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『金閣寺』三島由紀夫

1950年、金閣寺が燃えた。見習いの僧侶が放火したために全焼したらしい。その事件を題材にして書かれたのがこの『金閣寺』で、人間のコンプレックスと社会の歪みが生み出した一つの事象として見事に描出されている。本人すら分かっていなかったかもしれないその本質を徹底的に分析し、投げられた匙を磨き上げてしまう天才。

中でも、鹿苑寺を飛び出してから由良に着き、そして金閣を焼かねばならぬとの暗示を受けて帰路の列車に乗るまでの主人公の心の変遷を表した情景描写が素晴らしかった。

雨上がりの崖土の伝えてくる鮮やかに濡れた轟音を。

これがそのシーンを締めくくる一文。主人公が生活に残していた未練や執着を完全に放棄し、嵐を起こすことを悟った直後の心情を表している。あとは待ち受ける現実に突っ込むだけの主人公を金閣寺へ連れて行く列車が出していたのは「鮮やかに濡れた轟音」…って、すごくない!?危うくホームに引き摺り込まれるとこだった。

夏目漱石もそうだけど、主人公の内面を、主人公が感じている外界の世界にすべてたくすとき、言葉が怖いくらい正確で美しいと感じる。人間のその複雑で煩雑で指の隙間からこぼれ落ちてゆくような感情も、一滴残らずすくい上げて書面に広げてゆく。見事としか言いようがない。

なぜこの本が有名なのか、最後の数十ページに辿り着くまではっきりと見えてこなかったけど、怒涛のラストに感服した。経験したことのない感情を、なぜこの人はわかるのだろう?
それとも溝口とほんの一欠片を共有していたんだろうか。その欠片から手探りで作り上げた世界がこれなら本当に恐ろしい。

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