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2022年は変態的研究と、結果に無責任な年っぽい。

⇩そんなこんなで、年始に目標とかそういうの、改めてかんがえるほど安定したいなくて、今回はすこしそういう余裕があったように思う。

で、目標とかそういうのじゃなくて、年末あたりから感じていた自分の変化というか、そういうとこ。

好きなことや仕事は変態的に研究しそう

1日の夕方とかも、ちょっとお仕事したりして、仕事と遊びや趣味の境界線がないタイプ。

面白いアイディアが湧いたらわくわくしてやりたくなる。
ので、お休みとかもあんまり興味がない。ただ、こどもの予定や体調には合わせれるほうがいいのですけどね。それくらいのこだわり。

昔、日本語を教える前にも、講座に通う前にも
・「に」と「と」の違い
・「あります」「おります」の違い
とか真剣に考えちゃったりしてたから、なにかを突き詰めて考えるのがたぶん好き。
でも、生活優先で、突き詰めるより「効率や合理性」を(たぶんそっちも得意だから)中心に考えていた結果、突き詰める余裕がないのにやっちゃいけない=罪悪感、みたいになってしまっていて。

そろそろ突き詰めモード復活してもいいかな?のころ。
しごとも、それはきっと活きてくると思うので、

遊ぶように学び、遊ぶように働く(思考の動き的に)

ですかね。極めたい分野がたくさんあるので、早く不労所得をめざしたいです。

結果をコントロールしない

結果を考えて、そこに持っていくようにしないと困る環境(手続きだったり、サポートだったり)がずっと続いてたから、そういう現実があったから、それを意識して毎日ぱつぱつでやってきたわけだけど。

普通の生活にはそれ必要ないなー。
結果ありきじゃつまらないなー。

というのが最近。

ひととのやりとりも、「偶然の混ざりあい」とか「きらいだなー、からの新しいアイディア」とか、そういう産物がもともと好物。

きっとこれはこうなっちゃうなー、もひとつの関係性で違う方向に転換することもたくさん。だから、あまり「我」を意識しない年に。

自分のことや、お仕事的なところ、パーソナルスペースは「我」を大事にして(そこもずっと他者に明け渡し気味だったので)そっちはそっちで、そのそとは「揺蕩う」ように関わっていきたいなと。

本質、ゆずれないところ、は掴んでいるから、そこ以外はもっと自由に遊んでいいんじゃないかな。

予測できることを全部コントロールしようとしないで、結果に無責任。
タスクに無責任、って意味じゃなく、「結果に無責任」。

そのほうが自分も他人も広がりをもった結果になりそうな気がする。

いっしょになにかやるときも、結果をコントロール(結果を出そうと)しすぎると、ほかのひとや場のポテンシャルを止めてしまう感じになってしまう気がするので、無責任=可能性の伸びしろ、ということで!
決して責任放棄じゃないですよ!(まあ、そう取られてもいいけど。それも結果のひとつ、ということで)


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