見出し画像

インタビュー企画『聞いてるようでしゃべってるvol.2〜奇妙礼太郎オフィシャルファンクラブイベント編〜』


はじめに

本記事は、田渕の個人的興味を発端とした勝手わがままなインタビュー企画「聞いてるようでしゃべってる」の第二回目である。

15年来の友人であり音楽仲間である奇妙礼太郎のインタビューは、奇妙のオフィシャルファンクラブ初イベントの場を借りて行われることになった。
会場は東京・外苑前のスタジオ”Casa ZIZO"。当日の模様をここにお届けできればと思う。

なお、インタビューの会話内容は、交わした会話から受けた印象をもとに書いている箇所もあり、一言一句を文字起こししたものではないということをあらかじめご了承願いたい。

奇妙礼太郎について

奇妙礼太郎の歌は不思議だ。

力強さがあって、か弱さもある。高く飛んだと思えば、うずくまったりする。膨らんだり縮んだりするから、大きさがわからない。同じ場所にとどまらず、いつもどこかを行ったり来たりしている。自由で、つかみどころがなくて、どこか不安定なのに、聞くと妙に安心してしまう。

その歌は聴衆を沸かせたり、泣かせたり、考えこませたりする。心を動かすのに、引っ張ったり、押しつけたりしない。人の上に立たないし、へりくだったりもしない。そこらへんにあるのに、どこにあるのかわからない歌。

ひとりで聞いていても、みんなと聞いていても、ひとりぼっちのままでいられる歌。なまぬるくてずっと浸かっていたくなる優しい歌。激しくて消えてなくなりそうな儚い歌。
聞く人を幸せにしたり、惑わせたりする"人たらし"の歌。

そんな奇妙礼太郎の歌に魅了された一人でもある僕が、彼のオフィシャルファンクラブ初イベントにゲスト出演することになった。せっかくなら普段とは異なる対話の時間を持てたらと、インタビューを申し入れたのが企画の経緯だ。

おもえば彼とは、もう15年来の友人であり、音楽仲間だ。
ライブハウス、レコーディングスタジオ、居酒屋、楽器店、回転寿司(回らない方もね)…ともに過ごした時間のなかで、たくさんの共感や発見、制作を共有してきたが、おそらくそれらは奇妙礼太郎の一部に過ぎない。
長い付き合いのなかで、なんとなく聞きそびれていた彼の生き様や歌への想い。いまだ尽きない彼への興味に突き動かされ、僕はインタビューを企画し、僕の知らない奇妙礼太郎に会いに行くことにした。



奇妙礼太郎(以降、奇妙)とは、2010年に大阪の梅田シャングリラで定期的に行われていたイベント「唄ゴコロ」で共演してからの付き合いになる。
当時、奇妙のことは、大阪の音楽界隈でウワサをよく耳にしていたので名前だけは知っていた。
第一印象で、僕の好きなタイプの酒クズ(グラサンズのよしけんと同じ類い)だと思った。予備校生みたいな見た目で風来坊のように自由奔放。初めて会った時から、ずっとベロベロでフニャフニャしていた奇妙。

彼のステージをみてすぐに声の良さに驚き、ステージを降りてからのバンドマンらしい素行の悪さに感銘を受け、その日から奇妙は僕にとって”気になる存在”となった。当時、僕は負けず嫌いで、すこし天狗になっていたこともあり「まあ俺の方が凄いな」とか思いながら、その日を終えたような気がする。

僕のライブを初めてみてくれた奇妙は、ずいぶんと僕の歌を褒めてくれた。
お世辞でなく言ってくれているのがわかったし、そのことを照れたり、曲げたりせず、真っ直ぐ伝えてくれる素直で屈託のない人だと思った。
誘われた打ち上げのタコ焼きパーティーにはいけなかったけど、自分がすごいと思うやつから褒められたことが嬉しくて、僕のテンションはすでに打ち上がっていた。

それからは、よくライブハウスで共演したり、居酒屋やBARで一緒に呑んだりした。月日を共にしていく中で、奇妙は長年連れ添ったバンドを解散し、上京し、ソロ名義でメジャーデビューを果たし、ファンクラブが設立されるまでになった。
思えば、あの頃と売れ行き状況が何も変わらない僕が、また今こうやって奇妙とインタビューで交わるのも不思議な縁だと思う。

インタビューにのぞむにあたって、僕なりの流儀とでもいうのだろうか。馴れ合いは好きじゃない。付き合いが長い仲間だからこそ、仕事や舞台では一定の距離感を保って新鮮なコミュニケーションを交わしたい。そんなことを考えながらインタビュー構成を作るうちに、自分のなかにいい緊張感が生まれていくのがわかった。

インタビュー当日の様子

インタビュー会場のCasa ZIZOに併設されたワイン倉庫にはナチュールワインの数々。

2024年4月中旬。名古屋、千葉、東京と3日連続の僕自身のソロライブを終えた翌日が奇妙のインタビューの日だった。会場は外苑前駅近くにあるスタジオCasa ZIZO奇妙より先に会場入りする。

スタジオ内は、センスのいいインテリアが散りばめられた超絶オシャレ空間で、しかもナチュールワインが大量にストックされているワイン倉庫まで併設されていた。あまりにも粋なオシャレ空間に目眩を起こしそうになったが、先に来ていた僕のマネージャーさきちゃんに迎えられ、何とか楽屋入り。トイレもオシャレ過ぎて開け方がわからず、奇妙のマネージャーに「田渕さん、頑張って!」と応援される始末。
楽屋でインタビュー構成を確認していると、ゆっくり扉が開いた。奇妙の顔が見えてホッとひと安心。しかし「今日はいつもと違う距離感で接するのだ」と心に誓う僕の右手には、いつのまにやらナチュールワインが…。会場にワイン倉庫が併設されているのが不運(幸運)だった。
奇妙が買ってきたみかんを剥く。柑橘の香りがワインのおかわりを誘発する。ワインがすすむ。一杯、二杯、三杯。
準備してきた緊張感は、すっかりほろ酔いでほぐされてしまい、結局は”いつもの俺たち”の感じでインタビューは幕を開けることになった。

インタビュー前半

奇妙 せーの!
二人 よろしくお願いします!!!
(会場拍手)
田渕 田渕徹が初めましての方も多いと思うのですが、僕は奇妙くんの15年来の親…友だち。
奇妙 親友って言いかけて友だちに変えるのやばいな。笑
田渕 (スルーして話しだす)
僕は昔サラリーマンをしていて、2017年ぐらいから2020年ぐらいまで、大阪から東京へ単身赴任してる時期があって、奇妙とはその期間にメジャーアルバム『YOU ARE SEXY』や『MORE MUSIC』の楽曲を一緒に作らせてもらいました。映画『愛しのアイリーン』の主題歌「水面の輪舞曲」を作らせてもらったのもその時期かな。
奇妙 うんうん。
田渕 今日は、奇妙礼太郎ファンクラブにとって初のイベントということですが、何をするのかほとんど決まってなくて…。即興みたいな感じになると思いますんで、グダグダ感も含めて、みんなでワイン飲みながら、ゆるゆる楽しめたらいいなと思ってます…って、なんで俺が仕切らなあかんねん!!!!!
奇妙 いや、お前が仕切る日やろ。
田渕 お前のファンクラブイベントやろがい!
奇妙 いや、俺のファンクラブイベントやけど、お前が勝手にインタビューする日やろ。
田渕 そやったわ!お前みたいなもんのファンクラブイベントで俺が仕切る日やったわ!
奇妙 ちょっと人前やけど、どついたろか。笑
(和気あいあい)
田渕 まあ、そんなこと言いながら僕なりにちょっと考えてきました。
奇妙とは付き合い長いから、今更あらたまって踏み込んだ話をすることも少ないので、インタビューはいいきっかけだと思ってます。
奇妙 インタビューって思ったら大変な感じしちゃうんだけど。
田渕 まぁ、みんなで飲み会してるくらいのムードでやろう。ただ、インタビュアーでもなんでもない僕が興味本位だけでインタビューするわけやけど、大丈夫かな…。
奇妙 嫌やったら断ってるから嫌じゃない。
田渕 ありがとう。今日は、奇妙の話を一方的に聞くだけじゃなくて、奇妙の話を通して、聞いてる皆さんの振り返りや気づきのきっかけになればとも思っています。素人なのでそんなに上手くできるかわからないですけど…。
奇妙 二度と不安を口にするなよ(笑) 全員不安がる。自信あるフリをしとけよ。…いや、やっていこう。
田渕 そうですね、やっていきましょう!
まず、僕が思う奇妙礼太郎の歌のすごいところを少し話すと、世の中に歌うまい人っていっぱいおると思うんですけど、言葉が人の心にスーっと入ってくるように歌える人っていうのはすごく少ないと思っていて。奇妙のは、歌がひとつの塊として入ってくる感じ。
その才能っていうのは、ある日突然降ってきたり、湧いてくるものでもないと僕は思ってて。そういった才能が生まれた背景が何かしらあると思ってるんですよ。
じゃあその背景が何かってなった時に、奇妙が音楽と出会う以前にさかのぼる必要があるんじゃないかなって思ってさ。生い立ちの部分に少し触れてみたいな、と。話したくないとか、話せない部分はあると思いますけど。
奇妙 いやぜんぜん。何でもオッケーです。
田渕 ではまず奇妙はどんな家に生まれたの?
奇妙 家はね。自営業やったんですよ。今はもうないんですけど、昔、製麺所を営んでて。ローカルのスーパーに売ってる袋麺みたいなのを作ってる製造業してて。多分50人くらいの人が工場で働いてた。
田渕 結構大きめだね。
奇妙 どうかな。まあ、小規模の中小企業って感じかな。元々は、名古屋で、ひいお爺さんが野菜を使ってイリーガルなやり方で生計をたてていてね。戦後の話ですよね。
田渕 物がない時代に生きるのびるために。
奇妙 そうそう。そんでひいお爺さんが大阪に来て、戦争の後、アメリカから小麦粉とかめちゃ日本に入ってきてさ。それで多分なんか製麺所やるのがビジネスチャンスや、みたいなことになったのかなあ。
日本ってラーメンとか、お好み焼きとかラーメンとか人気やし。
田渕 うどんとかね。
奇妙 たこ焼きとか小麦粉の食べ物をこんなにみんな食べてんのって、多分、まあそういうことなのかなあと。大量に回ってきて、なんかそういう流れで、うどんもそうなんですよ。小麦粉の塊だから。それをやってて、みたいな家やったんですよ。東大阪市っていう、大阪のローカルタウンみたいなところでね。
田渕 町工場とか多いよね。
奇妙 周りに肉体労働してる人いっぱいいて、雑多なもの作る工場が立ち並んでで、そういう場所に製麺所があった。
田渕 お父さん、お母さんは共働きだった?
奇妙 もう朝から晩まで働いてるみたいな感じ。
田渕 奇妙の子ども時代のお父さん、お母さんとの記憶はどんなだろ?あんまり家におらんくて寂しい思いをした?
奇妙 ほんまに全員ずっと働いてるから、なんていうの、子どもの面倒を見るおばちゃんみたいな人が一人いて。
田渕 家政婦さん的な。
奇妙 そう。仲良くていつも遊んでもらってたし、なんか…甘えさせてもらってたこともある。
田渕 そのころの奇妙は母親の愛情に飢えていたのかな? 愛情不足とイコールで結ぶのは安易かもしれんけど。
奇妙 でもそういう気持ちがあったのかもね。その頃のことは、すごい覚えてるから。
田渕 当時のお父さん、お母さんとの強い記憶みたいなものはある?
奇妙 小学校いくかいかんかぐらいの年やったと思うけど、父の日になんかをあげたいと思って、牛乳パックで作った船をあげた時、ほんまに2秒ぐらい見てゴミ箱に捨てられた。
田渕 ひどい!ひどいよ〜!
奇妙 いや、でもなんか俺はその時は、その行為に対してひどいとは思ってない。なんか、大人ってこういうもんやっぱいらんねんなって。子どもが作った完成度の低いものを、大人っていらんねんなと思って、当時はなんかちょっと反省したみたいな気持ちのまま生きてた。それからやっぱり大人になるまで、二度と父親になんかをあげたことはなかった。子ども時代は、人にものあげるとかに慎重になっていたなあ。
でも怖いとかでもなくて、人って別にあんまりものいらんっていうか、それぞれ勝手に生きてんねんから、それでええやんっていう。
例えば、俺が田渕になんかをあげた時に、田渕が目の前でそれを捨ててもなんも思わへん。ごめんなと思う。
田渕 なるほど。
奇妙 ちょっとごめんなと思うぐらい。だからそうじゃない人の時、不思議な気持ちになる。あげたものを食べたかどうか確認する人とか。
田渕 何かをプレゼントしたあとの反応や感触を得たいっていうのはごく自然なことではあるけどね。
奇妙 僕だったら、そんな勇気ないです。
田渕 なんか奇妙のその感じが俺には不思議で興味深くてさ。出した手をすぐに引っ込めるというのか、変に物分かりがいいというのか、どういう言い方が正しいのかわからないけど、奇妙のそういう場面を、僕も今まで何度か見たような気がする。今振り返ってみて少年時代の奇妙が、お父さんに牛乳パックの船をあげる時の最初の気持ちってどんなだった? 
奇妙 喜んでもらいたいと思ってあげてん。
田渕 そらそうよね。
奇妙 想像してた。すごい喜んでいたところを。
田渕 なのに実際にプレゼントしたら、、、(目の前で捨てられた)
奇妙 なんか、親父すごい表情してたな。死んでるのかな?っていうような表情してたと思う。
田渕 プレゼントを捨てられたことのショックって普通は受け入れ難いよな。ショックを和らげるために自分を無理に納得させるみたいな体験が、奇妙の物分かりの良さというか、引き上げる早さに繋がっているのかなあ。
奇妙 でもなんか嫌な思い出では全然ないのよね。
田渕 確かに話のトーンから嫌な感じは受けないよね。
奇妙 なんか…何やろう。ドライになるきっかけみたいな。
田渕 ショックからの防衛本能的な?
奇妙 ショックみたいな感じではなくて、なんか…何やろうね。
あ、あとその話から思い出したことがあってさ。母親に昔言われたことなんやけどな。中高生くらいの時に、母親と車に乗って家に帰る途中のことやったかな。なんか、ものすごい何の気なしに母親が「ほんまはあんたのこと堕ろそうと思ってたんやけどな」って。
(会場 笑)
田渕 ああ、大阪のおばちゃんのね。本心のよくわからない悪ノリジョークね。許されるジョークではないですけどね。
奇妙 今となっては想像できへんことやけどね。
田渕 わりとね、めちゃくちゃなことあっけらかんと言いますもんね。大阪人特有のひねくれた愛みたいな、ね。
奇妙 なんかほんまにその時は車の中で笑いました。「おれグレてまうで!笑」って。そんなんいうたらグレてまうやつおるぞって。
田渕 その場面を鮮明に覚えてるってことは、今も奇妙の中に何かが引っかかっているのかな?
奇妙 いや、俺はなんかシンプルに「この人おもろいな」と思って。
田渕 なるほど。逆にそんなことストレートに言えるんだ、みたいな。
奇妙 うん。デリカシーを置いてきたんやなって。なんかね、ほんまのことを言うのを抑えられへん人みたいな。たぶん親父もそうやし、母親もそういうとこあるけど、「そういうの(人が傷つきそうなこと)言わんとこ」みたいなところがないというか、漏れてしまうんやろな。
二世帯住宅というか、親父の両親と一緒に暮らしてた昔の家やったし、色んなことが雑多で、デリカシーあるような家じゃなかったのかなと。
田渕 自営業で忙しかっただろうし、細かいところまでは行き届きにくかったのかもね。
奇妙 あと、これも母親との思い出なんだけどね。
俺、勝手に冷蔵庫を開けるの好きやって、冷蔵庫の中のハムを勝手に食べたり、なんか新米のときは米ってそのまま食っても大丈夫やったから…柔らかいから大丈夫じゃないかな、と思って生米を普通に食べたり、わりと好きに台所使っててん。
それで、小学校高学年ぐらいのときだったかな。夜中に喉渇いたなと思って、いつものように台所にジュースを飲みに行ったとき、暗い台所でホタルみたいなふわーっとした光が見えたから電気つけてん。そしたら母親がシンクのとこでタバコをむっちゃ吸っててさ。
田渕 ああ。
奇妙 当時、親父やおじいちゃんは全員タバコ吸ってたけど、おばあちゃんは吸ってなくて、女がタバコ吸うのは…みたいな感じがあってん。
田渕 昔はその風潮が強かったから夜中にこっそり吸ってた?
奇妙 電気つけた瞬間、「ジュッ」って言う音がしてさ。それはすごい強く残ってる記憶。
田渕 そんなに急いで消さんでもええのにね。
奇妙 なんか別になんやろね。同じとこで暮らしててさ。
田渕 うんうん。
奇妙 なんだろうね。上下関係とか男女とかで差が生まれること自体がやっぱすごい嫌いかも。いろんな場面で。
生まれてきて死ぬまで100年ぐらいしかないのに、みんなたまたま一緒におるだけやのに、誰かが威張ったりとか、誰かに威張られたりとかってなんか変やね。ほんでたまたま一緒に暮らしてんのに仲良くしたらええやん。
田渕 ですよね。
奇妙 誰も別に偉くないと思う。大人になった今、いろんなこと知った上でもやっぱりそう思う。その時のじいちゃんばあちゃんが悪いわけでは絶対ないけどね。なんか、そんなこととか思ってたかもしれないよね。
子どもの頃のことを今改めて振り返ってみたらね。
田渕 あの…こんなこと普段言わないですけど、奇妙はやっぱり優しいなと思ってて。その優しさがどこから来るのかを紐解こうとした時に、それは誰かを傷つけたくないプラス、自分も傷つきたくないみたいな気持ちがあったりすんのかな。そういった体験を、あえて紐付けるなら、ね。
奇妙 そうね。俺はなんか自分のこと優しいって思ってなくてさ。
田渕 自分で思っとったらどつくよ。笑
奇妙 笑。なんか田渕って優しいなっていつも思ってるけど、一回一緒にタクシー乗った時にめちゃくちゃ喋る運転手さんに当たって、こいつめちゃくちゃ無視してた。
(会場 笑)
奇妙 俺だけめっちゃ喋っててさ。
田渕 奇妙は優しいなって思いながら窓の外見てたわ。
奇妙 俺は優しいんじゃないのよ。問題が起きることがやっぱ嫌なの。面倒くさいのよね。ほんまに優しいのは、サンデーさん(TENSAIBAND BEYONDのメンバー、Sundayカミデさん。以降サンデーさん)やわ。
サンデーさんの好きなエピソードいっぱいあるんだけど、小学校の時の給食でエビフライ出る日があって、みんな楽しみに教室で待っててんけど。給食当番の女の子が廊下で転んでしまって、その廊下がたまたま濡れてて、そこにエビフライがわーって転がって、みんながブーイング浴びせるみたいな状況になって。
田渕 「せっかくのエビフライなにしてくれてんねん!」みたいな空気?
奇妙 みたいな時に、それをサンデーさんがバーって走って行って「みんなこれ要らんの?」って言ってそれを全部食べた話めっちゃ好き。
田渕 かっこよすぎるやん!
奇妙 優しいってそれやから。俺はなんかね、面倒くさいことが嫌なだけ。飲み屋とかで誰かと誰かが揉めだすと、俺すぐ帰んのな。嫌やから。ギャラリーでおんのも嫌やし。もしかしたら、その間を取り持つのがものすごい上手い人がいるとしても、全員が帰ったらその喧嘩なくなるんちゃうん?と思って。誰もみてない喧嘩、二人で続けるのかな、とか。まあ、続けてくれてええんやけど…っていうぐらい冷たいです。
田渕 優しさって、自覚するものじゃなくて、他覚やと思うねんけどなぁ。やっぱりタクシーの…
奇妙 あれは優しいんじゃない。
田渕 「へえ、そうなんですか」って積極的に話を聞く奇妙は、あの時のタクシー運転手にとっては優しい人だったと思うけどなあ。
奇妙 そのぐらいのことって、優しさと呼べないと思うのよね。またサンデーさんの話するけど、サンデーさんが新大阪でタクシー拾って目的地を伝えた時、運転手さんが「僕タクシーの運転手するの今日が初めてなんで色々教えてください」みたいに言われたらしくて。
そしたらサンデーさんは、自分の目的地までのルートを教えるんじゃなくて、タクシー業界でメジャーな交差点とか一個ずつ回って、「この交差点、この名前やけど、違う名前で言われることあるから」とかアドバイスして回ったらしい。
田渕 すごいな。
奇妙 ほんですごい遠回りして、自分の目的地まで着いて降りる時に運転手さんが「こんなこと初めてです」って泣いてたらしい。それがやっぱ優しさやな。
田渕 なるほどな。ところでなんでこういう話に触れてるかっていうと、奇妙の歌の存在感が「俺!俺!俺!」みたいな強い自己主張からくるものとは別物のような気がしてて…(という話しの途中で奇妙退席)っておいおい!どこ行くねん!!
奇妙 トイレ。
田渕 (奇妙トイレで田渕しばしソロトーク)
奇妙礼太郎の歌はどっから生まれるものなんかなって考えた時に、奇妙の歌は沈黙からきてるような気がする。飲み込んだ言葉、溜め込んだ感情、それがあふれて滲みでたものが歌になっていく。そこに自己主張っていう意思は介在していないような。だからこそ奇妙の歌は、押しつけがましくなくて、人の心にスーッと入っていくのかもしれない。


インタビュー前半は自分が引っ張るつもりが奇妙にリードしてもらう流れになる。ナチュールワインがすすむたびにインタビュー構成は乱れ、結局何が聞きたくて、何を聞き出せたのか、よくわからない結果となった。(不安を口に出すなとまた奇妙に叱られるかな)
酔っ払って楽しくなっちゃってる状態のままインタビューは後半へ。


インタビュー後半

田渕 子どもの頃は、音楽のある環境で育ったの?
奇妙 「子どもの時に人前で歌うのが好きで」みたいな人おるやん。全然そんなんじゃなくて。
田渕 例えば、お父さんやお兄ちゃんがレコード集めるの好きやったとか。
奇妙 家族の誰かが、特別音楽に詳しいとかではないんやけど、友達と集まって、ちょっとだけ音楽かじってたみたいな。そういう時代の走りですね。
田渕 ギターを持ち始めたのはいつごろ?そのきっかけは?
奇妙 中高生の時かな。俺の親くらいの世代の人が、戦争を知らずに育った初めての世代でさ。戦後いろんなものが溢れ始めて、景気がうわーってなって、アメリカのものが入ってきて、みんなギターとかで遊びだしたんだよね。俺の家は、別に文化的な家じゃないんやけど、そういう普通の家にもギターとかが普及してた。
田渕 奇妙はギターを始めてすぐに宅録してたって聞いて、それが面白いなと。ギターを覚えたらまず友達に聞かせたいってなるのが、よくある流れだと思うねんけど、まず宅録から入ってるってのが渋いね。
宅録は1人でゲームをやる感覚にも似てたりするのかなぁ。奇妙は1人遊びが得意なタイプだった?
奇妙 あまり友達といつもいるみたいな感じではなかったかなぁ。一緒に帰る人はおったけど、友達みたいな感じではなくて、クラスの人気ない人同士で一緒に下校をしてるだけみたいな。
もちろん喋ったりもするし、一緒に帰ってゲームセンターちょっと寄ったりとかしてたけど、「この友達がすごい好き」とか「この友達と何時間でも喋れる」みたいに思える友達は全然いなくて。
人付き合いみたいなのは、楽しいっちゃ楽しいけど、まあこんなもんなんかなとも思って。で、家帰って…みたいな。でもまあそんな生活の中でも音楽聴くのはわりと好きやったかもね。音楽が好きって自覚してないけど、小学生の時とか長渕さんとか好きでさ。(ドラマの)「とんぼ」とか見て大好きやった。
田渕 奇妙はハマショー(浜田省吾)とかも好きよね。
奇妙 なんかね、そのころたまたま家にCDあったからかもやけど、憂歌団とかも好きになって。
田渕 宅録でコピーしとったっていってたもんね。
奇妙 そうそう。そういうCDが家にあって、『ギター・マガジン』とかに譜面が出ることがたまにあって、見よう見まねで弾ける喜びみたいなものは感じてた。
田渕 人前でやりたいみたい気持ちはあった?
奇妙 うーん…
田渕 音楽を始めてシンプルに楽しいから、それで充分みたいな感じだったのかな。その気持ちは、音楽を生業にするようになってからはどう変化していったの?
奇妙 昔は仕事で音楽してる人、全員神様みたいな人やと思ってた。そんなある種の凝り固まった考えが自分の音楽活動を息苦しくした時期もあった。
ここまでにこうならないと、これを人前で見せたらダメだとか。何歳までにこれだけの成功実績を残さないといけないとか。
たしかに仕事って、誰かが何かを評価して、その対価を支払うことではあると思うんやけど、じゃあその評価は誰が何を基準とした評価なのかって本当のところは誰にもわからないものでさ。自分で価値がないと思っていても、誰かが価値を見出してくれたら、それは仕事として成立する。
どこまで行っても自分の狭い視野だけでは見えない色んな評価や価値がある。じゃあもう何でも好きにやった方がいいやんと思えるようになってからは楽しくなってきた。時間はかかったけどね。
田渕 もともとは、誰かの評価を気にすることもなく楽しくやってたのが始まりだもんね。
奇妙 そう。単純に楽しくてテープレコーダーで憂歌団の「嫌んなった」って曲を何回も繰り返しやってた。何回も録って弾いて、録って聴いて、なんかやっぱ全然うまくいかなくってさ。ちょっとずつ本物に近づいていく過程が楽しかった。
田渕 一番最初、人前で歌ったのって何歳くらいの時やったの?俺が以前聞いた話だと、たしかミスチル(Mr.Children)の「車の中でかくれてキスをしよう」だったかな…。
奇妙 それは初めてできた彼女の時だね。たしか俺が初めて人前で歌ったんはカラオケボックスかな。12、13歳くらいの時に駅前にでき始めたコンテナみたいなカラオケボックスに友達と行ってさ。
チャゲアス(CHAGE and ASKA)のASKAの「はじまりはいつも雨」を歌ったのが初めてやと思う。
田渕 友達の反応はどうやった?
奇妙 その時、バスケ友達と行っててさ。俺バスケはめっちゃ下手で。
田渕 下手そうやな。
(会場 笑)
奇妙 歌ったあとに、なんか「こいつもええとこあるやん」みたいな顔されて嬉しかった。自分の生活圏は、人のことを褒める文化みたいなのがあんまりなかったから。
田渕 そういう些細な成功体験みたいなものが引き金になって「僕こんなんできるんや」みたいな自信を奇妙にもたらしたのかなぁ。
奇妙 ピストルでたとえんなや。
田渕 バンドを組んだのは?
奇妙 大学入ってやっと優しい人に出会った。アニメーションズで生島(良太郎)くんとかが「すごいやん」とか「面白いやん。一緒にやろうや」とか言ってくれてさ。自分が何かを一緒にやろうって求められてそこに加わるってことが初めてで、その時生まれて初めてぐらい「自分には価値ある」って感じることができた。嬉しかった。
田渕 奇妙がメジャーにいってからも、インディーズの空気を損なわないのは、そういうバンドの原点を大切に思って活動しているからなのかな。


インタビューの途中、突然ナチュールワインの空きボトルを僕に見せる奇妙。



奇妙 ところで田渕、さっき呑んだワイン7600円するって知ってびっくりしたやろ。
(会場 笑)
田渕 ナチュールワインに免疫ないから。
奇妙 肝冷やしてたやろ。
田渕 そうなんですよ。なんで、ナチュールワイン高いのかわかんない。
奇妙 そういえば昔、田渕とツアー一緒に回った時に回転寿司に行って、その時「美味しかったなぁ」ってレジに並んでて、田渕が2000円くらい手に持って払う気満々で待機してて、レジの人に「3600円です」って言われて、すごい顔してた。
(会場 笑)
奇妙 「冬の三寒王(旬のネタの盛り合わせ)」を食べてたのに。あれだけで支払い金額の半分はいってたんちゃうの。
田渕 いや、ほんまにね…。笑
奇妙 ツアー最終日は、みんなで回らないお寿司屋さんに行って、お昼のセットみたいなの食べてて「おいしいなぁ」って言ってたら、横で知らん女性が「おいしくないね」って言ってたなぁ。
(会場 笑)
田渕 奇妙がいつもよりちょっとだけ大きな声で「やっぱり、お寿司って好きな人と食べんと全然美味しくないなぁ」って、隣に聞こえるように。
奇妙 嫌味言って。精一杯のパンチ。
田渕 なんか思い出がいっぱいやね。
奇妙 思い出たくさんあるね。
田渕 …っとまあ、ちょっとこんな感じで、そろそろ時間なんですけど結局何を聞けたのかよく分かんないですけど。
奇妙 わからんの?
(会場 笑)
田渕 まあ、わからんことないけど。
奇妙 お前が言うたら絶対あかんやつや。こっちサイドは言うてええんや「なんかようわかりませんでしたけど」って。
田渕 そうね。絶対あかんやつや…まあ、奇妙の謎は別に謎のままでもいいんやけど。まあそんな奇妙には僕自身たまに教わることがあって。その一つが引き算の美学というか。僕は言葉を足して伝えようとするのに対して、奇妙は言葉を引いて伝わるようにするみたいな。
奇妙 1回目に書いてきたやつが完璧にええのに、2回目にめっちゃ増やしてくるんですよ。
田渕 ああ、俺な。
奇妙 なんか、入浴剤入れてくる。別府温泉にバスクリン入れる…入れんでええって。
田渕 こういう奇妙のユニークな助言に時々助けられてます。言葉少なだけど、的確なアドバイスをくれる時もあるし。まあ本人は助言と思ってないと思いますけど。
奇妙 助言と思っとるよ!
田渕 ってことで、そろそろお時間となりました。今後は僕も奇妙礼太郎のオフィシャルファンクラブに入ろうと思っているんで、皆さんこれからは僕とも仲良くしてください。
(会場 笑)
二人 本日はありがとうございました。
(会場 拍手)


インタビューを終えて

本記事に未掲載の質疑応答時間を含め、約2時間に渡ったインタビュー企画。イベント後は、ファンクラブの皆さんとしばし雑談や酒を酌み交わした。皆さんの表情からイベントが成功だったんだと、僕はほっと胸を撫で下ろした。
帰り道、渋谷に寄って、奇妙とマネージャーと友人とで食べたもんじゃ焼きが美味しくて最高に楽しかった。東京で暮らしていた日々が蘇って嬉しくなった。渋谷からタクシーに乗り込んだ奇妙にまたねと手を振った。

奇妙礼太郎へのインタビューは、歌を続ける僕自身へのインタビューでもある。僕が作った歌を奇妙が歌うように、奇妙の言葉が僕の歌に返ってくることもある。これからさきの音楽人生の道中で、それぞれの新しい歌が生まれたり、酒の肴になるようなニュースができたら、また今日のような機会を設けたいと思う。
そんなこんなでイベントが終わって2週間ほど経過したころに、ようやくこのインタビュー記事に着手しているわけだが、このあとがきを書きながら気がついたことがあった。インタビュー日に「奇妙に似合いそうな歌だから」と持っていった作りかけの歌をイベント最後に一緒に歌った。

「愛の全部」という未完の歌。

まさかその歌の中に、その日の想いのようなものが書きこまれていたなんて、あの時の僕はまるで気が付いていなかったのだ。


「愛の全部」

君の一部に出会って
君の一部にひかれて
君の一部に触れたら
君の全部を知りたくなった

君の一部が見えたり
君の一部が見えなくなったり
君の一部を知れば知るほど
君の全部がわからなくなった

君の全部を知りたいよ
君の全部を抱きしめたいよ
僕の全部を君に全部見せても
君が見せるのは、ほんの一部

君の全部を知りたいよ
君の全部を抱きしめたいよ
僕の全部を君に全部あげても
君を満たすのは、ほんの一部

君の全部は、どこ?
君の全部は、どこ?
僕の全部、、でも
足りなかった愛の全部



fin


◾️関連記事



いいなと思ったら応援しよう!