目に見えることだけでなく、目に見えないことに気付けるか。│ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!㉚
第三巻 ことばについて
第九章 ことばの不完全について
殺人とか聖物冒演とかなどのことばが意味表示するものは、事物自身から知ることがけっしてできない。これらの複雑観念の部分の多くはそうした行動自身のうちに目で見ることができない。殺人あるいは聖物冒澄の部分をなす、心の志向、あるいは、聖なる事物の関係、これらは、どちらかを犯す者の外部の目に見える行動となんの必然的結合ももたない。
「フットワーク練習をたくさんやっているのに、試合で足が動かない…」
という悩みがあります。
このとき、「足が動かない」という、目に見えることに注目して、更にフットワーク練習を重ねても、なかなか解決できなかったりします。
ここで必要なのは、
「なぜ試合になると足が動かなくなるのか」
という原因の追求です。
試合になると足が動かない
↓
そもそも判断が遅いから、動ける時間を作れない
↓
判断を早めれば、動けるようになる
↓
コースを予測できるようになろう
このように原因を追求することで、「予測」という目に見えづらいものが見えてきます。
こうなれば、ランダムの練習で予測力を鍛えることで、試合でも動けるようになります。
コースが分かっているフットワーク練習では、どうりで悩みが解決できなかったわけです。
「ドライブが振り遅れる…」
という悩みがあります。
「振り遅れないように」と思っても、どうしても振り遅れてしまいます。
さぁ、原因を追求しましょう。
どうしても振り遅れる
↓
「どうしても」ということは、その前の動きがもう遅れている
↓
打った後の戻りが遅い
↓
打ったらすぐ次の動きに移ろう
この悩みは、そもそも寝坊してるのに、
「あれ、走っても遅刻しちゃうなぁ。」
と言っているのと同じ状態だったわけです。
「もっと早く起きる」
と気付いたことで、この悩みは解決できるでしょう。
以上のように、目に見えるものだけ見ても、解決できない悩みがあります。
そんなときは、原因の追求が必要です。
そして、目に見えない本当の原因を見つけたとき、解決に向かうことができるのです。
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