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晴天の霹靂 2023.2.25

はじめて、自分はあと何年くらい生きられるのか考えた。

元旦にコロナにり患して、だいたいの症状は2週間弱で収まったものの、味覚障害と嗅覚障害が出た。そして鼻づまり。
加えて、「キーン」という、鼓膜のもっと奥の、聴覚で感じるのとはまた別の電気信号のような音が以前よりも大きくなった。

<これが後遺症か――>少しショックを感じながら、いつかはよくなるだろう、そう言い聞かせて日常生活に戻り、1か月半を過ごしてきた。
2月に入り、ようやく後遺症ともこれでおさらばかな、そんなふうに感じる日が増えてきたころ、なんとなく息苦しさを感じるようになった。
鼻づまりの状態でマスクをしているからだと思っていたのだが、どうもそれが原因ではないのかも、とふと考えるようになった。

きっかけは、血圧計だった。
バスの乗務の際、必ず健康チェックで血圧を測る。今の機器は知っての通り、腕を入れれば自動で血圧と脈拍を測ってくれる。
最近になって、表示される脈拍の数値とともに必ず「不規則脈波」の通知が必ず表示されるようになったからだった。
通知は昨年夏くらいから少しずつ増え始めているのは気づいていたが、機器の問題だろうとあまり気にしていなかった。
でも、ふとほかの同僚にその話をしてみた。
「いや、一度も出たことないなあ」
それで、急に気になりだした。これもコロナの後遺症かどうか急に不安になったのだ。病院に行ってみようと思い立った。

かかりつけのクリニックなら、気のせいかもしれない程度でも気がねなく診てもらえる。ほんとうにその程度の気持ちで循環器の外来に行った。
簡単に問診を受けて、その日は心電図と胸部レントゲンを撮り、採血して帰宅。翌週、検査結果を聞きに行った。

「心電図の波形はきれいですね」
その言葉にほっとした。やはり杞憂に終わったのだ。息苦しさはおそらく「気のせい」だったに違いない。
そのとき先生がある提案をした。
「ホルター心電図検査というものがあるのですが、念のためにやってみますか?」
聞けば、体に24時間心電計を取り付けて波形を取り調べることができるそうだ。その提案をわたしは喜んで受け入れた。
「お風呂やシャワーに入れませんが、バスの運転をされるなら保険と思って受けてみてもいいかもしれませんね」
先生は言った。わたしも同じような気持ちだった。

心電図を取り付けての検査が始まる。
胸毛を剃られ、ていねいに電極が強力なばんそうこうのようなもので体に取り付けられていく。
<これははがすときに「痛っ!」てなるやつだな……>
帰り際、ゴルフスコアのカードのようなものを鉛筆とともに渡された。移動や食事、仕事など、日常の行動の変化を時間とともに記入し、心電図と照らし合わせるらしい。
「今日は一日おとなしくしていた方がいいですかね」
「いや、電極がはがれなければ何をやってもいいです」
検査技師さんは笑顔で言った。ようするにできるだけ普段通りの生活をしてくださいとのことなのだ。確かにそうでなければ検査の意味がない。
その日は、普通に仕事をし、食事と晩酌をして床に就いた。
翌日の昼頃、機器を返却に行く。やっぱり「痛っ!」と口から飛び出した。
身体にはテープの跡がしっかり残り、赤くはれて痛痒い。
それでも、疑い晴れてこれで無罪放免だろう。そう思うと気持ちが軽かった。

翌日、金曜日はバスの乗務だった。普段通りに準備して自宅から車を出してすぐ、見覚えのない番号からスマホに電話があった。
「昨日のホルター心電図検査で所見がございまして……これから診療所へいらっしゃれますか?」
電話の向こうで看護師さんが先生からの伝言を伝えた。
晴天の霹靂とはまさにこういうことをいうのだと思った。

これから仕事なのですぐには病院に行けない。
緊急なら勤務先に正直に伝えて病院へ直行するしかない。看護師から先生に再度緊急性を確認して折り返してもらうことになった。
5分後の予定が全く電話がない。そのまま会社に着いて折り返しの電話を不安な気持ちで待つこと1時間、電話が鳴なった。
結果は、頻脈という不整脈が夜間の睡眠時にかなり長い時間出ていて、できるだけ早く検査したほうがいいということだった。
その場で運転の仕事は欠勤扱い。動揺しながらその日はけっきょく自宅に戻った。

土日を挟むので診療所へは3日後の月曜日に行った。
紹介状をもらい、その足で御茶ノ水にある東京医科歯科大学を受診する。
始めてかかる大学病院の内科。待合室での時間が長く感じられた。
先日の不整脈のデータについて詳しい説明を受け、新たに心エコー検査を行い、落ち着かない時間を過ごして先生から再び受けた説明は、心筋炎で心臓の機能が低下しているという事実だった。
「健康な人の心臓はもっとぎゅっと収縮するものなんです」
わたしの心臓が動いているエコー画像を見た。
自分が知らないところでこの心臓は無理をしていたのだなあと思って、申し訳ない気持ちになった。

先生の診断は――もともと不整脈があって、それが心筋炎を引き起こしているのか、心筋炎が不整脈を引き起こしているのかは現時点では断定できない。1月にり患したコロナが原因かは断定できないが、コロナが引き金になって症状が顕在化した可能性はある――ということだった。
そして、バスの運転も禁止、お酒は当分ノンアルコールで、というひと言が付け加えられたのだった。
先生の目を見ながら、自分はこういう時でも意外に冷静に話を聞けるのだなあ、と思った。

次回の検査の予約を入れる。翌週のもう少し細かい波形が取れるホルター心電図検査、そしてもう予約がいっぱいでひと月以上も先になるMRI検査。
病院を後にしながら、これからどうしようという思いがこみ上げる。
自分の報酬をほとんど出していないひとり出版社にとって、バス乗務は家庭の経済を直接支える重要な収入源だったのだが、それが突然消えた。
それ以上にハンドルを握る喜びが奪われてしまったことが悲しい。

事務所に戻り、ぼんやりしながら今後のことをしばし考える。
最悪の事態ばかり頭によぎり、仕事も手に付かない。
<心臓が止まるかもしれない>勝手に変な妄想を繰り広げて気持ちが重くなる。でも、運よく症状が見つかったと前向きにとらえるしかない。

その夜はしこたま飲んだ。
またいつか楽しく飲める日を思って。

翌日、二日酔いで目が覚めた。
その日は手持無沙汰でなにをしていいか分からず、ずっとみぞおちの辺りに違和感がないかどうかそればかり気にしてしまう。
そして、ふと思い出して元旦に神田の明神さまで引いた「大吉」のお守りを財布から取り出して健康運を眺めてみた。
〝病気になっても周囲の支えにより快方に向かう〟
今はそれを素直に信じたい。

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