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ウツと“生きる”と中国と~努力できない人間と努力の定義~

「うつ病」という病気は、症状が出てくると、本格的にいろんなことができなくなってくる。
書きたいと思った文章も、まったく書けなくなる、書く気がなくなる。

とにかくできるところから、まずはもう一度、自分が中国に行った経緯を整理してみようと試みた。

それで思ったのだが、ツラかったことの一つが「努力」という言葉の持つ意味の違いじゃなかったのか、と思う。

なぜ中国へ行ったのかと自分にとっての「努力」

私が中国に渡ったのは高校卒業の翌年である。日本の大学には進学しなかった。

なぜ中国に渡ったのか?

ひとつは中国史が学びたかったという事である。
それだけなら日本のどこかの大学への進学でもよかったのだが、留学前に通う中国語学校であれば「試験が必要なかった」のである。

そもそも私は勉強ができない。
勉強の仕方が分からない、勉強をしても身につかない、といったほうが正しいのかもしれない。
勉強のために努力するのが嫌い、というのもある。

中学校では、いわゆる「いじめ」に遭っていたので、あんまり思い出したくはない。
高校も、そんなに馴染んでいたわけでもなく、友人らしい友人もいなかったように思い、学校で勉強していたという記憶も薄い(すでにあやふやな記憶しかないが)。

なので、勉強や努力をせずに中国に留学できる、というのが最大の魅力だったのである。
そもそもこの性根がすべての原因なのかもしれないが…。

今は「日中の友好の懸け橋に」とか「中国ビジネスにチャンスがあると思い」とか「中国ITすごいので」みたいな、サラリとしたポジティブな理由で中国に向かう人も増えているようだが、そういった前向きな理由で行ったわけではないのである。

ただ、なんとなく、努力をして勉強をして日本の大学に行く。
その事の意味が何となく分からなくて、がんばる気が生まれなかったというのが本当のところである。

1年の留学でも中国語を習得できない日本人留学生もいる中で、そんな努力嫌いな私が中国語を身に付けられたのは、たぶん努力した結果が自分にとって楽しいと思えるものだったからだったのでは、と今になって思う。

しかし、その性格が、自分に苦痛を強いるようになったのが上海生活だった。

「努力は金のため」が世の中の是

上記のように、「努力して楽しい結果が得られ」ないと努力できない人間にとって、上海での生活は、今思えば忍耐力や苦痛が多かった。

何がツラかったのか。
それは自身と上海の一般社会において「努力」の理解が違う事。
そして、上海で人として認めてもらえようと思えば、自身とは違う努力を「強要」されてしまう事。

日本では多様な価値観が容認されやすい。
趣味、夢、生き方など、それらが「人によって異なること」が認められており、それによって人それぞれの生き方をすることも、容認される。

しかし上海では違った。

あるものを得ることのみを「努力」と呼び、そのもの以外に力や時間を注ぐことは浪費であり、認められない。
いかにその手段が正しくとも、思いを込めていようとも、そのもの以外のための力や時間は「努力」ではない。
そして、上海の「努力」でなければ、「努力しない人間」であり、存在している価値はないものとみなされてしまう。

そものとは、「金」である。

こう書いてしまうと「上海=拝金主義者」というネガティブな印象を持たれるかもしれない。
しかしそれ以外に書きようがないのだが、ようは「自身の経済力を高め続け、それによって安心感を得ることが自分や家族の幸福につながる」という考え方なのである。

そういう時代だったのである。

中国が経済成長の波に乗り、働けばその分業績も上がり、給与も上がる。
手に入るモノも増える。
マンション、車、質の高いファッション、化粧品などなどである。
それに、子供がいれば子供に買い与えられるものも増え、教育の質も高まる。
なによりも病気になった時、質の高い治療サービスも受けられる。

それ以前はお金を得ることもできず、質の悪い物しかなかった。
だが時代が変わった。
改革開放、経済成長の名のもとに、個人がお金を得ることができるようになった。
お金があれば、自分や家族の「低い品質の生活状況」を改善できるのである。

当時は、経済力の向上によって得られるものが大きく、それがすべてだった。
人は、自然に自分の行動とお金を結び付けて考えるようになっていた。

上海で「努力」とは、お金を得るためのもの、という意識でいたと言っていい。
翻っていえば、“それ以外”は努力ではなかったのである。

「努力をしていない」、「努力もできない」クズとして

そうした社会化環境が私自身にとって深刻な影響を与えたのは、やはり仕事をし始めてからだろう。

自身にも縁ができ、家庭を持つことを考え始めたころである。
「努力」という言葉が、毎日のように重くのしかかるようになった。

「努力をしていない」、「なぜ努力をしない」
ただ自分は目いっぱいの努力をしていた。
新卒だったので仕事経験がない中、自身のレベル以上の仕事の質も、許容範囲以上の仕事もこなしていた。

それでも新卒である。
しかも就職したのは地元の人(いわゆる“上海人”)の作った会社で、現代規準の黒か白かでいえば、完全にブラックだったと思う。
労働者は生産機器の1パーツという認識に近い会社だった。

さらに新卒などので給料も安い。
低コストで徹底的に使い倒すような会社でもあった(機会があれば語るが、最終的に裁判もした)

自分としては社会人として最初の段階であるので、
自分の努力の先を「社会経験を積むこと」においていた。なので、仕事を選ぶこともなく、残業なんかもけっこう多くしていたと思う。

そういった観点から言えば「自分はけっこう努力していた」と思うし、「その努力の仕方は間違っていなかった」と思う。
語学学習と同様に、できなかったことができるようになるのは楽しかったし、そうした意味で自分の能力を高める努力をしていた、のだと今でも思っている。

だが、当時の上海では前述のように経済的改善に結びつかない行動は「努力」ではない。
給与に反映されていなかったので、私の周囲の人たちからは、
私はまったく「努力をしていない人」となったわけだ。

毎日、ボロボロになって、休日にぐったりしていれば
「努力もしていないヤツがなにを休むのか」といわれ続けたものだ。

1年も働けば給与は上がる。
初任給は税前6,000元だったが、6,500元になり1万元を超えるようにもなった。

しかし言われたのは「もっと努力できる(=もっと稼げる)のに努力しない」といわれる。
1万元が2万元近くになってもそうだった。

「自分も努力をしている!」
なんど言葉でも心でも叫んだかわからない。

けれども
「努力していない。3万元も5万元を稼ぐ努力家もいる。あなたは稼げていない。だから努力していない」。
「金を稼ぐ努力をしない人間はクズだ」
「その努力以外の事は無意味だ」
といわれ続けてた。

そのうち

「あぁ、自分は努力すらできない人間なんだ」

と自分でも思うようになっていったし、それを信じ込んでいる。

私は、努力すらできない、下等な生き物のままなのである。

だから、「がんばろう!」とか「努力しよう」とか、「努力は報われる!」とか言う言葉が嫌いだったりするのである。

なんか疲れたな。
ここまでにしよう。

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