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レビューって何? 作品は作者のものなのか 6/25

仕事じゃなくなった瞬間、比較的作品に対して悪口をいうタイプの久保内なんですけども。

本日は軽く済みそうなネタでお茶を濁したく。

嫌なら見るな?

TwitterやSNSが登場してから特によく見るようになった物言いで、「レビューは褒めるのが基本」もっと言えば、「気に入らないなら、嫌なら見るな」という価値観があるじゃないですか。アレ、まったく賛同できないんですね。「金を払わないなら文句言うな」まで行くと、スゲーなーとも思っちゃいます。下らないのでいちいちこれがどうおかしいのかについては書かないですけど、とりあえず作品と私の間の関係に信者的なあなたが入ってくるの? とは思います。まあ、信者的な方がどんな受容をしているかについては大変興味があるところなので、無言でログを保存したりはするかもしれない。

考察系という言いかえと忖度

他にも、レビューと言いながら「作者は○○だとインタビューで言っていたからこれが正解」だとか、明らかに物語の構成が変でも、作者はこう読んでほしそうだからそう読んであげようという忖度が強烈に働いた文章をよく見ます。これらは割と自分の文章のことをレビューとは言わずに「考察」と言ってりしますわね。

こちらについては実はちょっとだけ責任を感じてなくもない。わたくし、ヒットアニメやマンガの謎本・考察本を一時期結構手掛けておりまして、商売相手が「ファン」である関係から、本の半分以上をその物語でいまだ語られていないモノ・設定・マクガフィンについての解説を書いていたりしたので。

ファン向けに、物語世界の厚みについて肯定的に解説するという振る舞いが、現在「好き/嫌い」でつながるSNS空間の中で、批評的な立ち位置を占めてしまったということについては、理解できるとともにちょいと責任も感じたりはします。一応本の後半や、論考のいくつかは批評的な視座があるものを採用したいと思ってそれなりの施策をしたつもりではありますが。

とはいえ、作品を「理解」する上では、こういう内在的な見方は一定の価値はあるのではないでしょうか。「好き/嫌い」の評価軸を「好き」に固定することで、感情的な反発を避けるクレバーな方法ではあると思います。

が、「好き/嫌い」だけでなく、「いい/悪い」、「政治的に正しい/正しくない」などなどなど……作品を見て判断できることは無限にあるということは前提として持っておいた方がいいかなと思います。どうも「好きなのは、この作品が深い、よく出来ていることの証」という、自分の好きの根拠探しにも見えるんですよね。

でも、好きな作品だけど今見返すとストーリーはダメだし、問題設定もどうかと思う、っていうケースもかなりあるし、だからと言ってあなたの好きは揺るがないし、いい体験だったことには変わりないと思うんですよね。

そもそも作品は誰のものなのか?

次に、一度完成した作品は誰のものなのかという問題。いや、権利的に言えば作者のものでだいたいあってるとは思いますよ。でも、作者がその作品について一番の理解者であるとか、作者の意図した風に作品は読まれるべきだとはならないという話です。

一度発表された作品や文章は、それ自体が独立したもので、作者の「言いたいこと」なんかとは離れて多様な読み方がされるようになるし、そうあるべきものです。面倒なので、考察から作者から独立した作品についてはテクスト論の概説でもググってみてみてください。

ざっくりいうと、文章や作品を発表している人ならわかると思うんですけど、作品を発表する際に意図した仕掛け、こう読んでほしいという気持ちというものは、市場に出たときには希望通りに読者が受容することは稀で、読者それぞれの問題意識に意図していない角度で刺さっていく。このとき、作者は作品の支配者ではありえないということだ。

原作とアニメ化、二次創作

さらに言うと、人気原作がアニメ化したもの、これをどうとらえるか。自分にとっては、アニメ化とは原作の批評の形態の一つだ。別のメディアに原作を展開するとき、できたものは原作そのものではありえない。この原作の魅力はどこか、どこを省くか、政治的に怪しい部分・子供に見せられない部分をどう誤魔化すか。全体の作品の雰囲気をどう表現するか。これらはすべて批評的な視点で検討されて、決定されていく。

その作品のファンになった人が描く同人誌、二次創作も同じだ。それぞれが原作を参照して絡み合いながらも、それぞれ独立した空間を作っていく。

よく、批評は作品の二次創作だといわれる言葉を聞く。が、自分にとっては、二次創作は批評の一形態だと思っている。

作品そのものと批評/レビューは、それぞれ独立した表現

例によって30分が経過した。つらい。

結論として、自分のスタンスを書いておこう。小見出しの通り、作品の権威にタダ乗りする寄生虫のように扱われがちな批評やレビューだけど(まあ、商業的なレビューは作品の人気を当て込んでいることは否定できない)、そもそもは、作品から独立したものだということ。

作品へのリスペクトの有無とか関係なく、そもそも別個のものとして考えたほうがいいというのが自分の考えだ。

そして、作家が誰で、その人のバックグラウンドはこうで、だから作品がこうなったというようなストーリーも、評論においては有効な手段の一つだけど、批評・レビューにとっては必要なことではない。

逆に言えば、レビューの対象となる作品を読んだことが無い人や、理解の無い人でもレビューは読まれるものであるということ。それ自体で成立して、自立した表現であることを意識して書かれたもののほうが、よりよいレビューを書く上で重要な心構えだと思う。

まあ、その心構えは、書かれたレビューの出来に関係あるかと言われればないんですけどね……。

今日はこの辺で。





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