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2代目アトツギが新事業を別資本の会社を立ち上げてやる理由

こんにちは。
食肉会社2代目アトツギの佐藤です。

神戸大学在学中に世界一周バックパッカー旅を敢行し、新卒で業界最大手のハウスメーカーに就職。コロナ禍で父が創業した家業に入社し、3年間従事した後、家業とは一切資本関係のない別会社を立ち上げて、新事業を展開しています。

今までは、朝5:00過ぎに起きて17:00まで家業の手伝い。
そこから日が変わるまで新事業を進めるという生活でしたが、2024年の5月末日をもって、家業の手伝いから抜け、新事業に専念させてほしいと父親に直談判し、今に至ります。

「何故、あえて家業の中の新事業ではなく、別の会社で行うのか?」
「自分も同じようにしたいけど、どうしていいかわからない」
アトツギ仲間からの質問や相談を受ける機会が増えてきたので、この機会に
僕が事業を継ぐ側として事業承継と向き合って感じたこと、そのうえで新事業を別会社で始めた経緯と今後の展望をお話しさせていただきたいと思います。

僕みたいなアトツギが、先代に自分の気持ちを言語化して伝えることが難しいときに本記事が参考になればいいなと思うと同時に、自分の父親含め、これから先代たちに、少しでもアトツギの気持ちがわかってもらえますように。


①継ぐつもりがなかったのに家業と関わり始めた理由

そもそも、僕が家業に戻る契機になったのは、いくつかの偶然が重なっていますが、主には、

  • 中国人の友人が和牛輸出の話を持ってきたこと

  • 新卒で入社したハウスメーカーからコンサル会社へ転職しており、新事業立ち上げへの関心が高まっていたこと

が挙げられます。
それが今から約3年前。新型コロナウイルスが流行し始めた時期でした。
うちの家業は、父が僕がまだ3歳の頃に創業した会社で、それこそ会社を興したての時は、父親からは八つ当たりされていた記憶しかなく、「父=怖い」「家業=危険」というイメージがしっかり染み付いており、絶対に関わりたくない業種でした。

しかし、僕の家が肉の仕事をしていることを知っていた中国人の友人から「和牛を中国本土に輸出したいから手伝ってほしい」という話を持ちかけられ、やむなく、父親にその相談をすることに。結局、その話はオジャンになったのですが、そのとき、コロナ禍で本業である卸売業に影響が出ていることを知り、「業績回復のための新事業立ち上げ」に興味のあった僕は、業界分析と戦略を資料に落とし込み、当時未着手だったEC事業の立ち上げを父に提案。資料を見た父から「ほな、やってみるか?好きなようにやってみたらええ」という後押しをもらい、家業と関わり始めました。

ちなみに、妻はめちゃくちゃ不安だったようで大号泣を浴びせられてます。笑

業績が落ち込んでいる中で始めたということもあり、月にかけられる広告予算はわずか6万円でしたが、試行錯誤を重ね、初年度に単月売上1,500万円を達成させることに成功。

今では、家業の売上の1/3を占める事業にまで成長しました。

②アトツギだからこそ見えたチャンスと優位性

一方、EC事業を成長させる中で、見えてきた食肉業界としての課題がありました。
「多様化する消費者ニーズと食肉提供側の提案とのギャップ」です。
具体的には、現代の消費者が「味」はもちろん「利便性」「デザイン性」「透明性」などの多様な要素を求め始めているのに対し、食肉提供側は、「A5ランクに代表される脂の入り具合」と「○○牛のような産地のブランド」という2軸でしか提案できていないんです。

これに気づかされるきっかけになったのが友人からの「たっちゃんとこのお肉をプレゼントで贈ろうと思ってんけど、日持ちの問題もあるし、良いお肉を冷凍で贈るのもな~」「俺は美味しいお肉やったら貰って嬉しいんやけど、嫁がギフトとしての見栄えにうるさくて…」といった言葉でした。

「お肉」というジャンルの中で競争する以前に、その前の段階で業界として取りこぼしてしまっている潜在層が存在する、と強く感じるきっかけになりました。

以前、「新事業開発者が隙間バイトサービスを活用して、現場に入りこみ、そこで発見した課題を解決する新事業を立案する」みたいなモデルが話題になりましたが、こういった気づきと日々出会えるのはアトツギである最大のメリットだと考えています。

EC事業が調子づいていることもあり、「ECを起点に、この潜在層を一気に取り込み、鼻たかだかで事業承継できるのかな〜」と楽観的に考えていましたが、事業承継はそう簡単ではありませんでした。

「利益率が高く、市場としてまだまだ成長が期待できるEC事業を加速させたい自分」と「赤字でも会社を支えてきた既存事業を守りたい先代」で考え方が全く異なっていたのです。

③言語化しにくいアトツギ特有の不安と課題

お金だけでなく、時に理不尽な判断をしないといけないのはアトツギ企業の性だと重々理解はしていますが、後を継ぐ側は、バトンタッチ後に20年・30年と次の世代まで会社を残す責務があります。

アトツギとしては、そのための最善策を講じられればと思うわけですが、先代が社長である以上、会社の方向性を最終決定するのは、(特にうちの家業のように先代が創業者のワンマン経営の場合)あくまで先代になります。

だから、ここのコミュニケーションが親子間できちんとできている会社は、本当に見ていて羨ましいです。

「じゃあ、自分もそうすればいいやん」って話なんですが、親子の関係ってそう簡単ではないんです。マジで。

僕からしたら、父親は口答えできない存在で、幼少期から定着したそのイメージは一筋縄では払拭できないものです。それだけでなく、自分が経営に口出しすることで、父親が何十年と築き上げてきたものを否定することはしたくなかったし、親子仲が悪くなる可能性だってあるのではないか。色んな想いが混ざって、自分の意見を押し通すことは、とてもじゃないけど、私にはできませんでした。

妻には「あんた、普段は誰彼構わず好き勝手言うくせに、なんでお父さんにだけはハッキリ喋れへんの?見ててこっちがムズムズするわ」とよく言われてます。笑

その結果、当初EC事業を伸ばすことに専念していた私も、家業で離職者が出て、募集をいくらかけても求人への応募が来ず、人手が足りなくなると、既存の業務を手伝うようになります。

すると、着実に伸びていたEC事業も徐々に成長が横ばい、最終的には前年比で下回る月も出てくるように。

次第に、家業にとって自分はどういう存在なのか、何をすべきかがわからなくなっていきました。

④アトツギ共通の想いは絶対にコレ

僕の根底にあるのは、「家業は僕のアイデンティティだ」みたいなピッチ用の言葉ではなく、ただただ「家業をまさか自分の代で終わらすことだけはしたくない」でした。

「自分が家業の中ですべきだと思っていること」と「実際の業務」とのハザマで身動きがとれなくなる中で、それだけは確かでした。

だからこそ、ヒトが集まらず、キャッシュも減っていく現状に直面し「このままでは、20年・30年後も安泰とは言い切れない。」と感じたとき、手遅れになる前に挑戦するなら絶対に今だと思いました。
それに気づいた日には、後は行動するだけでした。

次に父親と今後の話をするときには、既に、新会社の設立登記を完了、金融機関からの資金調達もほぼ確定まで話を進めていました。

そのうえで「この業界で本気で挑戦したい」と伝えたとき、頭ごなしに反対してくるかと思いきや、父から出てきた言葉は「自分がそれが正しいと思うのならやればいい。できるだけのことは手伝う」でした。

結局、事業承継のために足りてなかったのは、自分自身の「覚悟」だったんだと思わされました。

ただ、ここまでだと父の言動がだいぶ美化されて終わってしまうので、補足しておくと、最後に「まあ、そんなん上手くいかへんわ。」と余計な一言を足してこられているので、絶対に家業を凌駕する業績をたたき出して、M&Aで事業承継してやりたいと思ってます。笑

アトツギは行動と結果で見せるしかない。「2桁成長しよう」

⑤新事業なんて家業でやるのが1番良いに決まってる

最後に、僕は結果として、自身の承継のための最善策だと感じて別法人を設立しましたが、お伝えしてきた通り、僕たちの事業は、本来、家業の中での新事業として取り組むべき事業内容です。

そして、だいたいの新事業は家業の中でやる方が圧倒的にメリットがあるし、成功率も高いと思っています。

それでも、僕が家業と資本関係を持たずに別法人を設立したのは、代替わりまで待てない僕の病的なまでのせっかちな性格と、家業ではできないことに挑戦したかったことが理由です。

決して家業を見限ったわけではなく、見据えているのは、業界全体のボトムアップ、そして事業承継です。

日本のイノベーションを牽引するポテンシャルを1番持っているのはアトツギ企業だと本気で信じています。
それを実現するのは、アトツギが家業のリソースを活用して、新事業展開することが最も現実的だとも考えています。

しかし、アトツギが家業に入って、新事業だけをやれる環境なんてほとんどありません。(もちろん、中には、新事業にフルコミットできる環境が整っているアトツギもいますが)

先代との意見が合わないという理由だけで、本来、生まれるべきものが生まれず、成長するものが成長できないという状況が少しでもなくなれば、日本はもっと面白いもので溢れるはず。

「アトツギ起業」という僕の今回の挑戦が、少しでも事業承継の選択肢を広め、誰かの挑戦のきっかけになれれば本当に嬉しいです。
家業のことを本気で思っているなら、挑戦するのは常にイマしかない。

おまけ:MARBLANCって一体どういう会社なの?

株式会社MARBLANC(マーブランと読みます)は、「後世と世界に誇る食肉業界を創る」をビジョンに掲げ、2023年3月に食肉卸2代目アトツギが創業した食肉スタートアップです。
「本当に価値あるヒト・モノ・サービスが正しく評価される透明性の高い業界」を目指しており、独自の熟成技法を用いて、産地や脂の多さによらない「お肉本来の美味しさ・楽しみ方」を追求しています。

受賞歴・補助金・プログラム等採択歴

メディア掲載実績

  • 『村上信五くんと経済クン』 - 文化放送

  • 和牛「二段熟成」 うま味が4倍に 管理方法で差別化 大阪の企業 - 日本農業新聞

  • NEXT!トレンド大予測2024 - anan(アンアン)2024年1月10日号

  • 至福のお取り寄せ - おとなの週末 2024年2月号, 2024年5月号

  • TOOL&RULE To Be RUNNER - Tarzan(ターザン) 2024年3月14日号

  • アスリートケア最前線 Athlete's Choice - Number(ナンバー)1092号

  • 美味探求ー上質の味わいを求めてー - サライ 2024年4月号

  • 美味しいに出会う - CREA 2024年 Spring Vol.379

  • PICK UP AD SPECIAL - 世田谷ベース Vol.55 幸せのひきがね

  • HAPPY SPICE - mina 2024年4,5月号

資金調達実績

累計2,750万円(うち、家業からの資金援助:0円)
※2024/5/31時点
※2024/06/11-28 株式投資型クラファン挑戦▼

なぜ、株式投資型クラウドファンディングを活用することにしたか下記の記事にてお話しておりますので宜しければこちらもお読みいただけますと幸いです。


創業者(佐藤辰哉)について

1994年8月8日生まれ。血液型不明。流行りのMBTIはENTJ。
神戸大学建築学科在学中にLACOSTEで働きながら自身が監修するアパレルブランドを立ち上げ。神戸三宮の商店街で単独のファッションショーを実施。それらで貯めた資金で世界一周バックパッカー旅を敢行。ロシアから陸路で旧社会主義国を周遊し、そのまま中東・アフリカを経て、中南米から帰国。お金がなさすぎて、野宿や3日間シリアルだけの生活、5日間シャワーを浴びれない環境、同性愛者からの襲撃を経験しながらも、旅先で出会う多様な国の人との交流を楽しむ。ペルーで交通事故に遭ったときは本気で死んだと思った。
バックパッカー旅にいち早く行きたかったこともあり、新卒では、1番早く内定を出してくれた業界最大手のハウスメーカーに就職。その後、コンサル会社を経て、家業である食肉販売会社へ入社。
僕の経歴は決して輝かしいものではないけど、「自分がやりたい」と決めたことは何が何でもやるし、悔しかったことはめちゃくちゃ執念深く覚えてます。
あと、妻を溺愛していて、喧嘩をしたときは、100%妻側の過失でも、とりあえず謝ってます。

【セミナー登壇実績】
・the owner主催『先進テクノロジーによって食品の新たな価値を発見。アトツギによる牛肉リブランディングの成功の秘訣とは』
・大阪産業局主催『新事業に欠かせない知的財産の基礎知識』

以上です!
長文を読んでいただきありがとうございました。
最近、めちゃくちゃ忙しくて、新設したLab.に籠っていたのですが、もしMARBLANCと私にご興味を持っていただける方がいらっしゃれば是非お話ししましょう。


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