創作ノート6

 創作ノートは自分の頭の中を吐き出してみようと思っている、付き合ってくれて申し訳ない、ありがとう。今回は書きづらいのだけど病気の事を話そうと思う。病気については色々な記事でたくさんの人に読んでもらった、代表的なものに心理面接がある。

 幻聴という病気は声が頭の中についた様に感じる。実際には声は聴こえないのだけど生き物が存在して話しかけてくるように想うのである。この存在と向き合ってどうしようか?という話になる。僕が生きていくにはなるべく静かにして欲しいのだけどいろいろ手を打ってみた、頭の中から忘れる為に他の事に集中する。例えば勉強、無理をしたらいけないということがわかった、適度な加減で気持ち良い負荷で取り組む。仕事の場合難しい、学校にいる時は自分のペースでとりくめるけど、仕事になるとこちらがあわす必要がある、自分のペースというわけにもいかず負荷も大きくなるので幻聴が強く出てしまう。Noteをしているときも遠くで音が鳴っている様に思うけど、自分のペースでできるし好きな事なので音が気にならない。でも作業が終わった後声が集中的に話しかけてくる時がある、そのときはうるさいなーと呟き、耐えられないと思った時はTVに逃げてしまう、これが不思議なんだけどTVを見ていると幻聴が静まるのである。そうならずっとTVを見ていればいいのだけどそればっかりはしていられない人はやらないといけないことがある。高校生の時は学校に行くと幻聴がうるさくなるので家ではTVをつけて気を紛らわしていた。50歳まで幻聴と向き合ってきたけど静かにさせる為に色々手を打ったけど静かにならなかった。やっぱり幻聴がつくという事は病気なんだろうと思う。どうしようもない、もう消える事はない諦めようと思っている。

 50年どうしたら静かになるか考えてきたけど、薬をのんだら頭の中が狂わない。薬を勝手に飲まなくなると病気が再発して病院に入院することになる。薬を飲んでいれば幻聴がうるさくてもそれは幻聴を自分でコントロールするはんちゅうにあるということになる。父親がいうにはお前が2回入院したのは薬を飲まなくなったから、糖尿病の薬と同じで飲まないと血糖値があがって生活できなくなる、自分でおかしいことに気づかないとと用紙に今までの統合失調症と自分との関わり、人生グラフで説明されてしまった。自分が病気じゃないと思う時、おかしい事にデイケアに行かず家にいると病気を忘れて薬を適当に扱ってしまうことがある、こうゆう時が危険で幻聴は見逃さない徹底的に攻めてきて体調を崩し病院送りにする。2年前、R2年の12月に体調を崩して自分でどうしていいかわからなくなりデイケアのMさんに相談した。デイケアに通院して幻聴が回復した。静かになって安定した。担当の先生が言うには他の事を考えるのがいいんだろうと言う。デイケアにきて思う事は僕は幻聴を無視するけど他の人にも伝わっていてその人が対応するから幻聴が静まるんじゃないのか?と思ったりするでも心理面接でMさんに僕の聴こえる声が聞こえますかとたずねると何も聞こえませんと答えてくれた僕は伝わらない事に安心した。このわけのわからん声が他の人に聴こえていたら大事だ。社会人になって24年間、幻聴も他人も同じものに見えてしまう。人は恐ろしい。人の心はあなどれないし、結局他人にも攻撃されている。被害妄想か?もう幻聴とも他人とも関わり合いたくない、死んだら苦しみからも解放されると思う。

 日本には武士の世界があった。戦国時代人を斬らなければならなかった。僕は人を切りたくはない、どうしようかと思う。剣術の腕をあげる事を考える。みねうちにして痛みだけで終わらせる。人の命まで奪わない。
 病気がついたらどうするか?自分の命までは奪わない様にしよう、痛みで終わらせる。精神的な苦しみを見る事はつらいけど意識的に自分の命を守る為に居場所にするのだ。
 病気がつく事と人を斬ることは同じと思う。どちらも人の命を奪う。僕は命を奪われない様に50年生きてきた、でも限界かもしれない。

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