキャラクターに近づくかという努力の過程、という側面があった。

こうした文化の集大成として、アニメのキャラクター(アバター)でありながら、動くことができ、確かな実体があり、歌って踊り、喋ることもできるという、VTuberが生まれたのではないだろうか。

VTuber=3Dモデル?

ちなみに、VTuberが登場した当初は、キズナアイや輝夜月など、「VTuberといえば3Dモデル」という印象が強かった。

だが、こうしたやり方はコストが高くつくし、クリエイターの参入障壁が低いという、日本の強みを活かすことができない。

キズナアイは、先に述べたVTuberの利点に加えて、高クオリティの3Dモデルという、唯一無二さを持っていた。しかし、コストの問題は避けることができなかった。

「にじさんじ」のコペルニクス的転回

これを、ライブ2Dというより簡便な技術に置き換え、生配信によって視聴者との交流を増やす、という戦略を生み出した「にじさんじ(ANYCOLOR)」の功績は大きい。

キズナアイは3Dモデルを活かした動画がメインだったが(まさしくバーチャルHIKAKIN)、にじさんじは配信を主体とすることによって、「アニメのキャラクターが現実に存在している感覚」をより強めるという、コペルニクス的転回を行った。

これにより、ブランド化したコンテンツを大量に作り出すという、ディズニーやハリウッドのようなビジネスモデルが可能になった。(Live2Dは、3Dに比べてはるかに作成が簡単)

VTuberがここまでヒットしたのは、「アニメのキャラクターと現実を結びつけたい」というオタク文化の強い願いが、技術の発展によって実現したからだ。

だからこそ、VTuberは今までにない革新的なコンテンツとして、世界中で人気となったのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?