正しいものより、願望通りのものを信じてしまう。│ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!㊷(終)
第四巻 真知と臆見について
第二〇章 正しくない同意いいかえれば誤りについて
情熱的に愛する男に、騙されていると告げ、愛人の虚偽の証人を二十人つれてこよう。十対一で愛人の"I love you.”という三つのやさしいことばがすべての証言を無効にしよう。すなわち、「私たちの願望に適するものは進んで信じられる」は、だれも一度ならず実地経験したことのあるものだと、私は想う。
自分の彼女の浮気現場を見た友人に、
「この前、お前の彼女が知らない男と手繋いで歩いてたぞ!」
と言われても、にわかには信じられず、
「俺の彼女は、そんなことしない!」
と言います。
「俺も、お前の彼女が知らない男と手繋いで歩いてるの見たぞ!」
「俺も見たぞ!」
「俺も見たぞ!」
と証言が集まっても、決して信じようとはしません。
でも一抹の不安はよぎり、彼女に確認すると、
「私が浮気なんてするわけないじゃない!私が愛しているのはあなただけよ!」
と言われ、彼女を信用します。
客観的に見れば、これだけ友人の証言が集まっているので、彼女の方を疑います。
しかし、本人は彼女を信じました。
このように、人は「自分が信じたいもの」を信じます。
相手の打ちミスが多いなら、相手に打たせた方が確実に勝てます。
しかし、
「自分から攻めて勝つのがかっこいい!」
「相手に打たれるなんて怖い!」
と思っていると、確実に勝てる方法には見向きもせず、自分から攻めようとします。
自分の願望通りの戦い方を無条件に信じてしまうと、ベストな戦い方を吟味することすら放棄してしまいます。
ただ、最大の目的は「勝つこと」だったはずです。
カッコ悪かろうが、怖かろうが、それが勝利に近づくのであれば、その戦い方を選択すべきです。
何を信じるべきか、冷静になって考えましょう。
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