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ヨガ哲学はトライ&エラー

働きのヨーガ


ある生徒さんのお話です。

「カルマ・ヨーガを習ってから、意識的に実践してみたのだけれど、なんか疲れちゃった」

という方がいらっしゃいました。

この生徒さんは
小学3年の子と幼稚園の子を持つ二児のママなのですが
毎日毎日こなさなきゃいけない膨大な量の家事育児に対して
無心になってコツコツ淡々とこなすことを心掛けていたそうなのです。

そのキッカケになったのが
カルマ・ヨーガという教えでした。

カルマ・ヨーガとは
結果に対する善し悪しの想いを持たず
今やるべきことを淡々とこなしなさい
という教えで
『働きのヨーガ』と呼ばれることもあります。

このヨガを実践するためのコツは2つです。

①結果の善し悪しを捨てる
②自我(エゴ)を捨てる

ちょっと極端ではありますが
カルマ・ヨーガをより理解するためのインドのお話があります。

とある山奥で三羽の小鳥の家族が暮らしていました。お父さん鳥とお母さん鳥と子供の鳥は、木の上に巣を作り、三羽仲良く暮らしていたのだそうです。
ある日、ヨガ行者が修行をしにその山奥の小鳥たちの巣の下にやってきました。
これは大変です。
なぜなら、客人が来たら必ずおもてなしをしなきゃいけないというしきたりがあったからです。まして客人として現れたのは立派なヨガ行者さん。これは必ず何か施しものを差し上げねばなりません。
そこで、お父さん鳥は迷わず、行者が暖をとるために焚いていた火の中へ、自ら飛び込んでいき、食べ物を差し上げたのです。
それを見ていたお母さん鳥も「お父さんがそこまでするなら私もやらなきゃいけない」と思い、火の中へ飛び込んでいきました。
そして、さらにそれを見ていた子供の鳥も「両親がそこまでするなら自分もやらなきゃいけない」と思い、同じように火の中へ飛び込んでいったのです。

ちょっと極端な話でしたが
カルマ・ヨーガを語る際によく使われる例え話です。



結果の善し悪しを捨てる

そもそも僕たちには
意識的にも無意識的にも
先の結果を計算して
メリットの多い選択をするような機能が備わっています。

だから
先ほどのインドの話を聞くと
「他人のために火の中に自ら飛び込んでいくっておかしいでしょ」
と思ってしまうのです。
これはザックリいうと
自ら火の中に飛び込んでいくという行為はデメリットの方が多い
と判断しているのです。

このような結果の善し悪しという「未来」への意識を捨てることで
「今」やるべき行動に没頭することを教えているのが
カルマ・ヨーガなのです。

未来→今

ですから
カルマ・ヨーガとは
『究極のマインドフルネス』と呼べる教えなのです。



自我意識を捨てる


そして
その結果に善し悪しをつける感情はどこから来るのかというと
「自我意識」です。

ヨガの経典では
自我意識が
「善し悪し」「愛着と憎悪」といったような
結果に対するメリット・デメリットをつくる
と言っています。

つまり
自我意識があるから
未来の結果に対するメリット・デメリットを計算してしまい
メリットが見えたときは「もっともっと」という執着心をつくり
デメリットが見えたときは恐れや不安をつくってしまうのです。

この理論でいくと
未来に起こる結果の善し悪しを計算してしまった時点で
人間は煩悩を造り出すということになります。
煩悩を抱えて行動したところで
その行動の質が高まるはずがありません。

小鳥の家族は自我意識を捨て
結果の善し悪しを捨てることで
たった1人のヨガ行者のために
自ら火の中に落ちていったのです。



トライ&エラー

話を戻しますね。
2人のお子さんを持つ生徒さんは
カルマ・ヨーガを日常で意識的に取り入れていったのだそうですが
どうやら疲れてしまったそうなのです。

僕はそれで良いと思います。

ポーズを練習して
少しずつ身体が動くようになっていくのと同じで
ヨガ哲学も練習しながら
少しずつ身についていくものなのです。

子供のころ
自転車を乗る練習をし始めて
すぐに乗れた人はいなかったと思います。

何度も何度も転んで
肘や膝にアザを作りながら
少しずつ乗れるようになっていったと思います。

あれと同じです。

まして
言うならばカルマ・ヨーガとは
「意識改革」です。
意識は肉体よりも微細なレベルのものなので
扱うのはよりいっそう難しいのです。

微細な難しいスキルだからこそ
もう少し粗雑な「ポーズの練習」と同時進行で行うことが重要なのだなと
改めて感じました。

この生徒さんは
トライするという「行動」と
エラーしたという「気づき」を得た
とても素晴らしいヨガの練習をしているなーと感じました。

おわり

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