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利他とは何か

ヨガの世界では
「利他の精神」が
心を浄化させてくれる
と説かれています。

また
対義にあたる
利己(エゴ)が煩悩をつくる
と言われています。

ヨガでは
利己を利他に変えることが
重要視されています。

究極の利他

仏教には
『忘己利他(もうこりた)』
という教えがあります。

これは読んで字のごとく
「自分のことは忘れ、他の人々のために尽くせ」
という教えです。

数ある仏典の中には
釈尊の前世のエピソードが記されているモノがありますが
そこから究極の忘己利他を学ぶことが出来ます。

釈尊が前世において修行していた頃、出産直後のメス虎に出会いました。虎はお腹を空かせていて、その空腹のあまり出産したばかりの我が子を食べようとしていたそうです。
それを見た釈尊は、自分が虎の餌になろうと思い、虎の前に横たわりましたが、虎は力が尽きていて、釈尊に襲いかかることができませんでした。
そこで釈尊は近くの崖に登り、そこから飛び降り、自分を殺してまでして餌になることを選び、虎とその子どもを救ったのです。

まあこれはちょっと極端な話かもしれまんが
人は自分の人生を全うすることに
「意味と責任」を見い出しますが
実はその「意味と責任」は
他者に対しても無限に持つことが出来る
ということだと思います。

実際に
その意味を理解し
責任を果たせるかどうかは別として
本来人は自分の利益を忘れて
みんなが幸せになるために尽くすことを
理想として生きるべきである
とこの物語は教えてくれているのです。


手軽な利他

このような究極の利他の教えで
終わってしまったら
難解な仏教やヨガの教えは
永遠に自分のものになりませんよね。

この忘己利他という崇高な教えを
いかにコンビニやファストフード的な感じで
身近なものにするのか?
という柔軟さが大切です。

先日生徒さんから
とても勉強になるエピソードを聞きました。

その生徒さんは毎週金曜日の早朝
会社の仲間数人で
会社近くのゴミ拾いをしているのだそうです。
こういった活動自体が
もちろん素晴らしいことなのですが
僕はその生徒さんの
「心の持ち方」が
もっともっと素晴らしいなと思いました。

その生徒さんは
「人のためとか環境のためにやっているかと言われたらちょっと違う感じ。ただ、楽しめる要素を見つけながら軽い気持ちでやっている。」
と言っていました。

例えば
飲みかけのビールの空き缶と
食べかけのおつまみと
たばこの吸い殻を見つけたとき
そこで「プチ居酒屋」をしている風景を
想像するのだそうです。
「仕事忙しかったのかな?」
「ビール8割くらい残ってるw」
「電車間に合ったかな?」と。

そんな妄想を楽しみながら
とにかくゴミ拾いを利他活動ではなく
「ただシンプルに楽しい遊び」
のような感覚で行っているのだそうです。



本当の利他とは

本当の利他とは
「誰かのために」とか
「何かのために」といった
意識すら無いくらい
誰かのためや何かのために
自然に行っている行動やその想いの事をさします。

これは一見難しそうに思えますが
先ほどの生徒さんのように
「ちょっと良い事を思いっきり楽しんでやる」
ということに尽きるのかなと思います。

そう考えると
冒頭に話した

利他⇔利己

のような抗う関係性ではなく
究極的本質的には
ただシンプルに
みんながhappyになることが
本当の利他なのかなと感じます。

利他なんて言葉を使うから
難しく感じてしまうだけであって
本当に利他とは
案外簡単なのかもしれませんね。

おわり

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