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【日記&悔悟録】②親の聴こえを気にするのも一つの見守り。補聴器選びを手伝うのも立派な介護。

[日記]2011年10月4日

母の脳外科受診に付き添った後、補聴器店へ向かう。店の前まで来た時、「ここはいやや。前にここで作ったけど、ひどかった」と母が拒否。仕方がないので昼食へ向かう途中、別の補聴器店があったので入ってみると、予約が必要とのこと。あさっての予約を入れる。

[日記]2011年10月6日

補聴器店に行く。検査と機能の説明に2時間。店長さん自らが対応して、とても丁寧に話してくれる。

それにしても最近の補聴器の進化には驚く。パソコンにつないで、周波数ごとに聴こえの度合いを調整できるようになっている。新聞をめくる時のシャカシャカした音を嫌う人には、それが気にならないような聴こえ具合にできるらしい。デザインもオシャレになっているし、本当にすごい。


 ◉振り返り①

 補聴器店へは一緒に行く

とにかく実家を離れて暮らした期間が長いと、
両親について知らないことが多い。
母が以前、補聴器を作ったことがあるという話も初めて聞いたような気がする。が、リビングのキャリー付き収納引き出しケースの奥の方に
補聴器がひっそりとしまわれていたのを見かけた気もする。

この日記を書いた頃、夏の事故のことなどから認知症を疑っていた私は、
できることはしておきたいと思い、
まずは母に補聴器をつけてもらうことを目指した。

以前に利用した補聴器の店で雑な対応をされ、
十分に納得しないまま買ったと言う嫌な思い出がある割には、
母はこの時、私の誘いに素直に応じた。

「外出する時に、周りの音がちゃんと聴こえないと危ないから」と、
数ヶ月前の夏の事故を思い出させる言い方で説得したのは、
いま思うと心の傷に触ってしまう酷なやり方だったかもしれないが、
それでも、その後、聞こえの具合いは良くなったように見える。
何より、MCI(軽度認知障害)と診断された
2012年から今日(2023年)まで11年、
そこそこ元気に暮らせてきている要因の一つになっていると思う。

実際、厚生労働省が策定した認知症策定推進戦略(新オレンジプラン)では、
難聴が認知症の危険因子とされている。

補聴器を使って、ちゃんと聴こえる状態を維持することは、
脳の活性化の程度を下げないという点では意味があるようだ。

で、今回訪れた店は、「当たり」だった。
母の要望を細かく聞き取り、
試着用の補聴器の聴こえぐあいを
母が納得するまで微調整を繰り返してくれる。


母の足元を気遣ったり、
ちょっとしたこだわりのお茶を
説明付きで出してくれたりする、
とても感じのいいスタッフばかり。
店長さんが中途難聴者だということもあってか、
聴こえへのこだわりを誰よりも知っているからだろう。


母は、製品もスタッフのこともすっかり気に入り、
それなりの価格ではあったが、購入を決断。
耳の穴の型もきちんと取って、
つけ心地、使い勝手のいい補聴器を手に入れることができた。

以前の補聴器店では満足できず、
今回は納得のいくものを手に入れた母。
違いはというと、
私という家族が同席したかどうかという一点に尽きる。

聴こえが芳しくない人が買い物をするのに、
説明が早かったり、込み入ったりしていると、
完全に理解することは難しい。
ましてや認知機能低下が起こっているかもしれない状況だ。


しかも、日本の人は変なところで遠慮したり、
いい人ぶったりしてしまう傾向があるので、
不安や不満が残りつつも購入を決断してしまうことがある。


家族なり、信頼できる友人なりが、
ひとり隣にいるだけで発言のしやすさは全く違ってくる。
この点は大事だと思う。

両親の耳が遠い、と言うのは、
実はもっとずっと前から気づいていた。
母は60代頃から、父もおそらく70代頃から始まっていたのだろう。
帰省するたび、実家のテレビのボリュームが
尋常ではなく大きいことを感じていた。

ボリューム40前後の頃は、
迫力のある音を聞きたいのだろうと解釈していたが、
50を超えると玄関の扉を開ける前にしっかり聞こえてくる。
マックスの時は、60にしていた。

いま、これを書きながらテレビをつけて
ボリューム30にしてみたが、それが限界。
40にしたところで、ドキドキした。

いずれにしても、近所の方々にはさぞ迷惑な隣人、
あるいは「変わった人」と映っていたかもしれない。
(ご迷惑をおかけして、すみません。)


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聴こえが低下していると感じたら、
早めにチェック。相談できる家族が一緒なら
細かい要望も安心して言える
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[日記]2011年10月21日

仕上がった補聴器の確認のため、補聴器店へ。13:30の待ち合わせだったが、母はとても早く待ち合わせ場所へ着いてしまったようで、一人で先に店へ行き、待合室のソファでくつろいでいた。実家へ電話をかけたりして、ちょっと慌てていた自分はなんだったんだろうと、一瞬、毒づきたくなった。

[日記]2011年10月25日

母の補聴器購入に付き添う。今日もかなり早く来て、市場の洋品店で枕を買ったり、昼に知り合いとラーメンを食べたりしていたようだ。


 ◉振り返り②

 うまく出来ていることは何か、という視点

この時期、母は約束の時間よりとても早くまちなかに出てきて、
一人で買い物をしたり、
バッタリ会った知人とランチを楽しんだりしている。
ちゃんとバスに乗り、バス停を間違えることなく選んで降り、
昔なじみのお店を巡っているのだ。

私との約束を守れなくなっているように見えるが、
目的地に「早く来ている」から「遅刻はしていない」のですよね。

もっと言うと、「待ち合わせの時間を忘れたから、早く来てみた」
のではなく、
「待ち合わせの時間に向けて、
一人で楽しむ計画を立てる」ことができていた、とも考えられる。

早めに行って、今まで通り、行き慣れた店で買い物をし、
知り合いと楽しく過ごしたい。
時間を有効に使いたい。
意欲的です。
昔からアクティブだった母らしい考えです。
もちろん、時間に遅れてはいけないという想いもあっただろう。

約束の場所で会えなかった私は、この時、
若干の不満を感じたものだったが、それは未熟だった証拠。
「出来ていること」に目を向けて考えれば、
何の問題もないことがわかる。
それどころか、うれしい気持ちさえ感じるのだ。


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約束を破られた時こそ、考察のチャンス。
そこにどんな思いや意欲があったのか。
自分でできたことは何だったのか。
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お時間があれば、こちらもぜひ。
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