見出し画像

鉄板の上のオーロラ

「実家のお好み焼き、オーロラソースなんですよ」
大阪は鶴橋のお好み焼き屋で、会社の同僚とエビ玉をつついていた。

実家は、大阪から200キロ離れた岐阜県郡上市。山と川と田んぼに囲まれ、鉄道は一時間に一本走るような街だ。40年ほど前、大阪から婿養子としてやって来た父は、我が家にお好み焼き文化を定着させた。

「お誕生日、何が食べたい?」「お好み焼き!」
私は物心のついた4歳くらいから家を出る18歳まで、この答え一筋だった。誕生日の夕方、トントントン、と母はキャベツを刻み始める。
「山芋入れたんか?」
仕事から帰って来た父は、10人前は入る大鍋いっぱいに作られた生地を、おたまでぐるぐる混ぜる。
やれ水が足りないだの、山芋をすりおろせだの、母にあれこれと注文をつける父を横目に、ソースを作るのが私の仕事だ。
うどんを食べるくらいのどんぶりに、ウスターソースの茶色、マヨネーズの白、ケチャップの赤を入れ、スプーンでぐるぐる混ぜる。

「一番大きいのが僕の!」「このまんまるの私!」「じゃあ私はこのちっちゃいの」
ホットプレートに広げられた瞬間、指名されるお好み焼きたち。5歳上の兄は豚、4歳上の姉はイカ、末っ子の私はエビ。父は張り切ってひっくり返す。
「あ、また私の…」
姉の分だけ、毎回空中分解する。
「お姉ちゃんの、いっつもボロボロやんなぁ」
姉を怒らせながら、オーロラ色のソースを塗る。
ちなみに、このあと出てくる誕生日ケーキも、姉の分だけ倒れるのが恒例行事だ。
満腹になるころ、ソースの入ったどんぶりは底が見えていた。

そういえば、なぜオーロラソースなのだろう。
「調味料のおいしいところがミックスされとるでないかなあ。大阪のくいだおれの技術やわ。知らんけど」
実家で過ごした時間より、実家を出てからの時間が上回ってしまった今、父に聞いてみた。
郡上弁で話しながらも、やはり根は大阪人である。結局、「知らんけど」の一言で片付けられてしまった。

「でも、それがご実家の味なんですね」
同僚の一言で、オーロラソースを塗ったお好み焼きと、それを囲む家族とのやりとりが「我が家」なのだと気づいた。

後日、一人暮らしの部屋で、久しぶりにオーロラソースのエビ玉を作った。
おいしいところのミックス、か。
ぐるぐると混ざっていく様子は、あの頃と変わらない。
大人になって味覚が敏感になったのだろうか。
ケチャップの酸味が少しだけツンとした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?