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ウツと“生きる”と中国と~序~

この内容を書き始めようと思い立ってから3~4カ月が過ぎていた。
仕事が忙しいというせいもあるが、気が湧かない、頭も体も気怠く、時間のある時は横になっていたいという欲求に勝てなかった。

それも仕方がない、と自分では思う。

2020年、コロナ禍の中、私は「うつ病」との診断を受けた。

ただ、医師と話していて言われたのが、昨年にうつ病になったわけではなく、そう診断されたにすぎない。
医師の言葉を借りて言うと「症状はけっこう長く続いていたんだね」という言葉。
確かに思い返してみれば、こうした「気が入らない状態」や「不安」、「理由のない悲しさ」は10年近く続いていた。

メニエールと診断されたことも、帯状疱疹なんかもあった。
それらもひょっとしたら「うつ病」の症状を持っていたことと関連していたかもしれない。

要するに私は、ずっと「うつ状態」だったらしい。
ただ、それを「疲れ」やその他の理由として納得させていたようなのである。

診断を受けて、ようやく自分が「うつ」であると認識し、その治療のために“ツラい時は休む”、“ムリしない”という事を受け入れるようになったのが、この1年弱の期間であった。

同時に考え始めた。
「自分は何がツラくてうつ病になったのか」という疑問である。

考え続けるうち、ふと自分の上海生活を思い出し、涙が止まらなくなった。
そして何となく、自分にとって何が何故「たいへん」だったのかという事が分かり始めた。

そしてそれは、「人が生きる」という事、そして自分が見つめ、受け入れていた「中国」という社会を深く考えるきっかけにもなっている。

ここで一つ述べておきたいのが、自分にとって中国、上海での生活が「うつ病」の原因の一つとなったのは、おそらく間違いない。
しかしそれによって「中国」や「上海」を否定し、見下し、憎悪しようというのではない。

自分の状況に至ったことを、なるべく冷静に分析し、それによって「人が生きる」こと、そしてその視点から見た「中国」を整理していきたいと考えている。

この病、気まぐれなもので、調子のよい時と悪い時がある。
そのため、どの頻度で、どのくらい書き続けられるかはわからないが、少しずつでもまとめていこうと思う。
時折、生きることがイヤになるが、こうした義務的なものがあれば、少なくとも生きることを止める思いを打ち消す、理由の一つにはなるだろう。

ひょっとしたら、こうしたまとめたものが、同じくうつ病に悩む人や、また中国に興味を抱く人にとって、新たな価値観を芽生えさせることにもなるかもしれない。

とにかく、書いてみよう。

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