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孫子をゆる~く読むコラム 始計篇を読み込む①~五事・七計~

ビジネスに役立つと言われる中国古典『孫子』。
確かに同書は会社の事業戦略やマーケティング戦略、人事労務に関係する人間関係などを考えたり、果ては人生そのものに役立つ内容が多く盛り込まれている。
しかし、それを真剣に読もうと思うとけっこうな労力がかかる。
なので、少し大学院時代の研究を思い出し、『孫子』を読み解いていこうと思う。
ただ、どこまで続くか分からないし、かなりオタクな内容を差し込むことがあるので、笑いながら読んでいただければと思う次第である。

始計篇の絶対的価値

『孫子』を学び始めたときに、真先に言われたのが「始計篇を徹底して読め」だった。その理由は「始計篇は孫子のすべての思想が凝縮されているから」である。
それを最初に立証したのが佐藤堅司氏である。そこでまずは、佐藤氏の著書から始計篇のもつ意義、その価値について探っていこう。氏はその著書『孫子の思想史的研究』において、『孫子』十三篇は雑然と並んでいるのではなく、科学的な体系が存在していると論じた。

その科学的体系において冒頭の始計篇が「頭」、第十三篇の用間篇を「尾」とし、残りの十一篇を胴体にたとえ、「卒然という常山の蛇のやうに首中尾相応ずるやうに構成されてゐる」(『孫子の思想史的研究』P41(原書房))と述べている。

しかし、氏は同時に同篇をこの篇は単純な孫子を構成する一要素や序論などではなく、孫子の思想すべてを網羅する篇であと述べる。それは、『孫子の思想史的研究』において次のように述べる。
「それ自身において完成された最も重要な一篇であると同時に、さらにまた他の十二篇を包摂し、若しくは要約したもの、もつと徹底的にいへば、それが「一にして全体(one amd whole)」であるといふことである」

この事実に最も早く気づいたのは江戸時代の学者である荻生徂徠であるが、佐藤氏のそれは、徂徠の説をさらに深め、『孫子』の思想の分析の中で、始計篇の絶対的価値を認めた最初のものであるといえるだろう。

では、なぜ佐藤氏はここまで始計篇の価値を高く見たのであろうか? その理由について氏は「三百三十数字の過ぎないこの一篇は、五事、七計、詭道の計算によって、戦争における勝敗の数を未然に察知することを教へてゐるからである」と説明する。

前回述べたように、孫子の戦争的学において「いかに自国の力を温存しながら勝利するか」、「自国への損害を極力抑える勝ち方」を追及していた。そしてそのなかで最も重視したのが「先知」、すなわち事前の情報収集と分析である。

詳しい内容に関しては、後の論で詳しく語るが、事前の情報収集と分析が完璧であれば、損害を出さずに敵を破ることができる、若しくは最も理想的な「戦わずして敵を屈する」ことができるというものである。

そしてその根本を成しているのが、佐藤氏のいう始計篇の要素「五事」、「七計」、そして「詭道」の三大要素なのである。

では、その始計篇を少しずつ読み解きながら、その思想を考えていこう。
以下、始計篇の解釈だが、原文は赤い太字で、現代語訳は黒の太字で表記した。これは現代語の意味だけでなく、原文のもつ雰囲気も味わってもらいためである。

始計篇第一

兵者,國之大事,死生之地,存亡之道,不可不察也。
「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるものなり」。
 (戦は国家にとって重大事である。それは人間の生死が交わる場所であり、国の存亡に関わる道である。それを理解せぬということは、あってはならないのだ)

ことに「計略論」が取りざたされる『孫子』であるが、本来はこの一言を取り上げるべきである。『孫子』は決して主戦論、好戦論者ではない。
国家運営の視点で戦争を見つめた、現代風にいうなれば、会社経営の視点からすべての業務を見つめるという、きわめてドライな眼を持っていた。
そのため、そのメリット、デメリットを的確に判断し、そのために必要な手段、心構えを述べるのである。
 
その心構えとして述べられるのが次の一文である。

故經之以五事,校之以七計,而索其情
「故に之を経(おさ)むるに五事を以ってし。之を校(こう)するに七計を以ってして、其の情を索(もと)むる」
(だからこそ、五事を把握し、七計を計り、なすべきことを知るのである)

「五事」と「七計」の2種類の内容から、とるべき作戦を決めるというのが『孫子』の基本的な考え方。
まずは「五事」から見て行こう。

■「五事」論

一曰道,二曰天,三曰地,四曰將,五曰法。
「一にいわく道、二にいわく天、三にいわく地、四にいわく将、五にいわく法」
 (その第一が道、その第二が天、その第三が地、第四が将(統治者・指揮官)、第五が法(規律)である)

これが「五事」の内容である。文字を見ればその内容は容易に想像がつくが、いわば国家と戦争を構成する基本要素と考えられる。そしてその次で、具体的な内容が述べられている。

道者,令民於上同意,可與之死,可與之生,而不危也
天者,陰 陽、寒暑、時制也
地者,遠近、險易、廣狹、死生也
將者,智、信、仁、勇、嚴也
法者,曲制、官道、主用也。
凡此五者,將莫不聞,知之者勝,不知之者不勝。

「道は、民を上と意を同じくし、之と死すべく、之と生くべくし、危(うたがわ)せざるなり。天は陰陽、寒暑、時制なり。地は遠近、険易、広狭、死生なり。将は智、信、仁、勇、厳なり。法は曲制、官道、主用なり。すべからくこの五者は、将として聞かざることなきも、之を知る者は勝ち、知らぬ者は勝たず」
(道とは民衆が国と志を同じくさせるための政。民は国と生死をともにし、それを疑わぬようにさせるものである。天とは陰陽、気候、タイミング。地とは距離、険しさ、広さ、そして自国に有利か否か。将とは知略、信義、仁愛、勇気そして厳格さ。法とは部隊編成、監察、軍政)である。いずれも将たるものは皆、耳にしたことがあるものだが、これらを熟知しているものは勝ち、そうでない者は勝つことができない)

 『孫子』が五事のなかで最も重要視しているのが「政治」であることが見て取れる。特に民衆をひきつけることができる「徳政」が行われているか否かに重点を置く。
民草が国をうらんでいる、不満を持っている状態では、戦はとても行えない。その政治の状態について深い彫りしていないのは、それが儒学(政治学)の範疇に入り、軍事家の口を出すべきものでないと思ったのかもしれない。
 また注意が必要なのが「天」における「陰陽」である。これを呪術的なものとして捕らえる注釈が極めて多いが、誤訳である。
ここでは大きな「季節の移り変わり」と解釈したほうがいい。
昔から四季を陰陽五行で解説してきた(土用の丑の日など)ものと同様である。日本でも古くは、戦は農閑期に行われており、そうした「季節感」なども、大きな影響をあたえていたのである。
 「将」においては、一般的に言われる「仁智信勇」以外にも「厳」を加える。戦をドライに捕える『孫子』にとっては「優しさだけでは戦はできない」ことを述べているように思える。さらに言えば、その将軍の要素のトップに「智」を上げ、あくまでも「情報によって状況判断できる知力」を求めているのも『孫子』らしい。
 また「法」における「主用」を佐藤氏は「経理や兵器・食糧の用途に関すること」と延べ、ロジスティクスと解釈しているが、それであれば「主」の字は要らない。そのため、ここでは「主君とそれに用いられる者の関係」と解釈したい。政治と軍事の役割分担、職権の明文化を求めているところも、現代の「文民統制」につながるようで興味深いのである。

■「七計」論

五事が政治、戦における基本要素であれば、七計はそれを基に作り上げた、より具体的な「勝敗分析チェックシート」といえるだろう。

故校之以計,而索其情
曰:主孰有道?
將孰有能?
天地孰得?
法令孰行?
兵眾孰強?
士卒孰練?
賞罰孰明?
吾以此知勝負矣。

 「故に之を校するに計を以ってし、其の情を索むる。いわく、主いずれか道有る。将、いずれか能ある。天地、いずれか得る。法令、いずれか行う。兵衆いずれが強い。士卒、いずれか練る。賞罰、いずれか明らかなる。吾、此れをもって勝負を知るなり」
 (そして、その分析に七つの計をもって行い、今後の行動を知るのである。その計とは、「主君はどちらが道にのっとった政治をしているか。将軍はどちらが優秀か。天地の利はいずれが得ているか。法令はどちらが厳格に行われているか、兵はどちらが強いか。舞台はどちらの訓練が行き届いているか。賞罰はどちらが明らかに行われているか」。私はこれをもって戦の勝敗を知るのである。)

 五事を受けての比較である。これはまさに「敵を知り味方を知れば百戦して危うからず」という、『孫子』理念の具体化であるだろう。
 ここでも、国としてのまとまり、そしてそれをなすべきリーダーの「徳」が求められている。
 また「天地」だが、これをタイミング(国力の充実した時期)と地理的優位性と解釈するのが一般的だが、前の「道」の要素を加えながら抽象的に読み取って、「世論」と解釈してみても面白い。「どちらが世論を得ているか」は、現代国際社会においても大きな意義を持つ。いかにして自身の味方を増やすのか、それは別の篇で述べられるが、戦争の前段階である外交的な勝利を得るもっとも重要な条件である。

そして「法令」、「賞罰」である。
田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』で、主人公のラインハルト・フォン・ローエングラムは「民衆を納得させるには2つのものが有ればいい。公正な税制度と、同じく公正な刑制度だ」と語っているが、部下のモチベーションを高めるには、だれもが納得できる規則、評価基準が重要、ということだろう。

將聽吾計,用之必勝,留之
將不聽吾計,用之必敗,去之。

「将、吾が計を聞き、之を用いれば必ず勝。之に留まるなり。将、吾が計を聞かずば、之を用いれば必ず敗れる。之を去るなり」
(もし私の言うことを受け入れて私を用いれば必ず勝てるでしょう。その時は私はここに留まります。しかし、私の言うことを行かずに私を用いたとして勝つことはできません。それであれば、私はここを去りましょう)

 「自分の献策を聞けば勝てる」。絶対の自信が言わせる言葉である。しかし、その真意は、「まずは戦争のセオリー、根本が大事ですよ」といっているように読める。なんでもそうだが、人は劇的な、画期的なものにばかり眼を向ける。それに対して『孫子』は「その前に、やるべき“当たり前のこと”をキチンとやっていますか?」という問いを投げかけているのである。
 基礎とは地味で、また実行も苦痛を感じるものである。しかし、その繰り返しこそが勝利を生む。小手先の技ではなく、本当に大切なものとはそうした足固めなのである。

 さて、本来ではこのまま始計篇第三の理論である「詭道」論の解説へと進みたいのであるが、この論は筋道を誤ると大きな誤解を生む。そのため、より多くのスペースが予想されるため、次回へとまわし、より多くの時間をかけて、じっくりと分析してみたい。

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